植物生理学概論 第1回講義
光合成研究の行方・植物の進化と葉緑体の起源
初回はまず最初に、光合成が地球環境、生態系、あるいは人間の文明にどのようなインパクトを持つのか、また過去の光合成研究の歴史と、今後の光合成研究の方向性について概説しました。次に、植物がどのように進化したか、葉緑体の起源を中心に解説しました。初回なので、全ての人のレポートを載せて、レポートとして僕がどのようなものを求めているのかがわかるようにコメントしました。今回は、難癖をつけているように見えるコメントが多いと思いますが、これはあくまで、レポートをけなしているのではなく、今後のレポートの書き方についての意見ですので、お間違いなく。
Q:動物は光合成をなぜしないのか。植物は光合成をするもの、動物は移動能力を持つもの…という定義がなされる以上、動物の中に光合成をするものがいないのは当たり前なのだが、はたして何故なのか。動物も葉緑体を細胞に取り込み、太陽の光が最もよく当たる一部分だけ(例えば、人間だったら頭の部分)で光合成ができるのならば、有益なのではないのかと考えたみた。もちろん光合成がそんなに単純なことではないことは分かっているが、太陽から降り注ぐ大量のエネルギーを無駄にしているのはもったいない…。しかし、考えてみれば私たち人間も植物と同様に、かたちは違えども、太陽を必要としているのである。人間は、光合成をする植物を摂らなければ生きていくことはできないし、太陽に全く当たらないで生活すると病気になる場合もある。そして何より、太陽に当たると気分がよく、元気になれる。つまり、地球に生息するすべての生物は様々な方法で太陽を必要とし、太陽によって生かされているのである。
A:これは、レポートと言うより、エッセーという感じですね。頭で考えたというよりは、頭に浮かんだことを書いた感じがしますので、レポートとしては、そのあたりが今後の工夫点だと思います。例えば、「光合成がそんなに単純なことではない」というのは、具体的には何を意味するのでしょうか。もし、具体的なイメージがあるのでしたら、それについて議論をするとよいレポートになると思います。逆に、もし漠然とした雰囲気で書いただけであれば、そのあたりを注意して、雰囲気ではなく、論理を追うようにするとよいと思います。
Q:「全ての物事は乱雑さを増大させる方向に動いていく。生物は外からエネルギーを摂取する必要がある。」(第1回ハンドアウトより)
植物にとって一定の秩序を保つための生命維持活動は、外部から光エネルギーを摂取する光合成である。主に葉で光合成が行われているのにもかかわらず、なぜ落葉樹は冬になると葉を自ら落とすのだろうか。 落葉樹は夏の間に緑の葉を生い茂らせるが、この時期は晴れの日も比較的多く、日照時間も長いといえる。平らで表面積の広い落葉樹の葉は、夏のあいだ日光のエネルギーを効率良く得ることが出来る。秋から冬になるにつれて気温は下がり、日照時間も短くなるが、夏と同じ条件で光合成の出来ないこの季節は、光合成の主な活動場所である葉は樹木にとって邪魔な存在になるのではないだろうか。夏と同じように緑の葉を維持する力のなくなる秋は、葉にまで栄養を行き渡らせようとすれば栄養不足になって、木そのものが死んでしまうものと考えられる。光合成なしでも一定の秩序を保つ事が出来るのも、木の内部に生命を維持する栄養が蓄えられているか、光合成とは別の形で外部からエネルギーを摂取しているものと考えられる。やはり植物の葉の形がなす意味と同じように、一見乱雑に見える落葉という現象も、生命活動を一定に保つ、樹木が与えられた環境で生き抜くための現象であると考えられる。
A:このレポートのキーポイントは「葉は樹木にとって邪魔な存在になるのではないだろうか」ということに気がついた点です。そこはすばらしいのですが、では、なぜ邪魔か、という点について「葉にまで栄養を行き渡らせようとすれば栄養不足になって」という考察にあと一歩踏み込んで欲しいところです。夏までの間に葉を作ってあるわけですから、葉を作るための栄養なら必要ないはずです。では、何のための栄養でしょうか?これこそ、最初に問題となった「生命を維持するための」栄養なわけです。そして、具体的には、葉を維持するためだけにもエネルギーが必要で、そのエネルギーは葉の呼吸でまかなわれます。光合成をしない葉では、光合成による稼ぎより呼吸による消費の方が大きくなるので、樹木にとって邪魔な存在になるわけです。
そこから、さらに考察を進めるとすると、世の中には常緑樹と落葉樹があります。それは何が違うのでしょうか。冬の間に呼吸によって消費するエネルギーの方が春に新しく葉をつくるエネルギーよりも大きければ、葉を落とした方が得ですが、逆に葉を新しくつくるエネルギーの方が大きければ、そのまま葉をつけていた方が得になります。これがいわば常緑樹と落葉樹の差を作っているわけです。
Q:この講義で疑問に感じたのは、葉緑体の遺伝子がなんのために核の遺伝子に移行するのかということである。まず、葉緑体を持つシアノバクテリアは宿主の二酸化炭素などを光合成に利用し、宿主はその光合成産物を受け取るために細胞内共生が起こった。しかし、シアノバクテリアが宿主の細胞内で分裂したり、共生が寄生という形に変化したりするのを防ぐために、宿主は葉緑体の遺伝子を徐々に自らの細胞核に移行させ、その光合成の能力を有効に活用できるようにしたのだろう。また、シアノバクテリアが共生体として宿主に入るときに、第一段の遺伝子移行さえも起こらなければ、葉緑体は独自の遺伝子を持つので、宿主が分裂するときに葉緑体も一緒に増えることはないものと思われる。ハテナ(Hatena arenicola)が分裂する際、片方が葉緑体を失うのはそのためだろう。つまり、宿主の細胞核に葉緑体遺伝子が移行していないと、葉緑体を遺伝という形で発現させることができないので、どちらか一方にしか葉緑体が残らないはずである。
A:このレポートのキーポイントは、核への遺伝子移行の理由を葉緑体の増殖と関連づけて考えた点でしょう。ただ、遺伝子移行が起こらなかった葉緑体は「一緒に増えることはない」という考察だけなのがあと一息という感じです。もし遺伝子移行が起こらなかったら、逆に葉緑体が勝手に増えることだってありそうですよね。その場合、細胞分裂の周期を葉緑体に合わせて調節する、という戦略もありそうに思えます。そのあたりの可能性を考えてみるのも面白かったように思います。
Q:マーティンの鉄仮説について: 一部の海洋で鉄不足が植物プランクトンの発生を妨げている。これは、鉄を含むシトクロムが光合成の電子伝達の過程に関わっているためである。鉄仮説を実証するための実験によると、鉄を海洋にまいた直後はクロロフィル濃度が上昇するが、時間が経つとクロロフィル濃度はもとに戻る。この実験が実現できた背景に地球環境問題があるが、鉄をまくことで植物プランクトンが増殖し、光合成によって大気中の二酸化炭素を吸収した後、死んで海底に沈むことで大気中に存在する二酸化炭素を減少させるということであると考えられる。しかし、全ての植物プランクトンが海底に沈むとは限らない。むしろほとんどは海底にたどり着く前に分解され、二酸化炭素を大気中に戻すことになる。例え鉄を海洋に定期的にまき続けたとしても、クロロフィル濃度を一定に保つことで光合成を促進し続けられるが、鉄を海洋にまくことで海洋の二酸化炭素吸収を増やし、大気中の二酸化炭素濃度を下げることは基本的に不可能であると考えられる。
A:このレポートでは、きちんと論理的な考察がなされていますが、講義で紹介した大筋からあまり離れていないのが残念です。もし可能であれば、他の人が思いつかないような独自のアイデアが欲しいところです。例えば、マーティンの鉄仮説に基づいて、何か新しい二酸化炭素吸収策を考えつかないでしょうか?思いついた策が突拍子もないもので、実際に行なうのは難しくてもそれは構わないと思います。そこを出発点にしてよりすばらしい案を思いつくかも知れませんから。
Q:講義の中で葉緑体の祖先であるシアノバクテリアはもともと内膜と外壁の二重膜構造をとっているため、取り込み主の細胞膜に包まれて共生を果たしたという考えは難しくなったという話を聞いた。ではどのように真核生物の中に入り込んだのか。まず古代の状況を考えてみると、シアノバクテリアの祖先は30億年前に誕生し、一方原始的な真核生物は18億年前である。ここから生態ピラミッドを想像するとシアノバクテリアの量が圧倒的であり、それは自動的に底辺に位置することを意味する。よってここに捕食関係があったと推測できる。また自然淘汰によりだんだんと真核生物の消化に耐性を持つ個体が存続していくと考えられ、消化されない個体も出現する可能性がある。さらに
“バクテリアは異種に関わらず遺伝子を伝達する性質がある(Wakeford)”。よって宿り主の核に侵入し、だんだんと遺伝子が移行していくのは自然なことのように思える。このようにして共生のプロセスが推測できる。しかし三重膜を持つ葉緑体も存在することから一概には定義できないが、共生とは異物を体内に受け入れるという危険きわまりない現象であることから、冒頭のプロセスが存在したとしても何らかの過度なストレス状況におかれた場合であろうと考えられる。
参考文献:
ウェイクフォード・トム 遠藤圭子訳 共生という生き方 微生物がもたらす進化の潮流 シュプリンガー・フェアラーク東京株式会社 2006年4月24日
原島圭二 光合成細菌の世界 共立出版株式会社 1994年5月26日
A:もしかしたら僕の言い方が誤解を招いたかも知れません。細胞膜に包まれて共生を果たした、という考えが難しくなったのではなく、葉緑体が二重の包膜があることを単純な共生によって説明することが難しくなった、と言いたかったのです。それはさておき、このレポートの場合、やや主張のポイントがつかみづらい所があります。それは、最初の出発点になる疑問「ではどのように真核生物の中に入り込んだのか」がやや漠然としている点にあるように思います。その前文では「膜に包まれて」という点が議論されているので、物理的な侵入過程が議論の対象になると考えて読み始めると、補食関係の話になって、次に遺伝子の移行の話になります。それらの相互関係を明確に示すとすばらしいレポートになると思います。
Q:私はなぜ先進国は無尽蔵に降り注ぐ太陽光を利用した発電システムを開発しているのにその発電様式を社会に普及させないのだろうと思っていたが今回の講義を受け、高い導入費にもかかわらず効率が現存する発電様式に比べ大幅に劣っているという事実を聞き、納得した。確かに導入費が高くつくにもかかわらず効率が悪いというのは、資本主義国家が多い現代では発電様式を普及させないことの理由となるだろう。経済成長がマイナスに向かうのは良くないからだ。しかし私は温暖化の影響が台風や感染病、環境の変化などの目に見え、肌で感じられるほどのレベルまで顕在化してきた今日、コストがかかる、まだ利用価値はある、といった戯言に振り回されてはならないと考えている。そのためにはこういったお金がかかり、現在の生活基盤を大幅に変更する時には大胆だと思えるような変革をすることが出来る理系上がりの人が政治や社会の中枢にいることが研究者とは別に必要だ。私は今まで政治や社会といった物事に興味を持っていなかったが、今回の講義を受け色々と考えていくうちにこのような将来の職業もあるのではないかということに行き着いた。
A:これも、もしかしたら誤解を招いたかも知れません。実用化された太陽電池の効率はおよそ2割ぐらいですが、その効率自体が導入の主な障害ではありません。講義では、いわば「薄い」光エネルギーを集めるために大きな面積を必要とする点を強調したつもりだったのですが。さて、レポートとして考えた場合、社会における科学の位置づけというテーマはよいと思うのですが、やや、自分の頭に浮かんだことを書いている印象を受けます。例えば、実際に理系の人間が政策立案の場にいた場合に、文系の人間とどのように判断が異なるのか、その異なり方は、文系の人間の周りに諮問委員会などのかたちで理系の人間がブレーンとして加わる場合と違うのか、といった点にまで踏み込めると、レポートとしての考察と言えるでしょう。
Q:Plant morphogenesis is the development of structural features of a plant. A common example of this is the difference in form between a green bean grown under light and one grown without the presence of light. Under the presence of light, the green bean sprouts the typical shot with two green leaves to begin the process of photosynthesis. However, in the dark, the bean grows into what is known as a bean sprout. As there is no light to produce chlorophyll, the sprout is white, long, and does not have leaves. Ultimately, genes are the main factors in controlling the structure of a plant. It may be possible that environmental factors, such as light, mineral uptake, and temperature, as well as other factors, can activate certa in genes in synthesizing proteins and enzymes that initiate and regulate the development of parts of the plant. Thus, genes to synthesize proteins that work in producing chlorophyll and leaves are not activated in bean sprouts as there is no presence of light to do so. However, what if a sprout with mature leaves, initially grown in light, was then left to grow in the dark? While the leaves will shrivel without the presence of light, would it begin to grow into a bean sprout? Likewise, would a bean sprout, when grown under light, revert to being a properly structured plant with leaves and chlorophyll? I do not think a plant can morph and hold a different structure without keeping some of its ‘previous’ features while developing. During this development stage, I believe the change or removal of a part of a plant can in turn affect the growth of other parts of the plant, and thus the plant would develop a mixture of features from both the ‘previous’ and post-morphogenetic plant.
A:このレポートの主張のキーポイントはいわゆる「履歴効果」でしょう。履歴効果とは(英語ではhistory effectでしょうか)、現時点の環境だけではなく、時間的にさかのぼった環境が、現時点の物質や現象に影響を与えることを言います。もしくは、「可塑性」をキーポイントとして考えることもできるかも知れません。可塑性(plasticity)はいったん構築された系が、どの程度変更可能かの程度を指す言葉として考えることができます。いずれにしても、主張の論理はしっかりしています。あとは、もうすこし独自性があれば、と言うところでしょうか。例えば、一般論ではなく、実際に植物を明るいところから暗いところに移した時に、何は変わって何は変わりづらいかを具体的に考えてみるとその人なりの考え方がより明確になると思います。
Q:動物と植物の違いは、葉緑体を持つか持たないかで区別できるということが一般的な見解である(光合成ができるかできないか)。しかし、筑波大の研究で、「ハテナ」と名づけられた光合成を行う動物が発見された。ハテナは3/100㎜程の大きさなので(表面積との兼ね合いから)光合成をしても効率よいであろう。では、1.人間のように大きくなった動物は何故光合成がいらないのであろうか。また、2.どうしたら動物も光合成ができるようになるのだろうか。
1. 光合成がいらないというよりは、光合成ができないので体を大きくし、動いてエネルギー源を探しているという考え方もできる。(効率が悪いから光合成をしなくなった・・・ではいまいち納得ができないので)
2. まずは葉緑体を持つことであろう。しかし、例え葉緑体発現の遺伝子を体内に組み込んだとしてもそれが皮膚においてきちんと発現できるかは分からない。または、光合成ができる生物と共生するという方法もあるだろう。しかし、これだと動物自身で光合成ができたとは言えないであろうし、ヒト1人を養えるほどの酸素ができるか疑わしい。そう考えると、前者の方法が(現段階では無理だとしても)1番近い方法かもしれない。
A:最初に一つだけ。講義の中で言ったと思うのですが、人間一人の呼吸を支えるために必要な葉の面積は、人間の体表面積よりもはるかに大きくなります。ですから、少なくとも現在の植物が行なっている光合成では、どうやっても人間の活動を維持できません。さて、レポートとして考えた場合、きちんと考えようという姿勢は感じられます。自分が立てた仮説について、さらに考察するなり、仮説を証明するための実験系を考えるなりするとよりよいレポートになります。例えば、「光合成ができないので動いている」のだとしたら、それを証明するためにはどうしたらよいか、と考えてみるわけです。そこに、考え方の独自性が表れるものです。
Q:物理的に地球のシステムを考えてみると、地球は可視光として入ってきたエネルギーを、植物の光合成で酸素と糖に変え動物の呼吸を可能にし、動物によるさまざまな活動を通して、赤外光として熱を放出している。単純に考えれば、入ってくる熱(エネルギー)と放出される熱がつり合っていれば地球は一定の状態を保つことができ、今日の地球温暖化はそのバランスが保てなくなっている証である。世界規模の深刻な問題となっている地球温暖化の影響要因としてあげられる事柄に、発展し続ける産業にともなって増え続けながら大気中の赤外線をため込んでしまう二酸化炭素や、資源としてまたは土地開拓のために伐採されていく多くの森林地、とくに有害な光(熱)から地球全体を保護するオゾン層の崩壊などがある。これらを挙げてみて、この地球温暖化という問題が、いかに地球のエネルギーサイクルの中のいたるところに問題を抱えているかということが改めてわかる。穴だらけになってバランスが崩れてしまったエネルギーサイクルを立て直すことが課題であることを実感した。
A:これは、講義の内容を適切にまとめてそれに対する感想を述べているので、日本語の文章としてはよいのですが、やはりレポートとしては物足りなさを感じます。感想までの段階では、おそらく10人のうち9人は、このような流れの感想を持つのではないかと思います。もし最後に課題を実感したのなら、その課題を解決するための方策を提案して欲しいところです。方策の段階になればおそらく考え方の独自性が出てくるようになると思います。
Q:今回の講義では、そもそもなぜ植物は光合成をするかを学んだ。生きていくために体内の秩序を保つには、エネルギーが必要不可欠だからだとわかった。そのエネルギーは太陽光をもとに植物が作り出し、太陽光を利用するのに十分な面積を持たない動物がそれを食べ利用するということで循環していた。さらに地球全体としても、エネルギーは循環していることがわかった。空気にも吸収スペクトルという光を吸収する領域が存在する。つまり可視光として地球に太陽から光が入ってくる。一方赤外光として地球からも宇宙空間に長波長を放出している。現在、その入射光と放射光の量が釣り合っていないために地球温暖化が進んでいる。なぜ出て行く分が減ってしまったのだろうか?理由は、ニュースでもよく耳にする温室効果ガス、二酸化炭素であろう。二酸化炭素は空気よりも重く大気圏に出て行きづらい。さらにその名の通り、温室のように熱を外に逃がさない働きがある。このことは実験でも確認できるであろうが、歴史的に考えても明らかである。以上のように放射光の量が減ってしまっている現象をどのように解決していくかが重要だと考えた。
A:講義で言ったのではないかと思いますが、循環するのは物質で、エネルギーはむしろ流れていきます。二酸化炭素の所の記述も少し正確性に欠けるかも知れません。さて、このレポートもすぐ上のレポートと同じで、ある事実の重要性を認識したところで終わりになってしまっています。考え方の独自性を出すためには、そのあとが大事です。
Q:Every living organism needs energy to
survive on Earth. The sun is constantly giving
off this energy. For trees to absorb this
energy, photosynthesis occurs in the leaves,
which are shaped to have to have the maximum
amount of energy with its surface area. However,
not all leaves are shaped the same way, especially
pine needles. Unlike leaves like those from
palm trees and oak trees, leaves on pine
trees are very thin. For this, I feel that
there must be an evolutionary reason. One
possible reason for this kind of leaf to
be possible is that with such thin leaves,
many of them can be located in a relatively
small area on the branch. With many more
leaves, the total of all the energy from
each leaf should be enough for the tree to
live. Also, pine trees are generally very
tall, which allows them to tower over other
trees, obtaining all the energy it possibly
can. Another possible reason is that the
trees want to protect the pinecones that
grow on them. To do this, the tree made leaves
that are needle like, which will keep the
predators away while still being able to
obtain enough energy to survive. These are
some of the possibilities for why pine trees
have such thin leaves, but there are still
many more.
I have one question about your lecture. I
am still learning Japanese, and I was wondering
if it is possible for you to add in english
to the vocabulary terms. It would be very
helpful for me to understand. Thank you
A:このレポートは、葉の形態の進化的意義を考察したもので、講義の内容に関してある疑問が設定され、それに対して考察がなされ、そして疑問に対する回答としていくつかの可能性が提示されています。その可能性は、他の人でも考えつくものかも知れませんが、問題の設定自体も含めて総合的に考え方に独自性が感じられます。これは、僕が求めるレポートの1つのタイプと言ってもよいでしょう。
英語については何ができるか考えてみます。
Q:There were couple topics that drew my interest in this lecture, but the topic that most got me thinking is about the ability of the natural world to sustain its entropy. It was stated that the natural world maintains its entropy by using energy to decrease entropy from its increased state. And this is possible because of the nature of living things to regenerate using energy. But what if there was no such tendency? If living things did not have the ability to regenerate, all living things would have very short life span and there will only exist one generation of each spieces. To think more, if there was no such nature of sustaining its state, nothing might have never existed, because since all things tend to move towards disorder, disorder would not created new life.
A:これは、とてつもなく面白い問題点の入り口まで来ているレポートです。熱力学の第二法則によれば全てのものは乱雑さに向かいます。一方で、生物には秩序があります。では、そもそも、なぜ生物が生まれることができたのでしょうか?この疑問に到達したという点だけで、このレポートは評価できますが、やはり疑問が疑問のままで、その回答となる部分が考察されていないのが惜しまれます。
自然界に、乱雑な状態が秩序ある状態を生み出す例があるでしょうか?例えば、ヤカンの中の水を考えます。何もしなければ、それぞれの水分子は勝手な方向に動いていて、何の秩序もありません。ところが、ガスの炎で下から加熱すると、対流が起こって、一定の方向に水分子が動くようになります。つまり、別に水分子をある方向に動かすようにエネルギーを加えたわけではなく、単に加熱しただけで一定の動きが生じることになります。これは、エネルギーの流れが乱雑さから秩序を生み出す一例で、生物の場合、太陽から地球を経て宇宙空間へというエネルギーの流れが、地球に生命という秩序を生み出したと考えることができます。
Q:植物の系統樹では光合成生物と非光合成生物が混在していて、単系統にならない。しかし、色素体遺伝子による植物の系統樹をみると、単系統になっていて、どうやらシアノバクテリアが祖先のようである。このことの説明としては二つの可能性が考えられる。一つ目は、ある時代に世界の広範囲にシアノバクテリアが存在しており、それを個々の真核生物が取り込み、個別に進化していったため、色素体遺伝子による植物の系統樹は単系統になるが植物の系統樹自体は単系統にならないということである。そして二つ目は、もともと全ての共通祖先である一つの真核生物がシアノバクテリアを取り込んだが何らかの要因によって光合成をする必要がなくなって色素体が失われた、または色素体が欠損した個体が運良く生き残り、それが進化したため、単系統になるはずであった系統樹に穴ができ、光合成生物と非光合成生物が混在しているように見えるということである。しかし、この二つ目の場合、全ての植物が色素体を持っていた時代の痕跡が見つかるはずであるが、それがない。よって、一つ目の可能性のほうが妥当性があると考えられる。
質問:ゲノム情報 ポストゲノムの研究の項の-遺伝子変異の影響の網羅的解析とはどういったことでしょうか?
A:このレポートは、問題の設定、選択肢の提示、考察による結論の選択というかたちになっていて、きちんと考える姿勢が感じ取れます。強いて言うと、結論が至極常識的なところが物足りない点でしょうか。
事実としては、シアノバクテリアの共生(一次共生)自体は、1回限りの出来事であった可能性が強いようです。いろいろな生物群に何度も起こった共生は、全て、一次共生の結果生まれた藻類がさらに共生した二次共生(もしくはそれがさらに共生した三次共生)であると考えられます。この事実の解釈としてはいろいろ考えられます。一つ考えられる理由は、講義の中でも話したように、原核生物と真核生物では転写のシステムなどが違いますから原核生物が真核生物に共生する一次共生は困難なのに対して、真核生物同士の二次共生は比較的起こりやすい、というものです。
「遺伝子変異の影響の網羅的解析」に関しては、講義の最後の方で詳しく紹介しますので、お楽しみに。
Q:第一回目の授業で私が一番興味深かったのはハテナの話だ。ハテナは真核藻類と共生しながら生きていて植物的な生活をしている。分裂すると片方のみが藻類と共生し、片方は無色になり動物的に生活し、ある藻類を捕食すると共生を始め植物的生活を送るということだが、共生する藻類は何故ハテナに捕食されたあと消化されずに生き続けるのか、疑問である。ハテナに共生する藻類は明らかになっていないようだが、私はこの藻類のもつ何らかの性質がハテナの細胞中での共生を可能にしているのではないかと考える。なぜかというと、ハテナ自身に藻類と共生する性質があるのならば、特定の藻類だけとしか共生を行わないより、さまざまな藻類と共生を行えたほうが有利であると考えるからだ。もしこのハテナと藻類の共生についてすべてが明らかになれば、その応用として動物と藻類の共生が人工的に可能になるかもしれない。講義で話の出ていた「葉緑体を持つ人間」は不可能かもしれないが、有意義な使い方をすれば、温暖化の抑止にも役立つのではないか、と考えてしまう。
A:このレポートでは、共生を可能にする性質が宿主の側にあるのか、共生体の側にあるのかを論じています。面白いポイントだと思います。きちんと根拠を上げてどちらであるのかを考察していますし、考え方にも独自性が感じられます(これまでこのような観点の質問and/orレポートを受けたことはありません)。レポートとして合格点でしょう。ただ、後半の2文は感想の範囲に留まっていますね。
Q:光合成を行う際に必要な、光エネルギーを供給している太陽。また講義で習ったように、現在人間が使用している主なエネルギー源である、天然ガス、石油、石炭、そして水力は全て太陽からのエネルギーの賜物である。その太陽が放つエネルギーは莫大なものであるにも関わらず、人間は大いにその恩恵を活用できていない。このレポートでは、太陽エネルギーの効果を調べ、それをどのようにしたら主要なエネルギーに出来るかを考えてみようと思う。
桑野幸徳著の"太陽電池を使いこなす"によると、地球に到達する太陽エネルギーは毎秒約30兆キロカロリーであるという。2005年の世界の年間エネルギー消費量は約105.4億toeである(BP統計)。これをカロリーに変換すると105400兆キロカロリーになる。これと、太陽エネルギーを比べてみると、講義で習ったとおり60分間分(108000兆kcal)で十分まかなえる。しかしこれは、太陽光があたるのは地球の半分であり、その全てに効率が100%の太陽電池を敷いた場合の話である。現実的なことを考えれば、1年で消費されるエネルギーと同等の量を1年かけて生成すればよい。ならばどこに太陽電池を設置すべきか。砂漠のように雨が少なく、また人々の生活に支障をきたさないようなところに置けばよい。1991年の国連環境計画の報告によれば、世界中の極乾燥の砂漠の総面積は9.78億ヘクタールである。極乾燥地では1年で、数日雨が降るか降らないかという。
ここで、どれだけの面積の太陽電池(効率:20%)を設置すれば、1年分のエネルギーをまかなえるかを考える。極乾燥地に雨が降る可能性を考慮し、日照日を1年の約9割である330日で計算する。1日の日照時間を12時間として、地球の面積を510億ヘクタールとする。すると、xの値は約0.31になる。単位は億ヘクタールであるので、極乾燥地の面積と比べると3%弱になる。これはとても希望のある数字だと思う。さらに太陽電池の下に自然放電の少ないバッテリーを設置し、蓄電すれば1年分の消費エネルギーはまかなえるのだ。このように、太陽からのエネルギーは膨大であり、化石燃料の消費に歯止めをかけることが可能であることがわかった。しかし実際問題、コスト、計画性、スケール、それに太陽電池の寿命などを考えると太陽エネルギーが1年分のエネルギーをまかなえる日がくることはとても難しいことなのかもしれない。
A:このレポートは、設定した問題に対して、調べた結果に基づき定量的な考察を加えており、高く評価できます。いわゆる「環境問題」に関する言説には、定性的、場合によっては感情的なものさえ多いのですが、科学として扱う以上、このレポートにあるような定量的な考え方は必ず必要だと思います。
おそらく太陽電池の泣き所は、風力発電でも同じですが、自分の好きな時に発電できない、つまり発電量を調節できない点でしょう。蓄電池(バッテリー)というものはありますが、これはあまり効率のよいものではありません。貯めておけないものの生産量を調節できないというのは致命的です。もしかしたら、太陽電池の普及に必要なのは、より高い効率の太陽電池ではなく、より高い効率の蓄電池である可能性もあります。