植物生理学II 第4回講義
植物の茎
第4回の講義では水の通導を中心に、植物の茎や幹について解説しました。今回の講義に寄せられたレポートとそれに対するコメントを以下に示します。
Q:今回の講義で茎の役割について教わった。タンポポは花が咲いたあと花茎が倒れ、また実が成熟してから茎が起き上がり、綿毛になって種子を飛ばすというお話があった。これは、花が咲いたときは虫に目立つようにして花粉を運んでほしいためであり、実が成熟しきっていないときは虫にあまり目立たないようにするために花茎が折れるからであるという説明があった。植物は脳がないにもかかわらずこのようなことをどのように考えているのだろう。茎が倒れたりするのは植物の意思であるように思う。花が咲いた後に茎が倒れるなどの現象は、個体によって差がないため、遺伝子にあらかじめ組み込まれていることであると仮定できる。ある状況である変化が起きたときに、個体によって反応が異なってくるかどうかが植物と動物の一番大きな違いなのではないかと思った。
A:生物学専修の学生が「どのように考えているのだろう」などと言っては困ります。ほとんどの生物の反応は、たとえ複雑に見えても、特定の信号に対する特定の物理的応答として記述できます。そして、そのような物理的応答を示す生物が、示さない生物よりもフィットネスが高ければ、そのような応答は集団内に広まるわけです。生物の進化の基礎ですよ。
Q:今回の授業では植物体内での水の引き上げられ方と道管の特徴について学んだ。道管の細胞は死細胞から構成され、その細胞間に存在していた細胞壁が消失して長い菅構造になっているということであった。この構造について考察する。死細胞から構成されるということもあり、細胞壁の消失はアポトーシスによるものであると考えられるが、このように局所的に起こっているのはなぜだろうか。まず、植物のアポトーシスには液胞中に含まれるプロテアーゼが関係すると言われている。そこに、道管を流れてきた水により運ばれたリガンドから始まるシグナル伝達により液胞が破壊され、局所的なアポトーシスが起こるのではないかと考えられる。
A:導管形成のメカニズムを考えているわけですが、導管は全ての細胞に水を供給しているわけなので、全ての細胞が導管にならないメカニズムを別に考える必要があるかもしれませんね。
Q:茎の働きとして、葉・花の配置、貯蔵器官、通導、光合成、などが挙げられる。このうち、貯蔵器官として有名なものにサトウキビやジャガイモが挙げられる。ジャガイモの地下茎は葉や花の配置や光合成には関与しないが、サトウキビは地上に茎があり、上に挙げた働き全てを担っている。貯蔵器官としてサトウキビの茎は有名だが、他の植物の茎と差はあるだろうか。サトウキビはイネ科で、細長い葉と、植物体上部にすすきの穂状の花を付ける。サトウキビの茎は十分に太く、物理的な強度の面では優れており、また葉・花の配置にも問題はないと考えられる。断面図を見ると維管束も発達しているようである。一方、一概には言えないが、草本において茎は葉よりも若干薄い緑色だが、サトウキビは茎の緑色が非常に薄く、葉緑体数は少ないと考えられる。そのため、他の植物と比べ、茎での光合成量は少ないと考えられる。以上より光合成以外の機能では、正確な数値は計測してみないとわからないが、特に違いが見られないように感じる。また、ジャガイモの地上茎は濃い緑色であり、光合成を行っている。そのため、サトウキビにおいてもジャガイモにおいても、貯蔵器官として発達した茎では光合成の機能が制限されるのではないかと考えられる。
A:最後の一文を結論にするのであれば、それに対応する導入を最初に述べて、その間を論理でつなぐようにすると、科学的なレポートになります。現状では、最後に来るまで、何を議論したいのかがわからず、また結論に直接必要でない記述が多く含まれているので、かえって論理がわかりづらくなっています。
Q:今回の講義で、原っぱや冬に葉を落とす秋から冬の針葉樹林などでは光を遮る他の植物が少ない為に茎を持たない植物が生息しているということでしたが、茎では光合成を行なえる為に茎を持つことで無駄にエネルギーを消費してしまうことは考えにくいし、原っぱや冬の針葉樹林でも草などの他の植物や枯葉など光を遮るものは少しはあると思い、茎が無いことのメリットは何かあるのか考えてみた。茎で立ち上がり頭が出ることで風などの影響で折れる確率が高くなるということが思いついた。他の植物や枯葉などと背丈を合わせつつ葉を広げることで安全に光合成を行なうことが出来ると考えた。
A:これは、問題を提示して、論拠を示し、結論しているという意味ではレポートに必要な要素を全て持っています。ただし、論拠が弱いですね。結論と確かに矛盾はしませんが、その他の可能性があるのかないのか、などもう少し自分の主張を裏付ける論理を工夫した方がよいでしょう。
Q:水が茎をあがっていくのが毛細管現象でないことを説明するとき、ハーゲン・ポアズイユの法則を用いた。この法則について、調べてみた。「流量は円管の半径Rの4乗に比例し、長さLに反比例します。円管の形と入り口と出口の圧力がそれぞれ決まると、流量が粘性μのみに依存した値として求まります。」ということだった。この粘性というものが、どういう性質なのか調べてみると、同じ水でも温度によって(動)粘質係数が変化するようだった。水温が30度のとき、10度のときより流量が1.5倍くらいになる。赤道付近の常に温度が高い地域では、蒸散ではなく毛細管現象を用いている植物もあるのではないだろうか。毛細管現象と蒸散を併用するような植物も存在しているはずだ。温度と気孔の数の関係に着目した実験をしてみたい。
参考文献:http://www4.ocn.ne.jp/~katonet/kagaku/water02.htm「水の種々な物理的性質」http://okuma.uunyan.com/category/rheology/hagen_poiseuille_flow/hagen_poiseuille_flow.html「ハーゲン・ポアズイユ流れ」
A:これは、着眼点が面白いと思います。ただ、講義で紹介したように、毛細管現象で水を上げるためには、導管が非常に細い必要があるので、流量が1.5倍になっただけではとてもとても足りません。水の粘性を1/1000ぐらいにする添加剤でも発明すれば、もしかしらなんとかなるかもしれません。
Q:タンポポとカタクリの葉の構造の違いについて考察する。タンポポは他の植物があまり生息しない拓けた場所で生息するため、カタクリは落葉樹林で落葉樹の葉が落ちている時期に生息するため、茎によって葉の背を高くする必要がない。しかしこの二つはほとんど同じ条件であるのに葉の形態は異なる。タンポポはロゼット状に地に這うように葉をつけるのに対し、カタクリは地面から離れるように葉を伸ばしている。この形態の違いはどのようにして生まれたのか。この二つの植物の違いとして環境が挙げられる。カタクリが生息する土壌は、落葉樹林が生息することから、他の生物も生息するのに十分な環境であると言える。落葉樹林でカタクリが生息する時期には同じ戦略を取る植物が他にも存在し、それらの植物の間で競争するために葉が地上から離れる形で伸びたのだと考えることができる。それに比べタンポポは他の植物が生息できない環境で生息するため、完全に光を独占することができたため、最も光を受ける面積を広くするためにロゼット状の葉の形態をとったのだと考えることができる。カタクリは競争しなければならない環境であったにもかかわらず茎を持たなかったのは、落葉樹の葉が落ちている期間でのみ葉を出すため、茎を用いて強い構造を作るよりもできるだけ早く葉を構築し、光を集めることの方が優先されていたためであると推察できる。
A:これは、講義で紹介した2種の植物を比較することによりその戦略の特徴を論じていて、きちんとしたレポートになっています。ただ、一般論としては、ロゼットは冬を越す植物によく見られるので、そのあたりとの関係も考えてみる必要があるかもしれませんね。
Q:今回の授業で、つる植物の茎は支える働きをしなくて良いために茎に占める導管師管の割合が大きいために蒸散速度が速いという話があった。そこで同じことを単子葉植物のイネなどで考えてみたいと思う。イネはほとんどが葉であり、茎と呼べる部分がほとんどないように思える。支える働きを茎ではなく葉全体で行っていると考えられる。よって導管師管の占める割合は少なく、蒸散速度は遅いのではないかと考えられる。また、速度は遅いが、ほとんどが葉のため気孔の数が多いことでそれを補えるのではないかと考えた。
A:これも、視点が面白くてよいと思います。確かに、イネの場合、葉鞘も植物体の物理的支持にはたらいていますが、葉鞘は節のように見える部分から出ていますので、茎がないわけではありません。その茎の部分に注目すれば、物理的な支持を葉鞘に依存できるので、導管篩管の占める割合は高くできる、という正反対な考え方も可能だと思います。
Q:今回の授業では、導管が死んだ細胞から構成されていて、ポプラの木では、呼吸をしている組織は全体の8%程しかないということだった。そこまで死んだ細胞を蓄積してまで大きく成長するメリットはどこにあるのか、死んだ細胞を減らして、その分小さい木として生存できないのか、私は疑問に思った。ポプラについて調べてみると、ポプラの木は枝を地面に対して水平ではなく、斜め上に展開する植物であることがわかった。つまり、葉も水平ではなく斜め上に向かってつくので、葉面積に対して効率よく日光を受けられないことになる。また、地上に出ている幹の根元から、木の高さの割には短い枝を数多く伸ばしている。この状態でも下部の葉には日光が充分に当たるのか不思議に思うが、さらに木が短かったら、他の木に埋もれるなどして今以上に日光は当たらなくなるだろう。多くの短い枝を展開させるポプラにとってより多くの日光を受けることは重要で、そのためには死んだ細胞を蓄積させて幹を長くかつ丈夫にする必要があったのだと思った。
参考文献:GKZ 植物辞典 http://www.t-webcity.com/~plantdan/mokuhon/syousai/hagyou/ho/popura.html
A:ポプラの材では、確かに生きている部分の割合が8%しかないというデータがあるのですが、大木の場合、他の樹種でもそれほど違わないと思います。ポプラの特殊性がどれだけ寄与しているのか、という点については、考える必要があります。
Q:今回の授業は導管について。掃除機のホースに見えるという話があった時に私はアオミドロに見えるなどと考えていました。タンポポの花が綿毛になる瞬間に一度しおれるという話を聞いて、オジギソウなどの傾性を持った植物を思い出した。オジギソウは接触刺激によって幼沈の水分がぬけて柄を支えられずに倒れるという物だったがタンポポは何故倒れるのか。調べた所、調度よく、「タンポポが花から綿毛になるまでの1ヶ月」という動画をyahooトピックスで発見した。これを見るに、パタリと倒れるというよりはアサガオが一度しぼむのに近い動きであった。花がしぼんだ後は額がしおれて、やがて花が開くように綿毛が開くというものであった。傾性という動きではオジギソウというよりもチューリップに近い。
A:これは、結局何がいいたのかよくわかりませんでした。レポートを書く際にには、何らかの主張を論理的に展開することが必要です。
Q:今回の講義では蒸散流や水ポテンシャルについて学んだ。その中で、導管内の水ポテンシャルが通常-2から-3メガパスカルであるのに対し、マングローブは-3から-6メガパスカルであるという話があったが、なぜこのような差があるのだろうか。環境の違いに注目して考えてみた。マングローブは熱帯や亜熱帯の潮間帯に生息している植物である。特筆すべき特徴としてはやはり潮間帯での生息、すなわち満潮時に根が潮に浸ることがあげられるだろう。根が塩水に浸かっていると普通の細胞では塩水に触れているから浸透圧の関係で細胞内の水が外に出てしまう。つまり普通の植物を塩水につけたら根から水が出ていくことにより脱水を起こしてしまう。ではマングローブはどのようにして水を吸い上げているのか。一つの仮説として他の植物と同様に根の表面の細胞の浸透圧を上げることで水を取り込んでいるというものがある。しかし、全て細胞が海水以上の浸透圧を持つとは考えにくい。従って塩分をろ過する機構を持っていると考えられる。さて導管内の水に話を戻すが、たとえ根の表面に塩分をろ過する機構を持っていると仮定しても水を吸収する部分は浸透圧が高いはずである。そこで根から上部に向かって水を輸送するために導管内の水ポテンシャルが低くなっていると考えられる。それに加えろ過機構を持っていてもろ過しきれない塩分が導管内の水に残っており、木全体において水ポテンシャルが低いとも考えられる。
A:考え方はよいと思います。講義で紹介したように、水ポテンシャルは、浸透ポテンシャルと圧ポテンシャルとマトリックポテンシャルの和ですから、どの項が効いているのかを分けて考える必要があります。例えば、ろ過機構を実現するためには、浸透ポテンシャルに逆らった水の移動が必要ですから、浸透ポテンシャルを上回る圧ポテンシャルの差が生じる必要があります。それが、他の植物よりも低い-3から-6メガパスカルというマングローブの水ポテンシャルに反映されているわけです。
Q:蔓は他の植物や岩などに巻きつく戦略をとる。自身を支える必要もないため茎の外側の細胞を殺す必要もない。ではイチゴはどうだろうか。イチゴも蔓状の茎をもっているがその茎は堅くなっている。節の部分から枝を伸ばして葉や花をつける。イチゴは地面を張り巡るように生えている。この生え方から匍匐枝と呼ばれ、茎の堅さは地面を這っていても外界からの撹乱に耐えるための防壁だと考えるのが妥当である。またイチゴは美味しい果実のなる植物でもあるから、蔓のように高いところに伸びることよりも地面に近い位置で繁殖する戦略を考えたのだろう。よくイチゴを食べた赤ちゃんの排便にイチゴの粒が残っているが、このことからもイチゴの戦略が果実中心であることがわかる。
A:題材はよいと思うのですが、論理の流れがはっきりしませんね。流れをはっきりさせるためには、主張を一つに絞った方がよいでしょう。この場合、イチゴの果実が植物全体の形態を規定している、と主張するのであれば、前半の匍匐枝と茎の硬さの関係は、果実との関係の中で議論されるようにすべきでしょう。
Q:今回の講義では導管に関する説明並びに植物が水をくみ上げる仕組みについて学んだ。感想としては、植物内に蓄えられている水は分子間で引き合うことで水を押し上げることができるという凝集力の説明に対して興味深いと感じた。今回のレポートでは「なぜ、導管は内側にあるのか」について言及する。この理由について、私は真っ先に栄養分に比べ水のほうが大切であり、その水を運んでいるのは導管であるためなのではと思った。しかし、導管が死細胞で出来ていて、師管が生きた細胞で出来ていることも原因として関与しているのではと思った。通常、植物は肥大成長する際、形成層の外側にある師部を大きくすることができる。しかし、死細胞である導管が外側にあると形成層の内側が成長してしまうことになる。つまり、肥大成長を行う上で、師管が外側にある必要があるのだと考えられる。しかし、この理由で納得できるものの、双子葉類では導管、師管が連なって位置しているにもかかわらず、単子葉類では点在している。これはどういったメリットがあるのかが説明しきれない。
A:これは、問題点がきちんと定義されており、それに対して解答が与えられていて、その解答のいわば限界までに示されています。最後に、単子葉類のメリットについて、何らかの可能性が提案できると完璧でしょう。
Q:今回の講義では植物の茎の働きについて学んだ。あるテレビ番組でハスの地下茎であるレンコンについて取り上げていた。台風が来ると茎が折れ倒れてしまい、農家にとっては大きなダメージにあると言っていた。またハスの茎の中は、レンコンを輪切りにした時と同じようにたくさんの空洞が空いていると紹介されていた。そこでなぜハスの茎には空洞が空いているのか?なぜ風に吹かれても倒れないように茎の中を蜜にしないのか?という疑問を抱いた。そこでハスについて調べると、水田で育つため葉から地下茎やれんこんである地下肥大茎に空気を送る必要がある。その為にハスの茎、レンコンには空気の通り道(通気孔)として穴が空いているようだ。次にレンコンと私たちが普段食べる地下茎であるジャガイモやサトイモを比較してみると、これらにはレンコンに見られるような穴がない。これはレンコン(ハス)が水田で生育するのに対してジャガイモやサトイモは地中で生息するためであると考えられる。水中では酸素は溶けておらずまた泥にまみれている。一方土中では根が土中の養分と共に酸素を吸収する事に加えて、土の中では微生物が堆肥などに含まれる有機物を分解する事で土の隙間が多くなり通気性がよくなることが関係していると考えられる。
参考文献:http://www.enosei.co.jp/mamechishiki.html
A:論理自体は悪くないのですが、インターネットで得た情報を解釈しただけになっているので、その点が物足りないですね。自分の独自の視点が欲しいところです。
Q:陸上植物の茎は、カタクリ型、タンポポ型、茎ある型の3つの型があると習った。では、水中植物は、陸上植物と比べてみて、どのような茎を持っているのだろうか。水中植物にも、茎があるものとないものがいる。水中と気中の大きな違いは、水中には浮力があるため自分自身を支えなくてもいいということだろう。つまり、しっかりと支える構造は持たなくてもいいということになる。水中と気中に共通する要素は、光合成するために光にあたらなければならないということだろう。つまり、水中植物は水面に近い場所に存在しているほうが有利であることが分かる。さらに、茎のない陸上植物は踏まれるのに強い構造、または水分を摂取しやすい構造をしていたが、水中植物にとって踏まれる心配や水分の心配は皆無と言っていい。また、水中植物にとって水底に草を広げるということは水が光を吸収してしまうため光が届きにくい場所に生息することになってしまう。よって、茎を持つ水中植物はなるべく茎を水面付近まで伸ばすような構造、根が退化し水底から離れ水面を漂う構造になっており、茎を持たない水中植物は葉が水面付近まで成長する構造、根が退化し水底から離れ水面を漂う構造になっていると考えられる。
A:最後の一文は、編集ミスかな?でも、きちんと論理が展開されていてよいと思います。
Q:導管が根から吸い上げた水をどのように体の中に運んでいるのかということで、水ポテンシャルについて学んだ。植物が根から吸い上げた水は、水の凝集力が強いことと、蒸散によって上に運ばれるということは以前教えられた。教えられた当初はなるほどと思っていたが、それだけではどうにも納得がいかなくなった。ある程度渇いた土に生えた植木に水をやるとものすごい勢いで水がしみ込み、吸われていった。このことから水の凝集力と蒸散だけではそのような吸水力(吸引力)は生まれないだろうと思っていた。イメージとしてはストローで液体を吸うような吸引力が他に存在しているのではないかと。しかし、植物体を考えるとストローで液体を吸うような力を出せる器官は無いと予測できる。水ポテンシャルの勾配など数値がいくつか出てきて、科学的な数値で説明がつくものなのだと感じた。水の凝集力が耐えうる引っぱる圧力は直径約0.6mmで?27パスカルと言われていた。この数値は原理的には説明できるようだ。もしその原理が実際に起こっているなら、渇いている土に生えている植物に水を与えると、ものすごい勢いで水が吸い込まれるのは、蒸散や凝集力のためとなる。私が見ていた吸水力は、植物が水を吸っているということもだが、土自体が水分を取り込むことでものすごい勢いの吸水力があるように見え、「植物がのどが渇いているようにごくごくと水を飲んでいるように見えた」のだと考えられる。感想文のようになってしまったが、まず現象をひとつの要素だけでなく周りの環境もよく観察し、つながりを考えた上で仮説やある現象の考察をしなければ分からないと感じた。
A:論理としては、途中で自分でも言っていますが、土に水がしみこむ様子と、植物が水を吸い上げることを、一緒にしてしまっている点が問題でしょうね。前から書いていって、それでおしまい、という印象を受けますが、できたら、最初に全体の論理の流れを考えてから書きだすようにした方がよいでしょう。
Q:植物の茎は植物が生きるうえで非常に重要な部位だと思う。茎は葉を支えている。葉は光により光合成をする。より多くの光を葉に受ければより多くの有機物を生産することができる。林や草むらの内部のように光がそれほど無い環境では、なるべくたくさん光を受けられるほうが植物にとって良い。光がどの方向からも同じに来るようならば葉がどこを向いていようと受ける光量には関係ないが、光に方向性があるときには、光が来る方向に対し垂直に葉を広げるほうが受光量を大きくできる。なので、葉を支えている茎は非常に重要な部位といえる。導管の中を水が浸透していく仕組み・・・細胞死、浸透圧変化、毛細管現象、蒸散など様々な要因によって植物が水を吸収しているということがわかる。アメリカの常緑針葉樹セコイアは100Mを越えるという。でも根は木から45メートルののところまで広がっているが、その深さは1~2メートルにしかならないという、なぜこのような根の張り方をするのだろうか、もう少し根を深く張ればこの巨大な木を支えるのに役立ちそうだが。根を浅く広く張ることで他の植物の繁栄を妨げ、成長しやすくしているのだろうか。
・Mariposa Gloveのこと。(アメリカ大自然紀行)大橋健治 http://www.ken-ohashi.com/america%20mariposa.html
・植物は形で勝負する−光資源獲得のための形− 竹中明夫(国立環境研究所) http://takenaka-akio.org/repro/kagaku/katachi1.html
A:話の流れが前半と後半で途切れてしまっていますね。なるべく、全体を通して論理展開できるようにしてください。また、最後の部分、オープンクエスチョンで終わるレポートは評価できないという点は、講義の最初にアナウンスしてあると思います。
Q:授業で、タンポポが根と葉の間に茎がほとんどない構造で、適した環境で生存していると習った。このタンポポのことを考えたとき、タンポポは根が地中深くにまであることを思い出した。また除草作業の時、背丈の高く、茎がしっかりしているものは意外と根がそこまで地中深くに張られていないという感じがした。このことから、草本では、植物は体を構成するときに、どこかの器官を発達させるために、その他の器官をおろそかにする傾向があると考えられた。このことを証明するために、ある草本群落を根こそぎ刈り取り、根と茎、さらにその他の器官の乾燥重量などを測定すればよい。ある根と茎の乾燥重量が反比例のような関係にあるならばこの仮説は正しいといえる。もし、この仮説が正しいならば、草本の根本的な重量の限界が見えてくる。この仮説の原因となるものは、水ポテンシャルの勾配だ。植物は背丈が高くなるほど、その分だけ水を上部に運ぶための構造が必要となる。ここで、茎に重点をおいている植物は根も長くすると、それだけ水を運ぶのが困難となる。逆もしかりだ。この考え方により、タンポポも説明できる。
A:これは、独自の視点を持っていて、よいと思います。仮説をたてて、そのメカニズムを考え、真偽を確かめる方法にも言及している点が評価できます。
Q:植物体の組織や細胞の生死判定について考えた. 根から吸収された水分の輸送には, 主に道管や仮道管を含む木部組織が携わっている. そして, 木部は柔組織を除いて死細胞により構成されている. 従って, 水分を含む細胞が必ずしも生きた細胞であるとはいえないはずである. それゆえ, 蛍光色素を含む水の吸収により生死を判定する方法では, 機械組織と他の組織のどちらかを判定する事ができたとしても, その組織や細胞自体の生死までは判断できないはずである. そこで, より厳密に植物の細胞の生死を判定する方法を考えた. 生きた細胞では原形質流動が見られるはずである. 又, 樹木の幹は円柱のような形をしている.そこで, 各組織が軸をそって同心円状に存在していると考えて, 水分量のデータをもとに, 生きている見込みのある組織を一部切り出して, これを顕微鏡で観察し, 細胞小器官や核等の有無, 原形質流動などを確認する必要がある. そして樹皮からの距離と細胞の生死判定結果をデータ化して, 樹皮からどの程度離れた箇所に位置する細胞までが生きているのかを厳密に調べることができる. (但し, 切り出す時点で, 植物体に損傷を与えるため, 植物を生かした状態にして継続的に判定したい場合は, この方法は枝でしか使えないだろう). また, 様々な環境下あるいは状態下の樹木を用いて細胞や組織の生死を判定し, 生きた細胞の分布箇所を比較することで, 水分の凍結, 虫や菌類の繁殖などの,それぞれの 植物がおかれている環境に応じて, 個体の生命活動を阻害する要因が及ぼす影響や, それに対する樹木の細部における適応方法などの確認に利用できるかもしれないと考えた.
A:生死の判定法を考えるというテーマはよいと思います。ただ、顕微鏡観察をすれば生きているかどうかはわかると思う一方で、もう少し簡便な方法を考えないと、実用的ではないかな、と思いました。せっかく考えるのであれば、必ずできる堅実で大変な方法よりは、簡便にできる奇想天外な方法を考えてくれた方がレポートとしては面白いと思います。
Q:茎を持たない植物について学んだ。タンポポは場所を選ぶことで、カタクリやフクジュソウは時間を選ぶことによって茎で高い場所を確保しなくても十分な光を確保している。ここで疑問に思ったのが、これらの植物がみな自分の得意な時期以外を地下部のみ、あるいは少量の葉のみで過ごしているという共通点を持っていることについてである。つまり、タンポポはロゼッタ状態で冬を越し、カタクリやフクジュソウは地下部のみで夏の落葉樹が茂っている時期をすごす。その理由について考察してみる。これら以外の茎のある一年草植物について考えてみると、種子の状態で冬を越すものが多い。例としてオシロイバナの種子は固い殻に覆われていて、これが温度や衝撃にたいする防御策なのであろう。茎のない植物がこのような種子をつくらない理由として、殻のある重い種子を支えることができないということが考えられる。わざわざ時間や場所を選ぶことで茎を作らなくても生育できる工夫をしたのに、重い種子をつくってしまえば、それを支えるための茎が必要となってしまい、本末転倒になってしまうと考えられる。
A:きちんと考えていてよいと思います。ただ、多年草も種子をつくりますよね。タンポポの綿毛のついた実が、まさに種子を持っているわけですから、その点も併せて考える必要があるでしょう。
Q:木本類の幹は横方向へ成長するに伴って内側に死細胞を残していく。これによるメリットについて草本類と比較しながら考えてみた。1つ目に考えられるのは、死細胞を残すことで大きな植物体を維持するための物理的強度を確保できるという点。2つ目は古い細胞、老廃物を積極的に体外に排出する機構が必要ない分、エネルギーの消費を抑えられるという点である。リグニンを含む頑丈な細胞壁を持つ木本類だからこそ、内側に大量の死細胞を蓄積してもそれが崩れることがない。また、頑丈な細胞壁を持つからこそ古い細胞を分解、排出することが難しい。ただ、すでにある細胞の外側に新しい細胞を作るとなると必要な細胞数が多くなってしまい、加えて生息環境の変化に合わせて幹の形を変えることも難しくなる。草本類を見てみると、一般的に丈が低くあまり物理的な強度を必要としない。加えてライフスパンは一般的には木本類と比べ短く成長速度も早い。そのため大きなコストを出して太い茎を作るよりも、外環境に適した形に素早く成長するほうが適しているのかもしれない。長い時間をかけて大きく成長する木本類と、短い時間で世代を交代する草本類の生存戦略の違いが、茎の構造の違いにつながったように考えられる。
A:視点はよいのですが、最後の結論の草本と木本の比較が、前半の事実のどこを論拠としているのかが少し不明確のように思いました。必要な情報は与えられているように思いますが、論理の流れをもう少しはっきりするとよいでしょう。
Q:今回は茎についての講義であった。ハーゲン・ポアズイユの式によって道管の毛細管現象では証明できない事例があり、しかし、現に起きている100mを超す巨大樹の道管の現象について、証明可能と思われているのが、水の蒸散の凝集効果である。つまりは空気の水分を奪う力が道管内の水を押し上げているとのことであるが、空気は仮定としてどこまでの長さの道管で水分を持ちあげられるのか。これを考えるにあたり、まず空気は-50MPaの水ポテンシャル、土壌をほぼ0として考えた。水はほぼ重力の割合が占めることになる。つまり9.8mで1013hPaとなるはずであるから、50MPa分となれば、およそ5000mということになってしまう。ただ、これは道管内という条件を無視している値であるから、-50MPaの空気の水ポテンシャルに対して、道管内が-4MPaに収束するとすると、400mの樹木が水ポテンシャル上最大となる。硬質な枝や頑丈な毛細管が作られれば400mの樹もできるかもしれない。
A:他の人が注目していない点を考察していてよいと思います。導管内の-4 mPaという値は実測値ですから、実現しています。その意味で、導管自体はその程度の圧力には十分耐えられるはずです。確かに、400 mとなると、幹自体の強度も問題になるかもしれませんが。
Q:講義の中で,導管は掃除機のホースのような形を取ることによって,葉での蒸散によって生じる陰圧に耐えうるという説明があった。また講義では他に,導管をめぐる水柱が気泡によって乱され,水分子の凝集による上昇が妨げられる可能性があるという説明もあった。以上の説明を聞く中で,ホースのような構造が,気泡による水柱の乱れを軽減する役割を果たしているのではないかと考えた。想像の域を出ないが,気泡が全く生じない構造を取ることは不可能であろう。そして気泡が生じるような箇所は,水が通る限り気泡を生み出し続ける。気泡の発生が不可避であるならば,気泡の発生による影響を軽減する構造をとる他ない。その構造のひとつが掃除機のホースのような構造なのだろう。導管内に生じた気泡は,水柱を上昇する途中でホースの谷間に追いやられ,そこに留まる。そして,谷間を流れる水によって,徐々に小さく削られ,消滅していくというような現象が導管内で起きていることが想像される。
A:目の付けどころは非常に面白いと思います。ただ、もう少し、「ホースの形」という構造と「気泡をなくす」という機能を結び付ける展開に論理性が欲しいところです。現実にそうなっているかどうかはともかくとして、人に「確かにそうなっていたら面白そうだな」と思わせる程度の理屈をつけられるといいですね。