低温クロロフィル蛍光スペクトル測定

光合成系に影響が見られる変異体の解析などにおいて、光化学系Iや光化学系IIの量を簡便にチェックしたい場合があります。そのような場合、きちんとそれぞれの光化学系量を定量することもできますが、相対的な量比でしたら、以下の低温クロロフィル蛍光スペクトルによって極めて簡単に測定することができます。光化学系の量比は植物の環境応答によっても変化しますから、そのような応答を解析する場合にも利用可能です。さらに、やはり植物の代表的な環境応答の一つであるステート遷移に関する情報も、この低温クロロフィル蛍光スペクトルにより得ることができます。ここでは、低温蛍光スペクトル測定の原理と、それによって光化学系量比とステート遷移に関する情報を得る方法を紹介します。

  1. 低温クロロフィル蛍光スペクトル測定の原理
  2. クロロフィル蛍光スペクトル測定によるステート遷移の推定
  3. 低温蛍光スペクトル測定の実際

低温クロロフィル蛍光スペクトル測定の原理

クロロフィルは光を吸収して励起された場合、そのエネルギーの一部を再び光として放出します。これを蛍光といいます。酸素発生型の光合成生物は、クロロフィルを結合した2種類の複合体、光化学系Iと光化学系IIを持ち、どちらも特有の蛍光を出します。ただ、室温では光化学系Iの蛍光は弱く、また二つの光化学系の蛍光の波長が近いため、両者を区別することは通常できません。一方、液体窒素温度(-196℃、絶対温度77 K)まで冷却すると、光化学系Iのクロロフィルは715-735 nmに蛍光発光を示すのに対して、光化学系IIは685 nmと695 nmに蛍光発光を示します。つまり、蛍光スペクトルを測定すれば、2つの光化学系の相対的な比率を簡便に見積もることができます。また、各光化学系からの蛍光発光の強さは、その光化学系にエネルギーを渡すアンテナのサイズに比例します。従って、ステート遷移のように条件によって見かけのアンテナサイズが変化するような場合には、クロロフィル蛍光の強さに反映されることになります。従って、例えばステート1からステート2へのステート遷移が起こっているかどうかをクロロフィル蛍光によって推定することも可能です。

ただし、光化学系量比といってもその比率の絶対値が求まるわけではありません。光化学系Iと光化学系IIでは、クロロフィルあたり、もしくは反応中心あたりのクロロフィル蛍光の収率は異なりますから、それぞれの極大波長での蛍光の強度が1:1であっても、光化学系量比が1:1であることにはなりません。しかし、遺伝子の変異や環境への応答によりその量比が変動するような場合、その変動は蛍光強度のピーク強度比に反映されます。例えば系Iと系IIの蛍光強度の比が1:1から1:2に変化したら、おそらく相対的な光化学系II量が倍になった、という推定をすることはできます。ただ、この場合、光化学系II量が倍になったのか、光化学系I量が半分になったのかは区別できません。ステート遷移に関しては、下のステート遷移測定の項目をご覧下さい。

この他にクロロフィル蛍光スペクトルに影響を与える要因として、実は試料のクロロフィル濃度があります。試料のクロロフィル濃度が高いと、クロロフィルから発光した蛍光が試料から外へ出る前に別のクロロフィルによって吸収されてしまいます。これを自己吸収といいます。クロロフィルの赤色部の吸収波長は670-680 nm付近ですから、その影響は、光化学系IIの685 nmの蛍光の場合に一番大きく、次が695 nmの蛍光になり、光化学系Iの蛍光に対する影響は一番小さくなります。従って、クロロフィル濃度が高い試料では光化学系IIの蛍光が選択的に吸収され、見かけ上、光化学系IIが少なくなっているように見えます。従って、クロロフィル濃度が異なる試料間でスペクトルを比較することはできません。液体試料の場合は、5μg/ml 以下のクロロフィル濃度にするとほぼクロロフィルの自己吸収の影響を避けることができます。クロロフィル蛍光スペクトルは、植物の葉でもそのまま測定できる点が利点なのですが、当然葉の場合は局所的なクロロフィル濃度が極めて高いので、スペクトルを見ると必ず光化学系Iのピークが相対的に非常に大きくなっています。ですから、緑の色が違うような葉の間でスペクトルを比較しても意味がない、という点に注意する必要があります。

一般的な蛍光光度計では、液体窒素温度での測定を可能にするユニットを増設することにより測定が可能になります。その場合、試料セル自体を液体窒素に浸して温度を下げる場合と、試料セルの金属部分を一部液体窒素に浸して熱伝導によって温度を下げる場合の二通りがあります。前者の場合は、測定光の光路が液体窒素の中を通るため、特に熱の絶縁が不完全な場合、液体窒素の中の泡が測定を妨害する場合があります。また、後者の場合は、冷えた試料セルが空中にでているため、場合によっては霜が付いて測定を妨害する場合があります。そこで、以前使っていた研究室の手作りの装置においては、試料への励起光照射と蛍光の測定に石英の光ガイドを用い、この光ガイドを試料に密着させた上で、試料ごと液体窒素に浸すという工夫をしていました。これにより、液体窒素の泡の問題や霜の問題は除去されることになります。

シアノバクテリアの場合、685 nmの蛍光は、系IIのクロロフィル蛍光の他にフィコビリンの蛍光の寄与もあるので、695 nmの蛍光強度の値を光化学系IIの蛍光の値(F695)、725 nmの蛍光強度の値を光化学系Iの蛍光の値(F725)として、F725/F695を、光化学系I/光化学系IIの比の指標とするのが通常です。実際にはそれぞれのピーク波長を用います。一方で、高等植物の場合は、695 nmの蛍光が比較的不安定な場合があるので、むしろ、685 nmの蛍光強度の値を光化学系IIの蛍光の値(F685)、735 nmの蛍光強度の値を光化学系Iの蛍光の値(F735)として、F735/F685を光化学系I/光化学系IIの比の指標としたほうがよいかも知れません。この場合も、実際にはそれぞれのピーク波長を用います。

クロロフィル蛍光スペクトル測定によるシアノバクテリアのステート遷移の推定

シアノバクテリアは原核生物であるため、細胞内の光合成電子伝達系が呼吸鎖と一部を共有されています。従って、高等植物とは異なり、暗所に細胞をおいておくとプラストキノンプールは還元されてステート2の状態になります。一方で、光化学系IIの阻害剤であるDCMUを加えて光を照射すれば、光化学系Iの働きでプラストキノンプールは酸化されてステート1の状態になります。このようにして、細胞を簡単にステート1もしくはステート2の状態にすることができますから、2つの状態で低温クロロフィル蛍光スペクトルを比較すれば、ステート遷移を観察することができます。ステート2では光化学系IIのアンテナサイズが小さくなっているはずですから、相対的に光化学系IIの蛍光は弱くなり、逆にステート1では光化学系IIの蛍光が強くなるはずです。従って、2つの状態で低温クロロフィル蛍光スペクトルに差があればステート遷移をしている、差がなければステート遷移に異常がある、と結論できます。これによってステート遷移を推定する方法を以下に示します。基本的に、細胞の前処理が違うだけなので、測定手順などは光化学系量比を測定する場合と全く一緒です。

ステート2における測定の場合は、細胞を試料ホルダーに入れた後、暗所において10分程度室温で放置します。一方でステート1における測定の場合は、細胞に最終濃度10μM のDCMUを加えてから、試料ホルダーに入れ、励起光を1分程度照射して、そのまま光をあてながら液体窒素に入れて凍らせます。この際、可能であれば、ガラスの一部が透明になったジュワー瓶があると、ぎりぎりまで光を当て続けることができて安心です。励起光は通常の連続光源を用いれば十分ですが、強い青色光を使うとオレンジカロテノイドプロテイン(OCP)の影響が出る場合がありますから、比較的弱い光を使った方が安心でしょう。

このようにして、異なる前処理をした場合に光化学系Iと光化学系IIの蛍光の強度比が変化した場合は、ステート遷移の能力があると判断できます。この方法は、高等植物の場合にも、ステート1とステート2を光化学系IIに多いクロロフィルbを励起する光と光化学系Iを選択的に励起する赤外光を用いれば適用できるはずですが、実際にやったことはありません。

低温蛍光スペクトル測定の実際

実際のスペクトル測定のプロトコールを以下に載せておきます。

日本分光のFP-8500を用いたスペクトル測定

自作の分光器を用いたスペクトル測定

もう少し詳しい解説は「低温蛍光スペクトルによる光合成解析」にも掲載しています。