生命応答戦略科学 第4回講義

植物の低温感受性

第4回の講義では、植物、特に低温感受性植物が低温にさらされたときに光合成、ひいては生育自体が低下する現象の原因を解明する過程をお話ししました。以下に、学生からの意見とそれに対する回答を示します。


Q:低温にさらされた後常温に戻すことで、クロロフィルが分解される、というのはおもしろいな、と思いました。夏野菜を青々としたままおいしそうに食卓に出そうと思ったら、冷蔵庫保存は一切しないか、調理直前まで冷蔵庫に閉じ込めておくか……ということですよね。
アカデミックな内容でなくてすみません。

A:そうですね。光合成の阻害ではありませんが、バナナなどが黒くなるのも低温傷害の一種で、冷蔵庫に入れてしばらくしてから室温に出すと黒くなりやすいようです。


Q:今日の講義では、ホウレンソウの PSI がなぜ壊れないのかが気になりました。どの酵素?(もしくは構造)が、ホウレンソウのPS1を低温強光下で保護をしているのか、を調べる方法を少し考えてみました。
 とりあえず、活性酸素が原因なのであれば、酸素の放射性同位体を使うのが定法ではないかと思います。O17の雰囲気下で低温、強光下でホウレンソウとキュウリの葉をおきます。そうすれば、キュウリのほうはすぐに崩壊するでしょうし、逆にホウレンソウの方はどこかで活性酸素を吸収?している酵素などがあるでしょうから、そこに放射性の酸素が溜まると思います。あとは遠心分離で放射性酸素の多い部分を判明させれば、原因を特定する重要なヒントになると思います。

A:活性酸素というのは、別に酸素と別の物質ではないのです。一種の状態です。「活性酸素を消去する」というのは、活性酸素を普通の酸素に戻すことです。特に、一重項酸素などは、化学的な状態ですらなく、物理的な状態の違いですから、化学的には見分けがつかないでしょう。また、他の物質との反応性が高い、ということは、寿命が短い、ということでもあります。一般に活性酸素の検出は、トラップ剤という別の物質と反応させ、より安定な反応生成物を検出することで行います。また、その物理的な性質の違いを利用して、直接電子スピン共鳴などによって検出する場合もあります。


Q:キュウリは低温処理するとPSIにダメージを受けて葉が傷んでしまうとのことですが、低温感受性でない植物に関してはどのような仕組みで低温に対する耐性を獲得しているのでしょうか? 
 タンパクの構造変化がしにくく酵素活性を維持する、細胞膜や細胞壁を構成する成分が温度変化による影響を受けにくい、さらには恒温動物のように自ら発熱して植物体が冷えるのを抑える、などが存在しうると考えられるかと思いますが、低温耐性のメカニズムはどの程度解明されているのですか?低温耐性の仕組みの解明が、季節を問わない高原や寒冷地での農産物の栽培に繋がると思います。

 A:実は低温耐性の仕組みはまだ完全にわかっていません。いま、提案されているのは、脂質の不飽和化により脂質が相転移する温度が下がると(つまり膜が凍りにくくなると)耐性を獲得する、というモデルで、実際に不飽和化を進めることにより、ある程度耐性を獲得させる実験が基生研の村田先生の研究室で行われています。ただ、この系では、低温感受性植物で見られる、ある敷居温度で急に阻害が起こる現象は説明できません。僕自身は活性酸素の発生源となる電子伝達速度の調節ができなくなることが、低温阻害の引き金になっているのではないかと考えています。

Q:学部生の時の授業で、今までより0.5度低温に強い農作物を作ったら、その経済効果は1兆円近いと聞きました。その時、農業にとって低温との戦いはとても切実で厳しいものなのだと感じました。先生は植物の低温感受性の研究を、植物全体の研究の中でどのように位置付けているのですか?低温感受性のメカニズムを調べて、低温に強い植物に改良するための基礎研究としたいのですか?それとも純粋に興味深い自然現象を明らかにしたいということなのですか?今日の講義の内容とは直接関係ありませんが、数ある環境ストレスの中で低温ストレスを選んだ理由などを知りたいと思いました。

A:現在、日本国内の野菜の市場は必ずしも大きくありません。もし、キュウリで低温耐性のものを遺伝子操作で作っても、それによる利益は、遺伝子操作関連の特許料(ほとんどをアメリカが握っています)を払うと引き合わないようです。おそらく、現状で引き合うのは、日本ではイネだけかも知れません。ただ、遺伝子操作の基本特許が切れれば話は別なので、日本の種苗会社などはその時期をにらんで様子見をしているようです。僕自身は、将来的な農業的応用にも興味はありますが、現時点ではあくまで植物と環境の関わりに関する基礎研究の段階だと思っています。ストレスの種類に関しては、低温の他にも、強光、低二酸化炭素濃度、降雨、ウイルス、等のさまざまな研究をして来ました。この中で低温ストレスの解明が一番きれいにいったので紹介することにしました。


Q:動物は自身の恒常性を重視し、植物は環境に馴化するということであった。確かに動物は自らの力で動くことができ、常に自分に合った環境を求めて移動できる一方、植物のように無機物から有機物を合成することはできない。一方植物は環境に適応すれば他の生物に頼ることなく生きていけるが、動けないのだから環境が変われば自分も変わるしかないのは納得のいくことである。
 これは植物と動物がコードする遺伝子数の違いの一因になるのだろうか。進化のどの辺りから動物植物の違いが出てきたのか、地球上の場所により動植物発生時期や戦略の違いがあるのか知りたいと思った。

A:これからは多くの生物種でゲノムが決まるようになるでしょうから、比較ゲノム的な研究はどんどん盛んになるでしょうね。シアノバクテリアでは、既に20種ほどのゲノムが決まりつつあり、1つの生物群の中での特徴と、別の生物群との違いが、徐々に明らかになりつつあります。


Q:低温にさらされると植物は枯れてしまうという日常では、ごく当たり前の現象も科学の目でみると非常に面白い機構が存在することがよく解かりました。実験手法についての質問です。ヘテロダイマーPsaA,PsaBのWesternですが、どのように処理した葉の成分抽出液を流しているのでしょうか。ある動物組織細胞中に含まれる微量タンパク質(ヘテロダイマーよりなる酵素)のWesternを試みていますが、確立した手法がなくて困っています。参考にさせて下さい。また、このように綺麗にバンドを出すポイントはどのような点でしょうか。

A:Western は葉っぱからチラコイド膜を単離して、そのタンパク質を泳動しています。PsaA, PsaB は比較的量が多いタンパク質ですから、そんなに難しくありません。やはり微量だと、それだけで難しくなりますよね。できることといえば泳動前に精製するステップを入れることでしょうか。DNAは生物が違ってもほとんど同じ操作で実験ができますが、タンパク質になると、生物によっても、タンパク質によっても違いますから、それぞれ工夫するしかないように思います。参考にならずすみません。


Q:冷夏ではイネの花粉が形成されないなど四分子形成阻害による低温障害のお話がありましたが、低温障害と減数分裂ではどのような関連があるのでしょうか。イネの場合、低温による影響は減数分裂のどのステージにどのようなメカニズムであらわれるのか、具体的なことは解明されているのでしょうか。また、減数分裂期に低温障害を示す植物はイネの他に知られていますか?

A:実際には、イネの花粉形成の中で、低温で進行しなくなるのは、四分子形成の際のタペート層(グルカンでできた層)の分解です。イネは日本の主要作物ですから、かなり研究は進んでいます。花粉形成時の遺伝子発現の動きなどもかなりわかってきています。基本的にはグルカンを分解する酵素が働けるかどうか、で決まるのだと思いますが、光合成を違ってこちらは専門ではないので、詳しいメカニズムについての最新の知見は持っていません。低温傷害はイネで有名ですが、おそらく他にもあるでしょう。ただ、これについても詳しいことはよく知りません。


Q:低温によって傷害をうけ、その結果過剰となってしまうエネルギーを、回避する戦略として低温植物は光合成系のPS1の破壊ということを選択しているようですが、はじめに光エネルギーを受け取るPS2のところでの制御を行った方がダメージを少なくできるのではないかと思いますがなにか、PS1のところで制御を行う利点などはあるのでしょうか?

A:実は、PSIIのところでも、制御を行っています。というより、通常は、PSIIのところで制御を行うのが普通で、その制御が低温などのストレスによって行えなくなると、PSIが阻害されてしまう、と考えた方がよいかと思います。従って、PSIIの活性の変化は「制御」であり、PSIの活性の変化は「阻害」と言えるでしょう。ただ、いったん、PSIの活性が失われてしまうと、それをそのままにしておくのは危険なので、積極的に分解しますが、その分解は阻害ではなく制御なのかも知れません。


Q:光化学系Iの低温障害の発見についてであった。園池先生が光合成の主要な働きを行う光化学系Iが阻害される新説を唱えたとき、初めは全く受け入れられなかったというエピソードをうかがった。なにか新しいことを言おうとするときは決まって懐疑的な見方をされるように思うが?のようなときはどのような心構えでのぞみ、何を示したら納得してもらえるのでしょうか。

A:基本的には、自分の実験結果を信ずることができて、しかもその解釈は誤りようがないのであれば、自分を信ずるしかないですよね。僕の低温傷害についての最初の論文が出たのは1994年ですが、僕の実験結果が本当に信用されるようになったのは、外国の研究グループから同様の研究発表が相次ぐようになった1998年以降です。