科学哲学へのいざない
佐藤直樹著、青土社、2020年、302頁、2,400円
本書は、生物学の研究者である著者が、一般教養の科学哲学の講義を担当した際の内容を中心にまとめたものである。講義も本の構成も、サミール・オカーシャの著した入門書『科学哲学』の章立てに沿って話が展開している。自然科学の論文であれば、導入で過去の論文の骨子を紹介することはあっても、その後は、その論文が解き明かせなかった点に焦点を絞ることによって、過去の成果と自分の成果を明確に区別する。おそらくは、この本も、同様な形式をとることにより、最初にオカーシャの考える科学哲学を紹介し、その不十分な点を指摘して以後の章で自らの新しい科学哲学を展開する、という書き方もできたはずなのになぜそうしなかったのだろうか。読んでわかったのは、この本の読みどころは、哲学としての考え方の新奇性だけにあるのではなく、ちょうど手練れの料理人が魚をさばくのを見るように、オカーシャの科学哲学を著者がどのように料理するのか、という点にあるのだということである。考えてみれば、文芸評論にしてみても、新しい小説を書くことが目的ではもちろんないし、単なる読書案内でもない。ある素材が与えられたときに、読者が思いもつかないような新しい切り口で、その素材をどのように料理して見せるかが勝負だろう。その意味で、この本も、著者の料理の手さばきを楽しむ本である。主に使う包丁は二つ。一つは、従来の科学哲学が、科学と称しつつ実際には主に物理に目を奪われていたのに対して生物学の視点を持ち込んだこと。もう一つは、科学を完成形としてとらえるのではなく、継続的な(おそらくは終わりのない)努力を必要とする動的なイメージとしてとらえたことである。実際には、この二つは、表裏の関係にある。物理学は、少なくとも中学・高校のレベルでは完成されており、10年で教科書に記載された事実がひっくり返ることはない。しかし、10年前の生物学の教科書には、嘘がたくさん書いてある。物理の視点から見ると美しい完成形とも見える科学も、生物の視点から見ると、不十分な一次近似にしか過ぎない。その近似の精度を少しずつ上げていくのが科学の営みであると考えるのが一般的な生物学者だろうし、その感覚を科学哲学に持ち込んだことこそが著者の見せる新しい切り口なのだろう。その意味では、「科学哲学って何?」という読者にとって、この本が入門書として適切であるかどうかについてはよくわからない。しかし、物事には切り口があり、考え方には視点がある、という極めて重要な点を鮮やかに示していることは確かである。