光合成研究事始(その三)
論文の執筆と投稿
前回は、初めての投稿論文を書く直前に、研究室にワープロが導入されたところまででした。とにもかくにも、このワープロで論文原稿を書いて加藤栄先生に提出しました。タイミング的に、研究室で最初のワープロ論文原稿だったと思います。ただし、Introduction、Results、Discussionをまとめても確かA4ダブルスペースで4ページぐらいの長さのものでした。加藤先生の感想は、「確かに必要な要素はそろっているけれど・・・」というものでした。今思えば、研究の目的に沿って実験をして、その結果をならべて解釈しただけの原稿でした。さすがに、自分の研究に直接必要な勉強はしていましたが、「議論をふくらませる」ためには幅広い知識と複数の視点が必要です。修士論文をまとめるのと並行して投稿論文の原稿も書いたと思うのですが、まあ、自分では勉強していると思っていても、所詮は修士学生の小さな世界の中での話だったということでしょう。結局、論文が投稿できたのは博士課程に進学した1985年の7月になってからでした。投稿先はArchives of Biochemistry and Biophysicsでした。
投稿と言っても、当時のやり取りはすべて郵便です。また、紙媒体なので、レフェリーの分も含めて原稿のコピーを4部送る必要があり、それらが出版社から各レフェリーに転送されることになります。7月10日に発送すると、まず、原稿受け取りの葉書が10日ほどで帰ってきます。つまり、航空便でも、出版社に原稿が届くだけで片道5日かかっている勘定になります。そこから待つこと約2か月、9月9日に、Reviseの通知が来ました。
この時は3人のレフェリーから右のようなコメントが返ってきて、最初の一人はほぼ褒めているだけ、次の一人は褒めつつも、P700を光化学的に定量するだけでなく、化学的にも定量してはどうかと提案しています。三番目のレフェリーは、新しいクロロフィルタンパク質の収量をもっと上げられないのか、またその単離条件が厳しいために活性が失われているだけではないか、という2点を指摘をしつつ、最後にリジェクトされないように気を使ったとみられる文を付け加えています。これらのレフェリーが誰かは見当がつきませんが、三人とも非常に好意的だったのが印象的でした。ちなみに当時は、細かい点は原稿のコピーに直接記入して返送するので、レフェリーレポート自体は比較的短いものになっています。
論文の出版とその後
次は、レフェリーコメントを受けて論文を改訂することになりますが、実はこれはあっという間にできました。2番目のレフェリーの指摘した新しいクロロフィルタンパク質のP700の化学的定量は、非常にもっともな指摘なのですぐ行いましたが、P700をフェリシアン化カリウムで酸化しようとすると、おそらくは処理によって安定性が低下した集光性クロロフィルの退色が起こってしまい、技術的に難しいことがすぐにわかりました。また、3番目のレフェリーの指摘した収量のさらなる改善は、レフェリー自身が言っているように、条件をいろいろ振った上で実験をしているので、実際には困難です。最後のコメントについては、同じ処理を受けながらサブユニット組成が変化していない試料で活性を測定した結果、活性は保たれていたことから、その結果を原稿に追記して、3日後には改訂稿を出版社に送付しました。すると今度は2週間ちょっとでAcceptの返事がきました。9月28日のことで、最初の投稿から約2か月半でした。
現在の電子投稿であれば、すぐに校正刷りが送られてくるところですが、当時は、印刷原稿から活字を拾って校正刷りを作ることになります。従って、実際に校正刷りが到着したのは、論文受理の約1か月半後の11月7日でした。ここからさらに印刷製本の作業が入り、東大の図書館に論文が掲載された号の雑誌が届いたのは、翌年の3月7日でした。論文の受理から約5か月というのは、当時としては普通だったのではないでしょうか。
さて、雑誌が図書館に届く前に、実は、別刷り請求が来て論文が既に出版されたことを知りました。当時は、大学などの研究機関の図書館が雑誌を購入することによって出版が維持されるのが、学術雑誌のビジネスモデルでした。その場合、所属の大学や研究機関の図書館が当該雑誌を購読していない場合は、著者に右の写真のような別刷り請求の葉書を送ると、著者が別刷り(いわゆる雑誌の当該論文だけの部分の抜き刷りです)を郵送することにより論文を読めるようにするシステムになっていました。
僕の最初の論文に対する別刷り請求は2月10日に来ましたから、日本の図書館に雑誌が到着する1か月前には論文の出版情報が広がっていたのでしょう。別刷り請求は、世界各国から葉書で来ますから、日本では見慣れない切手が多く、そのようなものは切り取って集めておきました(右の写真)。おそらく、そのように切手を集める人は世界中にいたようで、記念切手と思われるきれいな切手をわざわざ組み合わせて貼って別刷り請求を送ってくれる人もいました。上で示した葉書もそうでしょう。別刷り自体の到着は、図書館に雑誌が来るのよりさらに遅く、3月24日だったので、それまでに来た請求に対してまとめて20部ほどを発送しました。わざわざ航空便で葉書を送ってまで自分の論文を読みたいという人が大勢いるという事実は、駆け出しの研究者にとって励みになることでした。
光化学系の反応中心
光化学系Ⅰの場合、クロロフィルを結合した2種類の大型サブユニットのみからなる標品に反応中心クロロフィルP700の活性があることは、既に高橋裕一郎さんにより示されていました。これに対して、新しい論文では、その内の片方のサブユニットだけを単離すると、クロロフィルが結合した状態でもP700の活性が失われることを示すことができたので、P700は、2つの大型サブユニットの間に存在し、それらが反応中心複合体の最小単位であると結論しました。2つの大型サブユニットはPsaAとPsaBに相当し、この考え方は基本的にその後の研究でも支持されました。
他方、加藤研究室では、同様な研究を光化学系Ⅱにおいても行っていました。当時は、クロロフィル結合サブユニットであるPsbBおよびPsbCにD1/D2/シトクロムb559タンパク質(PsbA / PsbD / PsbE / PsbF)が結合した複合体が、光化学系Ⅱ活性をもつ最小単位でした。クロロフィルの大部分は、PsbB/psbCに結合していると考えられていましたから、光化学系ⅠのPsaB/PsaB複合体と同様に、PsbB/PsbC複合体を光化学系Ⅱの活性を保ったまま生化学的に単離しようとする実験が研究室で行われていました。しかし、D1/D2/シトクロムb559タンパク質がはずれるのに比例して活性が低下してしまい、PsbB/PsbCのみからなる活性をもつ複合体を単離することはとうとうできませんでした。
その時には、実験がうまくいっていないと研究室では考えていたわけですが、実際にはその2-3年後に、岡山大学の佐藤公行さんのグループが、右に示すような論文を出して、D1/D2/シトクロムb559タンパク質複合体を活性を保ったまま単離し、実はこれこそが光化学系Ⅱの反応中心の本体であることを明確に示したわけです。
今から考えれば、D1/D2/シトクロムb559タンパク質量と活性が比例するという実験結果は、まさに反応中心の本体が何であるかを示唆していたわけですが、加藤研では残念ながら佐藤公行さんたちの発表までそのことに気が付きませんでした。アメリカなどでは、植物のD1/D2が紅色光合成細菌の反応中心サブユニットと相同性を示すことから、比較的早い段階でD1/D2が反応中心であると考える人がいたようですが、残念ながら当時の多くの日本の研究室では、分子生物学的な考え方は立ち遅れていました。佐藤公行さんご自身も「タンパク質の相同性からD1/D2が反応中心であると考えて行った実験ではなかった」とおっしゃっていたと記憶しています。日本の光合成研究が、生化学と分光学が中心のものから分子生物学を基礎に置いた研究にかじを切るのは、村田紀夫さんが代表を務めた重点領域研究「光合成の環境応答の分子機構」が始まる1992年以降のことだと思います。(づづく)
初出:光合成ユビキティ ニュースレター2024年12月