光合成研究事始(その一)
卒業研究を始める
もう40年以上前のことになりますが、光合成の初期反応を中心に研究をしていた加藤栄先生の研究室(以下、加藤研)で卒業研究を始めたのが、光合成の研究を始めるきっかけでした。東大の駒場キャンパスにあった加藤研でそのまま大学院に進み、光合成は、その後今に至るまでの研究のテーマです。加藤先生の講義は、論理的に「落ち」をつけながら進めるようなところがあって、この話の結論はどうなるだろうと予想しながら聞くのが楽しみで、それが加藤研での卒研を選んだ一つの理由でした。昔から暗記が苦手だったものにとっては、論理的に解析していくことが可能であるという光合成研究の印象は極めて魅力的でしたし、その印象は今でもそれほど間違っていなかったと思っています。英語の学術論文を数人で読む演習も、加藤先生に教わりました。その際に、今でも覚えているのは、その論文のリファレンスを見ると、Katoh, S.の論文がいくつも引用されていて、「格好いいな」と思ったことと、"determine"という言葉が出てきて、「決心する」と訳したら、「ここでは『測定する』という意味です」と教えられたことです。"今どきの学生"の英語力が情けないのは、今に始まったことではなさそうです。
光化学系Ⅰと光化学系Ⅱ

それはさておき、無事に研究室が決まって加藤先生に研究テーマの相談に行くと、「系Ⅰと系Ⅱとどっちがよい?」と聞かれました。今では高校でも習う光化学系Ⅰと光化学系Ⅱに、Ⅰ、Ⅱの順番を付けたのはLous Nico Marie Duysensで、僕が生まれた1961年のことです。光合成の電子伝達は系Ⅱから始まるのになぜ順番が逆になっているのかとよく聞かれるのですが、当時はZスキームの概念が確立していたわけではありません。発見の順番だと書かれている本もありますが、光化学系の本体が明らかになったのはもう少し後の話です。シトクロムfを酸化する反応系をⅠ、還元する反応系をⅡという形で同時に定義されました。では、Duysens自身は、どうしてそのように決めたのかと思って、光合成研究の歴史に詳しいGovindjeeさんに聞いたところ、「その時の実験の順番だったんじゃないの」という言い方をしていました。要は偶然の産物のようです。Duysensは1950年代に主流だった藻類の細胞などをそのまま使って分光学的に光合成に関わる成分を調べる研究を先導していた人で、1952年に書いた博士論文は、世界中の光合成研究者がコピーして読んだと言われています。右に示す博士論文のコピーは、村田紀夫先生からいただいたもので、村田先生の署名が右下に見えます。このような研究から2つの光化学系の存在が想定されていましたが、その実体を調べることはすぐにはできませんでした。
生化学的な研究の進展
1960年ごろになって、細胞を破砕して可溶性タンパク質を単離して、光合成における役割を調べる生化学的な手法が発展しました。光合成の電子伝達に関わるタンパク質には電子をやり取りするために金属を含むものが多く、鉄の場合なら赤褐色、銅の場合なら青色に見えますから、カラムクロマトグラフィーで精製する場合にも、肉眼で見て行うことができました。加藤先生が発見したプラストシアニンもきれいな青色で、「発見当時近くの研究室で銅を含むラッカーゼという酵素の研究をしていたので、色を見た瞬間に銅タンパク質だとわかった」とおっしゃっていました。いずれにしても、このころに生化学的な研究の対象になっていたのは、プラストシアニンやシトクロムcといった、小型の水溶性タンパク質の場合がほとんどでした。
ところが、1970年代になると、界面活性剤によって膜タンパク質複合体を可溶化して生化学的に扱うことが一般的になりました。光化学系Ⅰも光化学系Ⅱも、数百の色素と数十のサブユニットからなる巨大な複合体ですが、それを、光合成の初期反応を担うチラコイド膜から温和な界面活性剤で可溶化してくることが可能になった時代に、ちょうど光合成の研究を始めることになったのでした。
加藤研での実験

当時の加藤研では、光化学系Ⅰの研究は、現在は岡山大学の教授になっている高橋裕一郎さん(当時は博士課程1年生)、光化学系Ⅱの研究は、現在は東京薬科大学の名誉教授の山岸明彦さん(当時は助手)、その間のシトクロムb6f複合体を含む電子伝達を難波勝さん(当時博士課程1年生)がそれぞれ"担当"していました。右に示す写真は、1982年に加藤研の有志で北八ヶ岳の東天狗岳に登った時のもので、左が高橋裕一郎さん、後ろが山岸明彦さん、その前が難波勝さん、その右が園池、一番右が出井史子さんです。今となっては記憶のかなたの(当時はそれなりにまじめに考えたはずの)理由で、光化学系Ⅰを研究テーマに選んだので、高橋さんにガラス器具の洗い方から好熱性のシアノバクテリアの培養、そして電気泳動の仕方などを習うことになりました。さらに言えば、おいしいコーヒーの淹れ方を習ったのも懐かしい思い出です。豆を手動のミルで挽いて、粉の上から「の」の字にお湯を一部だけ注ぎ、2分ほど待って蒸らしてから残りのお湯を注ぐという高橋さんのシステマティックな説明は、実験の経験に裏打ちされたもののように聞こえました。
加藤研で好熱性のシアノバクテリアが研究材料として使われていたのは、生化学的実験では、タンパク質の安定性が研究の成否を大きく左右するからです。加藤研で別府の温泉から単離された至適成育温度が58℃と高い好熱性のシアノバクテリアは、そのタンパク質の失活が室温では起きにくいことから、生化学研究にはうってつけの材料でした。
研究室では、この好熱性シアノバクテリアの培養を技術職員の出井史子さんが数十リットル単位でやっていました。好熱性なので、少なくとも生化学的な実験を目的とする限りにおいては他の生物のコンタミの心配はほぼいらないので、滅菌なども行なわず、アクアリウムなどに使う水槽を用いて大量培養をしていました。得られた培養液は、連続遠心をしてその細胞を回収します。連続遠心分離機というのは、液体を回転部分に連続的に注入していくと、細胞が遠心分離される一方、その上清が連続的に排出されていく仕組みの遠心機です。当時の大容量の冷却遠心機の最大の遠心管でも容量は500 mlぐらいでしたから、培養液が数十リットルになると何十回もの遠心が必要となります。そのような場合に連続遠心機を使うことになるのですが、何事もスケールダウンして実験をする今では、使ったことがある人はほとんどいないかもしれませんね。集めた細胞は、フレンチ・プレスで破砕します。
フレンチ・プレスは、細胞の懸濁液に、梃子の原理で大きな圧力をかけておいて、細い隙間から噴き出させる際に細胞を壊す仕組みの機械です。ちなみに、これを発明したCharles Stacy Frenchは、蛍光光度計で最初に光合成色素のエネルギー移動を解析した人でもあり、微分吸収スペクトルを使って光合成生物の細胞の幅広い吸収がいくつかの少しずつ波長の異なる色素の吸収帯の足しあわせによってできていること(クロロフィルフォームの存在)を示した人でもあります。

話を加藤研での実験に戻すと、細胞の破砕により得られたチラコイド膜を、当時一番温和とされたジギトニンという界面活性剤で可溶化してから、ショ糖密度勾配遠心によって光化学系Ⅰと光化学系Ⅱの画分として回収します。ジギトニンは、ジギタリス属の植物体からとれる天然の界面活性剤で、いいお値段がする(今調べると1 gが約10万円ですから右に示すような25 gの瓶だと一財産です)上に、試薬のロットによって水溶性などの性質が全く異なるのでなかなか使いにくいものでした。ちょうど1970年代の後半に、イスラエルのNathan Nelsonのグループなどが光化学系Ⅰの活性のある複合体標品を単離して、そのサブユニット組成を発表していたころで、研究室では、高橋さんが好熱性シアノバクテリアを使って、光化学系Ⅰ画分からさらに精製した光化学系Ⅰ複合体標品のサブユニット組成についての論文をまさに僕が研究をスタートした1982年に2本出していました。そこで、卒業研究では、系Ⅰ複合体標品に様々な処理を加えて、より少ない構成成分からなる小さな複合体を単離することによって、光化学系Ⅰの本質を明らかにすることにしました。(つづく)
初出:光合成ユビキティ ニュースレター2023年12月