周囲の人とうまくやっていく上で、人の名前を覚えることは重要ですが、残念ながら記憶力に難のある身にとって、論理的につながりのない名前を覚えるのは至難の業です。論理でわかる例として「子供の姓は通常親と同じだから、親の姓がわかれば子供の姓もわかるぞ」と威張っても、残念ながら誰も感心してくれません。しばらく会っていない人の名前を忘れてもまあ許されますが、最近は自分の研究室の学生の名前もなかなか出てきません。一時は心配して、脳ドックを受診して見たこともあるのですが、あれは、脳の血管障害の検査が主なのですね。脳の機能については、脳全体が委縮でもしていればわかりますが、そうでなければわからないとのことで、異状なし、という結果で終わりました。学生の名前が出ないとは言っても、二三日に一度ディスカッションする学生の名前は覚えていますから、最近は開き直って、ろくにディスカッションに来ない学生の名前は覚えられなくてもしょうがないと思うことにしました。
たかが物忘れと言っても、症状が進むとなかなか大変なようで、家を出たけれど、どこへ行くつもりだったか忘れてしまってまた家に戻るなどといったことになるようです。実験室に行ったけれど、何しに来たのか忘れることがしょっちゅうの身にとっては他人ごとではありません。そのような症状を緩和するために何をすればよいのかをテレビで紹介しているのを見たら、1)手で字を書く、2)同じ道を使わない、ということでした。字を書くのはワープロではダメだそうで、記憶力と指と視覚の協同作業が必要なのでしょう。毎日の通勤などで同じ道を何も考えずに自動的に歩くのもよくないそうです。少しでも新しい道を歩いて、いつもと違う刺激を得ることが大切なようです。
考えてみれば、科学の研究は常に新しい道を歩まなければならないわけですから、常に新しい刺激を受けているはずです。それでも記憶が衰えるのは、日々をルーティンの雑用に追われていることの証明なのかもしれません。もっと、当座の役に立たないような、寄り道を積極的にしなくてはならないのでしょう。昔は、論文を読むときにも、同じ雑誌に載っている別の論文をちらちら見たりしましたが、電子雑誌に移行して論文は検索して読むようになると、そのような寄り道も少なくなりました。世の中が便利になるにつれて、努力して寄り道をしなくてはいけない時代になりつつあるのかも知れませんね。
2013.08.26(文:園池公毅/イラスト:立川有佳)