植物生理学 第2回講義
オルガネラのゲノムと葉緑体の起源
第2回は、植物の起源について考えてみました。原核細胞と真核細胞、オルガネラの位置づけ、植物の系統、といった点を紹介しました。また、筑波大の井上先生のところで発見された「はてな」についても紹介しました。今回の講義に寄せられた意見の中からいくつかを選び、必要に応じてそれに対するコメントを以下に示します。
Q:今回の講義で私は共生について、興味を持ちました。生物の進化は単細胞である原核生物から始まり、何十億年もの間は原核生物のみの世界でした。細菌は宿主へ入り込むことにより生き延びることができるようになり、また宿主は細菌の働きによりエネルギーを効率良く取り入れることができるようになりました。本来、細菌は自身がより生き延びることができるように、他の細胞へと入り込んだ結果が、今の真核細胞への進化だと考えていました。しかし、ふと細菌は自身の増殖をする必要はないのかなと思いました。どんな生物でも、増殖することにより多くの子孫へ自らの遺伝子を伝えて残していきます。しかしミトコンドリアの場合、母親の遺伝子をそのまま受け継いでいるということは、新たな有能な子孫を残していけないのではないかと考えました。また、ウィルスなどは宿主へ入る込むことにより、自身の増殖をし、最終的には宿主を破壊して出て行くものもいます。しかしミトコンドリアや葉緑体が異常増殖して、細胞を壊す事はありません。生き延びるために選んだ共生という道は、もとの細菌にとっては最善の方法だったのかなと思いました。 宿主の細胞と細菌は、始めは共生することにより互いが生き延びることができる関係を保っていたのかもしれませんが、現在の状況を見ると、進化の途中で宿主の細胞が細菌の働きをうまく利用してきた結果のように感じました。
A:ある程度きちんと考えていますね。このあたりは、葉緑体と講義の中で紹介したアピコプラストを比較して論じれば、もっといろいろと考察することができると思います。
Q:この2回の講義の中で、様々な生物同士の共生が取り上げられてきましたが、それらの共生は2タイプに分かれているように感じました。渦鞭毛藻とタコクラゲ、褐虫藻とサンゴ、ハテナ、それぞれの共生相手への生活依存度には明らかな差があります。共生相手がいなくなると、もう一人では生きていけないタイプと、環境に応じて共生と独立を選択できるタイプとに大別できるとすると、サンゴとタコクラゲは前者、渦鞭毛藻と褐虫藻とハテナは後者に属すると思われます。エルニーニョ現象の影響により水温が上昇すると、サンゴが白くなり、やがて死んでしまうことがありますが、これはサンゴの色となっている褐虫藻がより良い環境を求めてサンゴから独立して行ってしまったからだとされていますし、タコクラゲは触手が退化して自ら餌をとれないので栄養供給源の渦鞭毛藻がいなくなると生活できないと考えられるからです。ならば、前者のあなたなしに生きてはいけないタイプはさっさと相手を取り込んでオルガネラにしてしまえばいいように思います。実際、クリプト藻類のように真核同士の進化共生体もありますし、 まだその段階に到達していないのだと考えました。
A:二次共生の方は、過去に終わってしまった話ではなくて、現在も進行中のように思えますから、結局、まだ進化の途中段階にいて後戻り可能なものと、共生に関しては進化が完成して後戻りができないものとがある、ということなのでしょうね。
Q:「はてな」の分裂様式から、藻類が細胞に取り込まれ、共生するまでの過程を考察する。まず、「はてな」は光合成生物の進化のいづれかの過程に位置するのか、または全く別の経路を辿ってきた生物であるのか、ということを考える必要があるだろう。葉緑体が藻類の共生によるものであることを考えると、取り込んだ初期の状態では藻類は藻類としての性質、また一個体としての性質を失っていないので、細胞分裂の際にはhostの分裂に同調することなく「はてな」のように、娘細胞のどちらか一方のみに分配されると考える方が自然である。よって、「はてな」は細胞が葉緑体を得るまでの進化の途中段階にある生物と言えるのではないだろうか。
次に、細胞が藻類を取り込んでから完全に共生する、すなわちオルガネラとしての葉緑体を得るまでに乗り越えなければならない課題について考える。
1) host側の遺伝子に、特定の藻類は捕食しても消化、排出しないという遺伝的仕組みを確立する。
2) 葉緑体側の遺伝子を徐々にhost遺伝子に移動させ、単独では生きていけないようにする。つまりある程度host側でコントロールできるようにする。
3) 葉緑体が光合成によって得たエネルギーを個体の生命活動に利用するための酵素などをコードする遺伝子を獲得する。(例えば、合成されたグルコースをミトコンドリアまで運ぶ機構などである。)
まだまだたくさんあるだろうが、これらをクリアーして共生に至ったと考えられる。
A:今回「はてな」に関してたくさんレポートが来ましたが、これは論点がきちんと整理されています。ちょっとわかりづらい点は上記の1で、これは藻類(葉緑体)を宿主と同調して分裂させることができるようになったら必要ないわけですね。そのあたりを区別して書くとよいと思います。
Q:今回の講義から私がまず考えたのは、なぜ共生体の遺伝子が宿主の核に移行するのかです。それは宿主が共生体に依存する部分を減らし、共生体の異常増殖を抑制したり、働きをコントロールして自身に有利なようにしたりするためだと考えました。そうであるならば、移行した遺伝子を制御する機構が必要ですが、これは新たな遺伝子の獲得によってできるのではないかと思います。なぜなら、先ごろの研究で植物の遺伝子数が哺乳類の遺伝子数に比べて非常に多いということが明らかになっているためです。これは宿主の核に共生体の遺伝子が移行したことによるのだろうと思いますが、一部は新生したものである可能性もあるのではないでしょうか? これらの考えは根拠がなく、推測の範囲を超えません。しかし、その正否については、マラリア原虫と系統的にそれに近い生物の遺伝子を比較してみればある程度判断できるのではないかと考えました。つまり、マラリア原虫の遺伝子からラン藻由来だと思われるものの発現調節をしている遺伝子を見つけ出し、系統的に近い生物がその遺伝子を持っているかが調べられれば分かるのではないでしょうか?
A:すばらしい。実験事実からある推測をして、その推測を裏付けるための実験系を考える、というのは研究の王道です。
Q:ハテナは細胞分裂時に一方の個体へ全ての葉緑体を渡す。他方、葉緑体を持たない個体は時間をかけて、捕食した藻類を葉緑体という地位に定着させていく。このシステムは種を保存するための保険であると考える。すなわち、ハテナは葉緑体を受け取る個体を自らのクローンとして保存することで無難に子孫を残し、もう一方の個体に藻類の捕食を行わせることで環境の変化に僅かながら対応している。後者の個体は仮に地表に届く光の波長に偏りやズレが生じても、その波長にあった同化色素を持つ藻類を捕食することで生きることができるだろう。ハテナの、無性生殖の短所を補おうという意思が窺える。
A:これもすばらしいですね。保険という概念は、斬新です。「多様性」というのは生態学で重要な概念ですが、1つの種に光合成生物と非光合成生物という非常に大きな多様性を持たせているという考え方は見事だと思います。ただ、「意志が窺える」という言い方は、人によっては擬人化であるとして嫌います。
Q:共生とは他の生物から養分や危険からの保護などの利益を得る代わりにその生物にとってなんらかの利益を提供するといった異なる生物間の相互依存関係のことを指す。また、寄生という現象もありこれは片方のみが利益を得、相手方が不利益を被る場合を指す。この共生と寄生は別の現象とみなされたが関係する生物相互の駆け引きのバランスによって双方が得る状態(いわゆる相利共生)、片方が利益を得るがもう片方には害も益もない状態(いわゆる片利共生)、片方が利益を得てもう片方が被害を受ける状態(いわゆる寄生)がそれぞれ連続して移行しうる例が多く見つかっており互いにはっきりと分離できないことがわかった。それではなぜ共生を行うのだろうか。藻類と菌類が単独では生きていけないような最悪の環境条件におかれた時は合体し、1つの共生体となる。また地衣類はマイナス83℃の液体酸素に入れられても、真空状態におかれても生き伸びることができる。よって単独の生命では到底不可能なことを共生することによってやってのける力を得るのではないかと思った。
A:単独では生きていけないところで共生するとなぜ生きていけるようになるのか、そのメカニズムについて推測することができたら、さらによいレポートになったでしょう。
Q:いままで光合成という現象は二重膜で覆われた葉緑体か,シアノバクテリアのようなクロロフィルを細胞質内に持つような生物でしか行われないと思っていた。また,植物細胞の起源についてはまったくしらなかった。そのため,今回の講義で出てきた三重葉緑体膜をもったユーグレナや,まだシアノバクテリアのような構造をもったクリプト藻類はかなり衝撃的だった。 そもそも彼らはなぜ共生という道を選べたのだろうか。細胞内での現象は全て化学,もしくは物理的な反応で,進化についても同じことが言え,すべては偶然の重なりの中で成り立っている。現存の植物を見る限り,共生のためにはまず,分裂の制御が必要である。また,オルガネラの分裂に必要なたんぱく質を得るために,オルガネラ内のDNAを翻訳する機構が必要で,それには真核生物と原核生物の遺伝子転写システムを同じにさせる荒業を成し遂げなくてはならない。現在よりも環境が厳しく,生存が困難だった原始の地球において,これらがなされたことは興味深い。また,生存を脅かすほどの,今の地球上ではとうてい起こりえない急激な変化が,生物の遺伝子にも影響をあたえ, 二つの細胞の共生という奇跡がなされたのであろう。これらを考えると,筑波大学が発見した「はてな」はどうも納得がいかない。言及するときりがないので,動物的な特徴を持ったほうの細胞が,藻を取り込んで共生するという点に着眼してみる。ファゴサイトーシスのような作用によって藻類は細胞内に取り込まれることが予想されるが,通常このようにしてとりこまれた物質は細胞内で分解され,それ自身の栄養になる。しかし「はてな」においては取り込まれた細胞は細胞質内に残り,それまでと同じ光合成を行う。つまり,取り込む際には相手に影響をほとんど与えないようにしなければいけない。このことから,「はてな」の細胞膜上には藻類の細胞壁を構成している成分と特異的に結合する受容体が存在し,これが自らと共生可能な藻類を見分けているのではないだろうか。もしかすると,その機構は,人などの高等動物における免疫学的な寛容と類似しているかもしれない。
A:「シアノバクテリアのような構造」というのはペプチドグリカン層のことですか?だとしたら、クリプト藻類ではなくて灰色藻類です。文章がきちっとしていていいですね。
Q:今回の講義で一番興味を持ったのは,ユーグレナの三重葉緑体膜です。考えられるのは,二回共生をして膜が一枚なくなったか,膜融合したか,最初二重膜だったものが一枚ふやしたか,です。私は,二回共生をして四重膜になったものが一枚なくした,もしくは融合したと考えます。膜のメリットは表面積を稼ぐことですが,デメリットは効率が悪いことだと思います。例えば,ミトコンドリアの内膜と外膜は非常に異なる形質をもっています。内膜より内側はマトリックスであり,内膜と外膜の間は膜間腔で,二つの区画に完全に分けられています。膜間腔は,活発な呼吸をしたときはより広い区画となります。それに比べ葉緑体の外膜と内膜は,内膜の方が透過性が低いなどもちろん違いはありますが,外界との仕切りが主な役割です。光合成装置の大部分は,光吸収色素や電子伝達系,ATP装置を含め,チラコイドに存在しています。これより葉緑体の膜を増やしたことにより,効率が悪い方,つまりデメリットが大きい,と考えました。膜を増やすと,たんぱく質などが葉緑体中にはいる場合,たくさんのたんぱく質膜透過装置が必要です。 また,葉緑体はミトコンドリアのように多くのひだがあるなど工夫がないため,それほど表面積を稼ぐ必要にせまられていない,と考えました。ここで四重膜はなぜあるか,となります。共生していない細胞に一回共生したものが共生したと考えると,葉緑体以外のオルガネラ,たとえばヌクレオモノフが必要だったからではないかと思います。また,二回共生のものが少ないのはやはり非効率的だからだと思います。しかし結局は,三重膜の構成たんぱく質が全てわかり,二重膜や四重膜と比較すれば,はっきりすると思います。
A:膜の問題は非常に重要です。進化の過程で、膜はほとんど増えたり減ったりしていないように見えます。増えたように見える場合も、共生や、二次共生のように、別々に存在した膜が組み合わさった場合が多く、膜が新生した例はほとんど見られません。その意味で確かに三重膜というのは非常に奇妙です。また、構成タンパク質を見ればはっきりするはずだ、というところも、きちんと方法を提案していていいですね。
Q:共生では、宿主となる細胞が侵入してくる細胞よりも大きければ大きいほど共生が起こりやすくなる為、繊毛虫のように幾つもの細胞を同一細胞内に共生させている生物が存在するのではないかと考えました。この理由についてですが、二細胞間の大きさに差があればあるほど、宿主側からすれば、取り込んだ場合に膜(宿主の細胞表面と、オルガネラ周囲を取り囲むもの)の面積の増加よりも体積の増加度が小さくなると直感的に想像できます。共生させる細胞数が多いほど、生体反応に利用される膜の表面積が稼げ、ATP合成量が増加して宿主側は有利になると考えました。 また、このような共生でできる二重膜の間には空間が存在していますが、これは二者の膜上に突出しているタンパクが非自己の膜と接触するため、必ずできてしまうものだと考えました。この空間とオルガネラの内膜内にできるプロトン勾配などを上手く利用してATP合成を行っていることにも無駄の無さを感じました。
A:これもきちんと論理的に考えていてすばらしいですね。確かに、表面積と体積の関係を考えると、小さなものを数多く共生させた方が得になることになりますね。
Q:今回の講義を聞いて一番興味を持ったのは、やはり共生についての話だった。光合成能をもつ原核生物を細胞が取り込んで…という共生説についてはある程度知っていたが、二回共生や光合成能の消失などについては初めて知った。その中でも興味深かったのは光合成能の消失の話。ミトコンドリアを全ての細胞がもっているのは、好気的条件下ではミトコンドリアをもつ細胞のほうが、もたない細胞よりもエネルギー効率がいいので生き残ったから、と考えられる。しかし葉緑体を考えたとき、光合成を行えるか行えないかの二択だったら行えるほうがいいはずだ。それでも従属栄養の渦鞭毛藻やマラリア原虫は光合成能を失っている。たしかに外から栄養を摂れるのであれば葉緑体は必要ないような気もする。そこで自分が考えたのは、葉緑体の突然変異による光合成能の消失、あるいは低下だ。これにより、自らエネルギーを生産できなくなった生物は、外からのエネルギー摂取に頼らざるを得なくなる(こう考えると光合成能の消失というよりは、段階的低下の末消失というほうが現実的に思える)。 このとき、外からのエネルギー摂取という方向性に適応しきれなかったものは死滅し、適応できたものが現存する渦鞭毛藻やマラリア原虫なのではないだろうか。問題なのは、少数であるはずの適応できたものが現在までの競争の中を勝ち抜けたのか、ということ。しかし少なくとも、宿主と葉緑体の関係が今ほど確立されていなかった時代ならば、葉緑体の突然変異による光合成能の消失は十分に可能性のある話なのではないだろうか。
A:寄生したから光合成を失った、と講義の中では説明したわけですが、光合成を何らかの形で失ったのが先で、その中で寄生したものが生き残った、という説ですね。面白いと思います。ただ、変異というのはあまり大集団では起きないので、生き残るものが少数であることを考えるとそのあたりが問題でしょうね。
Q:ほかの生物の体内で共生しているミトコンドリアや葉緑体についてこれらの生物は、宿主に共生すると自らのゲノムの一部を宿主のゲノムに委託している。このことから、私はウィルスの寄生機構によく似ていると思った。ウィルスは宿主細胞に入り込むと自分のゲノムを逆転写酵素などを使って宿主細胞の染色体に入れ込んだりする。そして、宿主のDNA合成に乗っかって自分のゲノムをも合成させたり転写させたりする。よって一番最初に共生を始めたミトコンドリアなどはウィルスの寄生の仕方で他細胞に入り込んだのではいか?という説をたてたい。ウィルスの宿主細胞への侵入の仕方について、エンベロープを持っているものを見ていきたい。エンベロープを持っているもウィルスなら、宿主細胞の膜のレセプターに対して特異的な膜タンパク質をエンベロープに持っていて、これらが結合することによりエンドサイトーシスや膜融合で細胞膜を通り抜ける。膜をもつシアノバクテリアなどの原核生物なら、何かの拍子にこれらウィルスじみた方法で他の細胞と共生を始めたのかもしれない。
A:確かに、DNAが核に移行する、という結果を見れば、葉緑体の共生も、ウイルスの感染も同じかも知れませんね。
Q:光合成生物と非光合成生物が,植物の系統樹の中で混在することや植物の二次共生を考えると,系統樹分類というものそのものの,弱点が見えてくる.生存競争の中,一方が一方を滅ぼしたり,また共生してみたり,また遺伝子を交換してみたり,そう言った,種内や種間競争の関係性の中で進化が進む.こういった視点が,系統樹の進化論では欠けてしまうように思う.この進化論は,遺伝子の時間経過に因る変異を基にしたり,環境に対応した結果(環境変化に対応または,ある種が,様々な環境へ分散しそれぞれ,独自の進化を遂げた例(ダーウィンフィンチの例が時間を経て互いに交雑不能になると新しい種となる.).
高等な生き物は,単細胞生物のように,生物同士や環境との相互作用で進化する可能性は少ないが,細菌のような核のない生き物は,ゲノムが外界からの影響で頻繁に変異する.また,その変異はcell cycleが,短いので,もし環境中にその変異で大いに適応できたならば,一気に多数派になることもできよう.
また,「細菌の世界では,フリーランサー型のDNA断片が,生物,無生物の状態を行き来しながら進化に対しいろいろ有力に作用する.ウィルスがわれわれの核のある細胞に入り込み勝手な指令を発すると重大な破壊が起こる.(3~5行目)微小生命では新しい組み合わせが常に試みられ,その結果としての進化は細菌意外の生物相の進化にも影響がある.(7,8行目)」このように性は,有性生殖の生物では,その意味が生殖のみと概念が縮小された.このことにより,より変異が起きにくくなったと考えられる.よって,原始的な生物になるほど,系統樹として書き表せにくいことが,この考察でより納得ができた.この系統図のみでは解決できない進化もあることをより思い知った.昆虫や植物,菌類,原生動物界,我々脊椎動物にもこのような(共生進化はあんまり無いと思う.人間も腸内細菌や最近まで日本人も寄生虫と共生してたけど.),樹形図どおりには行かない進化が,出てきたも長いスパンで考えれば,おかしくないと思う.(昆虫だって様々な植物に対応して多様に進化してきた.特に花を持つ植物が生まれてから.)
引用:「L.マーグリス,D.セーガン(田宮 信雄訳),ミクロコスモス−生命と進化−,東京科学同人,1989年,p.79」
A:単細胞生物と多細胞生物では進化の意味合いが確かに違いますね。シアノバクテリアの進化の話は、もう少し後の講義で触れる予定です。