光合成研究事始(その二)
古き良き電気泳動の世界
前回は、卒業研究の研究テーマとして光化学系Ⅰの複合体の構成成分の研究を選んだところまででした。そのためには、光化学系Ⅱなどの混入のない、きれいな系Ⅰ複合体標品を精製する必要があります。そのために、ジギトニン処理と遠心分画で得られた系Ⅰの粗画分から、SDSポリアクリルアミドゲル電気泳動(SDS-PAGE)を用いて系Ⅰ複合体標品を精製していました。電気泳動にはいくつかの方法があります。1964年にB.J. Davisが発表したディスクゲル電気泳動(僕らはDavisの系と呼んでいました)を改良して、陰イオン界面活性剤のSDSを加えることにより、サブユニットをばらばらにして電荷を与えることにより主に分子量で分離するようにしたSDS-PAGE(当時はLaemmliの系と呼んでいました)は、1970年にU.K. Laemmliによって発表され、世界中で広く使われるようになっていました。SDSは非イオン性の界面活性剤であるジギトニンよりかなり作用が強いため、普通はサブユニットをバラバラにして分析する際に使われるのですが、好熱性のシアノバクテリアの光化学系Ⅰは非常に安定なので、SDSの存在下でも複合体として泳動されます。
分析ではなく、複合体を大量に単離するのが目的なので、直径1 cmぐらいのより太いガラス管を使うように改造したディスクゲル(円柱状のゲルなので、バンドを切り出すとディスクになる)右上の写真のような電気泳動装置を用いていました。もともとは、5 mm径のガラス管をシリコンゴムのパッキンで止めるようになっていたのですが、1 cm径だとパッキンの隙間はないので、毎回ガラス管にセロハンテープを5回半、0.5 mmぐらいずつずらしながら巻いて斜めのセロハン層を作って(右の写真参照)、泳動槽にねじ込んでいました。泳動後にガラス管からゲルを抜き出すのも氷水中でガラス管とゲルの間に針を回すように差し込むとか、分離したバンドを1 cm径のぷよぷよのゲルから氷水中で剃刀を引くようにして切り分けるとか、今から思えば職人技たっぷりの世界でした。
研究を始める
早速、複合体の単離から実験を始めました。クロロフィルを結合した複合体が泳動されるわけですから、染色などしなくてもきれいな緑色のバンドが分離します。面白くて、複合体標品をどんどん作っていたら、ある日先輩の高橋裕一郎さんから「園池くん、もうちょっと周りを見ないとだめだよ。ジギトニンの画分はみんなで使っているんだから、一人で使い切っちゃったら困るんだよねー。」とご注意を受けました。今思えば、周りを考えずに行動するのは子供のころからなのですが、おそらくそれを明確に自覚したのはこの時が始めてかもしれません。ただ、高橋さんの指導もむなしく、この性癖は今に至るまで治っていないようです。
研究テーマとして最初にやってみたのは、トリプシンやV8プロテアーゼといったタンパク質分解酵素で系Ⅰ複合体標品を処理してから再度泳動して、クロロフィルを結合しているより小さな複合体や断片を得ることができないかという実験です。やってみてわかったのは、ポリペプチド鎖がタンパク質分解酵素により細かく切断されても、それだけでは複合体はびくともしないということです。一度構成された複合体のサブユニットの折りたたまれ方や、サブユニット同士の相互作用は、ポリペプチドの鎖が切断されても変化しないことがわかりました。今考えてみれば、タンパク質のフォールディングに効いているのはやはり疎水相互作用なのだということなのでしょうけれども、ポリペプチドが細切れになっていても複合体のままというという結果は、その時の僕にとってはかなり衝撃的でした。
そのような試行錯誤をしているある日、低濃度のSDSとやはり低濃度の還元剤であるDTTで複合体を処理すると、今までよりもかなり低分子量のクロロフィルを結合した複合体が出現することを見つけました。光化学系Ⅰの反応中心は、大型サブユニットと多数の小型サブユニットからなっていることはわかっていたのですが、大型サブユニットには2種類あって、新しく得られた複合体は、そのうちの1種類だけがクロロフィルを結合した状態で得られていることがわかったのです。この結果は卒業研究を開始してからちょうど1年後の1983年の学会で発表することができました。
スライドによる学会発表

当時の学会発表でデータを示すのに使ったのは、「本当の」スライドです。透明フィルムに図表を写しこんだものをマウント(枠)に挟んだスライドを、金具に複数(最大10枚)枚セットしてスライドさせて次々映写します。枚数が10枚を超えるときには金具を入れ替える必要があります。後には、スライドさせるのではなく、50枚ぐらいのスライドを一度に格納できる回転式映写機も出現しました。スライド自体は、当初は本郷にあった新光社などの写真屋さんに図版を渡して作成してもらっていましたので、学会発表の数日前には図版を完成しておく必要がありました。その後、1970年代の半ばに開発された自動スライド作成機の「パナコピー」が1980年代には大学で一般化してきたので、学会発表の前日に慌ててスライドを作る学生がパナコピーに行列するような光景が見られるようになりました。右の写真はパナコピーによって作ったスライドです。映写機からは上下反転して映写されるので、映写機にセットする際の上側を示す赤線は、図の下部に引かれ、名前は上下逆転しています。その後しばらくして、OHP(オーバー・ヘッド・プロジェクター)の短い繁栄の時代を経て、パソコンとプレゼンテーションソフトの時代になり、発表の5分前まで図の修正をすることができるようになったのは、ご存じの通りです。
タイプライターとワープロ

学会発表をしたら、次なる目標は、論文の執筆・投稿です。僕が研究室に配属された時点では、英文を打つのに使われていたのは右の写真のようなIBM社製の電動タイプライターでした。当時は、多くの研究室でこれが使われていました。さらにそれ以前の手動のものだと、活字のついた棒の1本1本をキーを押す指の力で動かして印字をしていましたから、そもそも均一の濃さで印字するだけでも修練が必要でした。どうしても力の弱い薬指で打つ「S」や「L」が薄くなりがちです。しかし、IBMの電動タイプライターは、活字が球形に集まったタイプボールが電気で動くという画期的なもので、このタイプボールを取り換えるだけで、フォントの大きさや種類まで変えることができます。右下の写真はタイプライターのタイプボール(中央)と白い修正リボン(左右)で、このタイプボールには右に12(フォントサイズ)、左にLETTER GOTHIC(フォントの種類)と書いてあるのがみえます。例えば、ギリシャ文字を打ちたいときには、これをギリシャ文字のタイプボールに交換するわけです。タイプボールが紙の上の印字用リボンを打つと印字されますが、タイプミスをして修正したい場合には、特別なキーを押すとリボンが白い修正リボンに切り替わるので、同じ行であれば比較的簡単に修正できます。ただし、もっと先に進んでからミスが見つかった場合には、場合によってはすべてを打ち直す必要が出てきます。
しかし、このタイプライターを使ったのは手紙を英文で書く時だけで、最初の論文を書く直前に、研究室にワープロが導入されました。緑色一色のディスプレイと8インチのフロッピーディスクを持つハードウェア上で動くWordStarというソフトです。20 cm四方の大きさのペラペラな(文字通りフロッピー)ものにデータが書き込まれるわけですが、ドライブに差し込むときに撓むので、いつも心配でした。(づづく)
初出:光合成ユビキティ ニュースレター2024年6月