光合成研究事始(その四)

最初にお断り。今回は、途中に分光学のお勉強が入っています。

研究テーマの模索

さて、光化学系Ⅰの反応中心複合体の生化学的な解析実験の後に何をやるのかについては、最初の論文を出版する作業と並行して、しばらく試行錯誤が続きました。単離されたクロロフィルタンパク質複合体には、脂質二重層の部分とは異なる特別な脂質が結合しているという境界脂質の考え方は当時でもありましたから、単離した複合体に結合している脂質の分析を川口昭彦先生に習ってやってみたり、平衡透析法を論文で勉強して単離された複合体にどの程度界面活性剤が結合しているのかを調べたり、しばらく複合体の構成成分解析を主にやっていたのですが、学会発表までは行っても、ストーリーを作って論文にまとめることができずにいました。加藤先生は「こういうテーマで実験をしなさい」とは一度もおっしゃらず、「園池君はいつもへんてこりんなデータを持ってくるねえ」とぼやきながら、得られたデータから何が言えるかを一緒に考えてくださいました。そこで学んだのは、論文が書けるかどうかは、データの量ではなく、そこから「こういうことがわかった」というストーリーを描けるかどうか、ということです。わかった「こういうこと」が、データそのものであるうちは論文は書けず、データから導き出した「発見」になって初めて論文が書けるということですね。

やがて、最初の研究テーマの時と同様に、実験をしているうちに不思議な発見をし、それが次の研究テーマにつながりました。前回、論文の改訂の際にP700の定量を要求されたことを書きましたが、P700の定量を様々な条件でしているうちに、P700の酸化還元に伴う吸収変化量が、界面活性剤であるSDSの添加によって増えることに気がついたのです。界面活性剤の添加でP700が壊れることがあっても、増えることは考えられませんから、これは何かそれこそ「へんてこりんな」ことが起こっているに違いありません。その発見の顛末を紹介する前に、前回までの生化学を中心にした話から分光学を中心にした話に変わりますので、分光学の基礎を少しばかりご紹介します。

光化学系ⅠにおけるP700光化学系Ⅰの反応中心のP700は、酸化に伴って700 nmでの吸収が減少することから名づけられました。しかし、実際の光化学系Ⅰは右の図のようにアンテナクロロフィルをコア複合体だけで100分子近く結合していますから、P700の吸収の割合は非常に小さく、さらにそれが酸化還元によって変化する割合となると0.1%のオーダーでしかありません。普通の分光光度計では、例えば吸光度をフルスケール1で測定した時の値が0.354といった感じに3桁程度の精度ですから、P700の吸収変化量は0.001であったとしたら誤差と同じぐらいで測定は不可能です。

P700の差吸収スペクトルそのような微小吸収変化を測定する方法として一つ簡単なのは、光路が2つあって測定セルと対照セルにそれぞれ光を通すダブルビームの分光光度計を利用し、両方のセルに試料を入れて測定セルだけに光を当てる、もしくは酸化剤を入れることによりP700を酸化してその吸収変化を見る方法です。この場合、最初の状態では、測定セルと対照セルに同じ試料が入っていますから、見かけの吸収はほぼゼロになり、レンジを大きく拡大することができます。フルスケール0.01で測定すれば、0.001の吸収変化を十分に測定できます。この測定を、測定光の波長を少しずつ変えながら繰り返せば、P700の酸化還元差スペクトルを測定することができます。従って、そのように1985年11月15日に測定した結果をまとめた右のグラフの場合、一つのシンボルが1回の測定値ですから、このグラフは50回程度の測定の結果をまとめて作られています。

ただし、光合成の測定でよくあるように励起光を照射してその変化を見ようとすると、より構造の簡単な光路が一つだけのシングルビームの分光光度計の方が便利です。実は、その場合でも微小吸収変化の測定は可能です。ここからは少し数学にお付き合いください。吸収Aは透過率Tの逆数の対数ですから、A = -log(T)と表すことができます。ここで、この関数の傾きを考えると、Tを少し(ΔT)だけ動かしたときのAの変化(ΔA)の割合ですから、ΔA/ΔTとなります。関数の傾きというのは微分ですから、これが-log(T)の微分に等しいはずなので、-log(T)の導関数が-log(e)/Tでありlog(e)が0.434であることを考えると、ΔA/ΔT=0.0434/T(式1)となります。さらに、透過率Tは、試料に入る前の光量Ioで試料を透過した後の光量Iを割ったもの(I/Io)ですから、試料の吸収変化によって透過光量がIからI+ΔIに変化したとすると、ΔT=ΔI/Ioとなり、これを式1に代入して変形すると、ΔA=-0.434ΔI/Iとなります。Ioは、試料を透過しない光量ですから、試料を入れたままのシングルビーム測定では測定不可能ですが、その情報がなくても、また吸収の絶対値Aの情報がなくても、試料を透過した光量Iと、例えばそこに光を照射してP700が酸化された際の変化量ΔIさえあれば、微小な吸収変化ΔAを直接求めることができます。

日立356型分光光度計この原理による測定を簡便に行えるのが右に写真を載せた往年の日立の356型分光光度計です。この分光光度計は、もともとBritton Chanceが開発した二波長分光方式による分光光度計を日本でも商品化しようと日立が1960年代の後半に開発したものですが、光合成やフィトクロムの研究者は、主に上記の微小吸収変化測定モードがあることと、光信号を電気信号に変換する光電子増倍管と試料との間の距離をほぼ0にしたり逆に大きくとったりと切替えが可能になっていること、の2つの点が便利なのでこの分光光度計を使っていました。ちなみに、光電子増倍管と試料との間の距離がほぼ0であれば、試料の散乱によって曲げられた光も光電子増倍管に取り込まれますから、積分球がなくても懸濁試料(例えば細胞の培養液)の吸収測定が可能になりますし、光電子増倍管と試料との間の距離を大きくとれば、測定光と違って直進せずに距離の二乗に反比例して減衰する蛍光などの影響を小さくできますから、クロロフィルなどの蛍光性の色素を含む試料の吸収(変化)測定を正確に行うことができます。上の写真の分光光度計の中央上部に載せているのは単1の乾電池なので、356型分光光度計の大きさがわかると思います。横幅は人の身長ぐらいありました。左の上部に載っているのは、チャートレコーダーでアナログ信号をここに出力してインクでデータが描かれます。さらにその上に載っているのは、励起光源用の光量調節ユニットです。励起光にはニコンの顕微鏡用光源を使っていました。P700の酸化還元による吸収変化右に示す1985年11月15日に測定した吸収変化の例であれば、横軸の1目盛りは10秒、縦軸の細かい1目盛りは吸収変化0.0001に相当しますので、励起光照射により0.004程度の吸収変化が起きていることになります。励起光を照射するとP700の酸化に伴い700 nmの吸収が減少し、光を切るとゆっくりとした再還元がみられます。

この微小吸収測定の原理は、現在広く使われているDual PAMやジョリオ型分光器によるP700測定の測定原理でもあります。上記の説明を注意深く読まれた方は、関数の傾きをΔA/ΔTとするのは一種の近似であって、あくまでΔAやΔTがごく小さいときだけ成り立つことだということがわかるでしょう。最近の機械は操作が自動化されているので原理を知らなくても測定自体はできますが、原理を知って測定することにより、近似が成り立たないような条件で測定して失敗することを避けることができます。

話を元に戻すと、この吸収変化の大きさが界面活性剤の添加によって大きくなることがわかりました。P700は普通のクロロフィルと同じで、赤色光領域の他に、435 nm付近の青色光領域にも吸収変化を示しますので、そのあたりでも測定してみると、大きな変化は見られません。つまり、実際にはP700の量が変化したわけではなく、SDSやTriton X-100といった界面活性剤の作用と測定のために加えていた電子受容体のメチルビオローゲンの作用により、690 nm付近のクロロフィルがP700の酸化還元に伴って吸収シフトを起こし、これが吸収変化の大きさの増大を引き起こしていたことがわかりました。このこと自体は生理学的に重要な発見であるとは言えない一方で、P700の定量という多くの研究室で行われている手法の妥当性を揺るがす発見ではあります。量が変わらないのに吸収変化の大きさが変わるということは、量当たりの吸収、すなわち分子吸光係数が変化していることを示唆します。

P700の酸化還元差分子吸光係数については、埼玉大学の檜山哲夫先生の古典的な論文がありましたから、それを参考に閃光分光測定によりP700の差分子吸光係数を決めることにしました。当時加藤研には、ユニオン技研が1981年に作ったストップトフロー分光解析装置をベースにした閃光分光測定装置がありました。

ストップトフロー分光解析装置ストップトフロー分光解析というのは、2本の流路を高速で流れる2種類の試料を合流させて反応を起こし、その後の反応過程を分光学的に追う解析手法で、右の写真はその装置の構成です。この流路の部分を取り去ってキセノンフラッシュを励起光源として追加し、フラッシュ照射後の吸収のミリ秒までの時間変化を追えるように改造した装置でした。当然ですが、光路は1つしかないシングルビームなので、上で説明したように透過光量の変化をモニターして吸収変化に換算します。上の写真の1はメインの制御装置、2はトランジェントコンバーターという過渡的なデータを一時的に保存する装置、3は測定用光源の電源、4はモノクロメーター、5は光電子増倍管、6がシグナルをその場で見るオシロスコープ、7はX-Yプロッターという一種のレコーダー、8は制御用パソコンです。制御用パソコンには、もともとソードという会社のM223が使われていましたが、ちょうど僕が利用するようになったころにNECの9801に置き換えられ、N88-BASIC(86)というプログラミング言語で制御されていましたので、急遽それを学び、上で説明した0.434という数値が使われていないのを見つけて、直接 Aが求まるようにプログラムを書き換えたりしました。いずれにしても、結果としては、試料の状態や界面活性剤の濃度、試薬の条件などにより、P700の差分子吸光係数は最大1.6倍ほども変化しうることがわかりました。このことは、当時の生化学全盛時代にはある程度のインパクトがありましたが、現在では、P700の定量はDual PAMやジョリオ型分光器によってin vivoで行われますから、界面活性剤の影響と言ってもピンと来ないかもしれませんね。

ストップトフロー分光解析装置結局、このP700の酸化還元による吸収変化の解析(右に示す論文)、分子吸光係数の決定、スペクトルの形から分子吸光係数を見積もる方法の提案という形で3つの論文を執筆することができ、それを中心に博士論文を書くことができたのでした。といっても、3つ目の論文が学術誌に受理されたのは博士号を取ってから2年近く後でしたが。(づづく)

初出:光合成ユビキティ ニュースレター2025年6月