我が家の床はフローリングなのですが、いつも子供がまき散らかす種々雑多なものに覆われていて、その木の床が姿を現すのは、来客と掃除の際のほんの一瞬に過ぎません。残りの期間は、飛び石のように点在する、ものの置いていない貴重な空間を渡り歩いて移動することになります。机の上に何か大事な書類を置いておいても、妻が積み上げた山から起こる雪崩に巻き込まれ、さらに子供が食事の際に邪魔なものを床におろした挙句、掃除の際には片付けずに一時的に他の部屋に避難させる、などということが頻繁に起こります。次にその書類が見つかるのは、何カ月もあとのことで、これが死体なら立派なミイラになっているころです。書類拉致事件における妻と子供の連係プレーを見ていると、欠点は必ず優性遺伝するのではないかと疑りたくなります。メンデルも気づかなかった第四の遺伝の法則かもしれません。子供のころから整理癖があった僕にとっては悪夢のような事態ですが、妻と子供を前にしては多勢に無勢、世の中の乱雑さは増大すると喝破した熱力学の第二法則の前に敗退を余儀なくされます。
世の中のことがなべて乱雑な方向へ向かう中で、生物が生きている間はなぜ秩序を保てるのか、という疑問は、光合成を含むエネルギー代謝の理解の上では重要です。僕の講義では、必ず学生に「部屋を秩序ある状態に保つ方法は」と聞きます。たいていの学生は「こまめに片づけること」と答えるのですが、たまに「部屋を使わないこと」という答えが返ってくることがあります。前者が、体の秩序を保つ生物のやり方に相当するとすれば、後者は、変化をしない無生物のあり方に相当することになります。椅子も、それに座る人間も、どちらも数日では変わらないように見えますが、椅子が本当に変わらないのに対して、人間は、物質的には入れ替わりながらも同じ見かけを維持しているので、意味合いが違うのです。僕の手の皮膚は、一か月前も今も変わらないように見えますが、物質的にいえば、一か月前の皮膚は垢となってはがれ落ちていて、今の皮膚は新しく作られたものなのです。そのように代謝回転をしながらも秩序を維持し続けるためには、エネルギーを使ってこまめに片づけをする必要があります。これが、生長が止まった大人がほとんど動かなくてもお腹が減る理由なのです。・・・といった具合に、我が家の恥を世間にさらしてまで、講義で学生に生命の秩序とエネルギーの関係を説いています。教育者の鑑ですね。
2013.09.02(文:園池公毅/イラスト:立川有佳)