新しい生物学の教科書
池田清彦著、新潮社、2001年、249頁、1,400円
本書の著者の文章をはじめて読んだのは2001年秋から筑摩のPR誌「ちくま」で連載が始まった「やぶにらみ科学論」においてであった。筑摩書房といえば文学全集のイメージがあるが、実際、編集部にはどうも理系の人間は一人もいないように思われる。明らかに「とんでも本」に属する話が「ちくま」にも数回連載され、しかも単行本にまでになったことがあったが、「ちくま」の編集後記によれば、編集サイドは大まじめだったらしい。そんな中で、「ちくま」に連載の始まった氏の文体は、とことん理詰めで異彩を放っていたのみならず、そのユニークな視点は刺激的で毎回読むのが楽しい。その著者が「新しい生物学の教科書」なる題名の本を出したので、高校の生物の教科書の執筆者の一人として早速読んでみた。予想通りに楽しく読めたが、たぶん、今時の高校生にはちと難しいか、というのが正直な印象である。今の検定教科書は、責任の所在が不明確でつまらない、との氏の指摘はその通りであるが、つまらない理由は検定制度だけにあるわけではない。僕が最初に高校の教科書の原稿を書いたときに受けた批判は、「これでは面白い読み物である」というものであった。 読んで面白い教科書を目指して書いたものにとっては批判の意味が最初はわからなかった。そこで説明されたのは、教科書というものは先生が教える材料とするためのものであり、先生が授業の中で話す部分には面白いストーリーが必要であるが、教科書に求められるのは、そのストーリーの土台となるきっちりとした言葉の定義などのリファレンスとしての機能である、とのことだった。教科書は一人で読むものではないのである。これは、「教科書を」教えるのではなく「教科書で」教えることのできる充分な能力のある高校の先生の場合はその通りであろう、と納得はしたものの、果たしてそのような能力のある先生の占める割合がどの程度なのか、若干不安は残った。話が本筋からはずれたが、いずれにせよ、本書は一人で読むものであろうから、存分に面白いストーリーを展開してよいはずであるし、少なくとも多くの点でそれに成功している。本書の説明のキーワードは「構造生物学」であるらしい。本書で説明される構造生物学的な考え方は、話が抽象論であるうちはきわめて刺激的で面白いが、話が具体性を帯びて細かい実験結果に入ると、論理的な矛盾を内包しはじめるように思われた。これは、現段階では、構造生物学が「生物学」ではなく、「哲学」であることを意味しているのかも知れない。