光合成研究事始(その六)
理化学研究所
博士課程の3年目に2本目の論文を投稿し、大学院研究生の1年間にようやく3本目の論文を投稿できたのですが、この間に、理化学研究所で太陽光エネルギー科学研究グループを主宰していた井上賴直さんから特別研究生として来ないか、というお誘いがありました。特に井上賴直さんに認められるような業績を出していたわけではないので、加藤栄先生が頼んでくれたのかもしれません。
当時の太陽光エネルギー科学研究グループは、光合成研究の一大拠点でした。ここに示す写真の中央のパイプをくわえてワインボトルを持っているのが井上賴直さんです。パイプは井上賴直さんのトレードマークで、本人曰く「大人のおしゃぶり」なのだそうです。写真のその他の人物の内、連載第4回に登場した檜山哲夫さん(右から2番目)と東大などで教授を務めた大森正之さん(一番左)はビジターですが、それ以外の小川晃男さん(一番右、のちに名古屋大学教授)、小池裕幸さん(井上さんの右、後に中央大学教授)、池内昌彦さん(井上さんの左奥、後に東大教授)、そして写真には写っていませんが、後に茨城大学教授になった小野高明さん、名古屋大学教授になった小俣達夫さん、といったそうそうたるメンバーが研究をしていました。さらに研究室の秘書をしていたのは田口マミ子さん(旧姓君村さん)で、プラストシアニンがシトクロムb6f複合体とP700との間で働いていることを示した古典的な論文Kimimura and Katoh (1972) BBA 282: 279-292の筆頭著者です。願ってもない研究環境なので、二つ返事でお願いして、1989年4月からグループに加えてもらうことになりました。同時に宮尾光恵さん(後に東北大学教授)、少し後に野口巧さん(後に名古屋大学教授)や沈建仁さん(後に岡山大学教授)がグループに加わり、太陽光エネルギー科学研究グループは光合成研究における梁山泊の様相を呈します。
当時の光合成研究の方向性
これより少し前に、光化学系反応中心複合体の生化学的解析研究は最盛期を迎えていました。前に述べた光化学系Ⅰ反応中心複合体の研究でもそうでしたが、光化学系Ⅱでも、反応中心活性を持つ最小ユニットを追求する時代から、酸素発生活性を含む全体の活性を保持した複合体を調べてその構成要素を明らかにしようとする研究が盛んにおこなわれるようになり、それをリードしていたのが複数の日本のグループでした。もちろん、日本以外にも世界には有力な研究グループがありましたが、こと光合成の生化学的研究に関しては、日本における研究競争に勝てば、当然世界にも通用するという一種の自信を皆持っていたように思います。酸素発生にMnが必要であることは明らかになっていましたが、Mnクラスターの構造は当時まだ不明でしたし、表在性タンパク質やCaが酸素発生活性にどのように関与しているのかも研究の一つの焦点でした。表在性タンパク質の関与に関しては、東大の加藤研に博士課程から加わった沈建仁さん、村田紀夫さんの研究室の宮尾光恵さん、富山大学/福岡女子大学の田村典明さん、東京理科大学の榎並勲さんなどが、サブユニットの解体・再構成、架橋修飾などにより精力的に研究していました。そして、酸素発生活性に必要なCaの数については、沈建仁さん、宮尾光恵さん、理化学研究所の小野高明さんが、1つなのか2つなのかについて激烈な議論を繰り広げていました。ところが、まず宮尾光恵さんが太陽エネルギーグループに移り、さらに沈建仁さんも太陽エネルギーグループに加わることになったため、期せずして3名のライバルが同じ研究室の所属になってしまいました。僕自身は、その時点では太陽エネルギーグループを離れていたので正確なところはわかりませんが、その後は、生態学で言うところのニッチにおける棲み分けが進行したように思います。無責任な野次馬的感想として、研究競争の熱が冷めた気がして少し残念に思ったのを記憶しています。Caの数についていえば、その後沈建仁さんが播磨理研で構造生物学研究を始めて最終的にMn4O5Caからなるマンガンクラスターの構造を明らかにしたことはご存じの通りです。
太陽光エネルギー科学研究グループでの研究
自分のことに話を戻しますと、卒研から、修士、博士、そして大学院研究生と、6年半にわたって加藤研で研究を続けてきた人間にとって、初めての「外」の研究室は極めて新鮮でした。井上賴直さんから最初に提案された研究テーマは「熱発光は何色か」というものでした。熱発光というのは、光化学系Ⅱに光を照射して電荷分離を引き起こした状態で急冷(例えば液体窒素に漬ける)した試料を、今度は温めて温度を少しずつ上げていくと、やがてある温度で「凍結」されていた電荷が再結合し、その際に放出されるエネルギーの一部が再度光として放出される現象です。電荷分離を起こした状態の電荷が、例えば電子受容体のQAにある時とQBにある時では、酸化還元電位が異なりますから電荷再結合が起こる温度は異なり、したがって熱発光が見られる温度が変わります。温度を横軸に、熱発光量を縦軸に取ったグラフ(やや特殊な例を下に示しています)をGlow Curveと呼びますが、このGlow Curveのピーク温度から、光化学系Ⅱの受容体の状態や酸素発生系の状態(S状態)の情報を得ることができます。しかし、ごく微弱な光ですから、それを分光してスペクトルを測定した研究など、世界中どこを探してもありません。他方、熱発光のスペクトルがわかったとして「それがどうした」と言われる可能性は十分にあります。それでも井上賴直さんは面白がっていましたし、僕も面白いと思って、研究を始めました。
利用したのは、右にカタログ写真を示す二次元フォトンカウンティング装置(Imaging Photon Detector System model 2601A, Surface Science Instruments)です。フォトンカウンティングというのは、光電子増倍管のように光子の信号を増幅するのですが、光子1個ずつを数えることができるほどの感度を持ちます。これを二次元でイメージングできるようにしたものが二次元フォトンカウンティング装置で、もともとは夜空の星の微弱な光をイメージングするために開発されたと聞きました。試料からの熱発光をレンズでポリクロメータ(モノクロメータとは異なり出射スリットがなく、波長分布測定が可能になる分光器)の入射スリットに投影し、
出射光をスリットを通さずに二次元フォトンカウンターに入れれば、試料のスリット方向のイメージが1次元目、波長スペクトルが2次元目となる画像が得られます。右の写真は、二次元フォトンカウンティングの結果を疑似カラー(この場合であれば色の違いで光量子数を表していて青から赤、さらに黄色から白になるにつれて光量子数が多い)で示したもので、77 Kでの蛍光(上段)と熱発光のZバンド(下段)を、横軸は波長、縦軸はスリット方向の位置として示しています。得られた画像データは光量子数も含めて三次元のデータですが、これを最後にスリット方向に積分すれば、熱発光のスペクトルが得られます。結果として明らかになったのは、光化学系Ⅱの電荷分離により発光することがわかっていたBバンドの熱発光と、由来が必ずしも明確にわかっていなかったZバンド(Bバンドよりはるかに低温で発光する)の熱発光は、異なるスペクトルを示し、前者は光化学系Ⅱの蛍光スペクトルと類似しているのに対して、後者はより長波長の発光を含むスペクトルを示すということでした。この長波長の発光は、LHCIやLHCII、さらにはクロロフィルの有機溶媒溶液に水を加えて凝集させた試料でも見られましたので、クロロフィル間の相互作用を示していると結論できました。
次に取り組んだのは、新しい熱発光バンドの探索です。上述のBバンドの熱発光測定では、電荷を「凍結させる」といっても、0℃付近が普通でしたし、さらに温度を下げる場合でも液体窒素が限度です。しかし、もっと温度を下げれば、電荷再結合に必要なエネルギーがごく小さい新しい熱発光バンドを見つけることができるのではないか、という研究です。
液体ヘリウムのクライオスタット(温度を一定に保つ装置)を熱発光装置と組み合わせて液体ヘリウム温度からの熱発光を測定したのですが、当然、これも世界でだれもやったことはない実験です。結果としては、絶対温度の20 K、50 K、70 Kで発光する新たな3つのバンドを発見しました。これらは、上記の実験でのZバンドと同様に、LHCI、LHCII、クロロフィルの凝集試料でも見られましたので、やはりクロロフィル間の相互作用を示していると結論できました。
理化学研究所の研究環境
これらの結果をまとめた論文は、熱発光スペクトル論文が1992年にJ. Luminescenceという雑誌に、液体ヘリウム温度の熱発光論文が1993年にBiochim. Biophys. Actaに掲載されました。そして出版後30年以上たちますが、前者の論文の引用回数は何とたったの4、後者の論文の引用回数は6です(Web of Science, 2025.11.4)。最近は基礎科学の研究費の申請書にも社会に与えるインパクトを書く欄がありますが、そのような観点からみる限り、この2つの研究は高い評価が得られないかもしれません。しかし、僕はその研究成果に満足していましたし、井上賴直さんもそうだったでしょう。そして、この研究を進める過程における井上賴直さんの「自分が知りたいから研究をする」という姿勢を、学位取り立ての若者は強い共感をもって見たのです。ちなみに井上賴直さんから「全く新しい実験を始める場合に、実際の実験と対照実験のどちらを先にするかによって、研究者の性格がわかる」と聞いたことがあります。実際の実験をやってみないとやるに値する実験かわからない一方、対照実験をやらなければそもそも実験が成り立っているかわかりません。結局のところどちらも両方やらなくてはならないわけですが、ではどちらを先にするかということです。その時、井上賴直さん自身がどちらなのかは聞きそびれた気がしますが、おそらく、日ごろの様子を見ていると、実際の実験を先にやるタイプだったのではないかと思います。僕は、実験系が本当に成立しているかどうかが気になる性格なので、逆に対照実験を先にやるタイプでした。「光合成の森」に掲載している分光測定機器のプロトコール集を見ると「さもありなん」と思われる方も多いかもしれません。対照実験を先にするか後にするかのタイプは井上賴直さんと異なっていたかもしれませんが、「好奇心こそが研究の駆動力」という意識は、共通に持っていたように思います。
もう一つ、これは当時は考えもしなかったけれども、後から考えるときわめて貴重であったのは、太陽光エネルギー科学研究グループにいる間、研究以外のことに時間がとられることが全くなかったことです。東大の加藤研にいた時代も、それほど何か雑用をしていたわけではありませんが、学位取得前後は、研究室の学生の最年長としての最低限の責任は生じていました。しかし、井上賴直さんには、何か研究以外の雑用を頼まれた記憶が全くありません。会話は常に、研究のディスカッションと極めて幅広い話題の雑談だけだったと思います。これは、理化学研究所に移って一気にグループの中の最年少者になったことにもよるのかもしれませんし、おそらく常勤の研究員の場合はそれなりの義務があったのだとは思いますが、それでも当時の理化学研究所は研究者の楽園と言ってよかったのではないかと思います。そして、そのような余裕の中で若き日のひと時を研究に打ち込んで過ごすことができたのは幸運でした。現在、あちこちで、ポスドクでさえもいろいろな研究以外の雑用に追われているケースを見るにつけて、今後の日本の行方が気にかかります。(つづく)
初出:光合成ユビキティ ニュースレター2026年6月予定