植物生理学II 第5回講義
セルロース、篩管
第5回の講義では導管の話の続きとしてセルロースの役割について説明し、その後篩管とその働きについて解説しました。今回の講義に寄せられたレポートとそれに対するコメントを以下に示します。
Q:植物では木の幹中心部の様に細胞を殺しセルロースに置き換えることによってエネルギーを節約することができ、また動物では細胞修復が出来ないためにこれは行われないと学んだが別の側面から考える。細胞のセルロース化は動物の細胞のアポトーシスとは違い有害因子を取り除くのが目的ではなく、自ら細胞を殺すことでメリットを得るものであるように感じる。これは動物の場合、自己免疫疾患やガンなど殺さなければ浸食され死に至る要因がたくさんあるのに対し、植物の場合血液が流れているわけでもがんが進行することがないからである。更に、植物の場合移動する必要がないので多くの細胞が死に動かなくなることによるデメリットがない。このような点もあって植物は細胞を殺し、セルロースにおきかえることが出来ているのだと考える。
A:動かないという面はその通りかもしれません。ただし、植物にも「殺さなければ浸食され死に至る要因」はあります。代表的なのがウイルス感染で、感染した細胞の周りの細胞をアポトーシスによって殺すことよってそれ以上の感染を防ぐという防御機構は広い範囲の植物に見られます。
Q:植物は大雑把に草本植物と木本植物に分けられる。木化には表面での呼吸がしづらくなる、茎での光合成ができなくなるというデメリットと、植物体を頑強にして巨大化することが出来るようになるというメリットがある。実際に木本植物にはヒトの丈をこえるほどの大きな植物が多く存在する。その場合はメリットがデメリットを単純に上回っているのだと解釈できる。しかし、高さ1m以下のような低木も存在する。僕は高木が生えることが出来ない環境というのが低木を生み出していると考える。高木が生えておらず低木が生えている環境として挙げられる代表的なものは高山だろう。高山の場合、風が強い環境であるため丈を伸ばすと倒れてしまいやすくなるため巨大化しづらいが木化すること自体は自身を守るのに有益である。また、昼夜の激しい温度差や乾燥による影響も木化によって軽減できる。つまり、木化することには植物体を支えるという役割以外にも環境から身を守るという効果があると考えられる。また、普段見かける樹木について思い出してみると幹の部分を覆い隠すように葉をつける傾向がある。これが草本植物であると自重により倒れてしまうだろう。木本植物全般は結果として草本植物よりも効率的な光合成を行っているのではないだろうか。
A:植物体を支えるという役割以外の要因に注目し、観察に基づいて考察している点は評価できます。最後の「効率的」というのは、葉面積を多くすることができる、ということでしょうかね。効率という言葉は、絶対値ではなく、何かの基準に基づくものですから、何を一定にした時の効率化という点が重要だと思います。
Q:師管の転流について学んだ。授業で、糖の移動は、拡散を利用すると とても時間がかかってしまうため、水流を使うとあった。糖の移動が拡散が主の原因でないことを時間がかかる以外で考察するとともに、水流について考察する。水挿しについて考える。ローズマリーなどの一部のハーブや、ツタなどは、枝や茎を切り水挿しをしても根を生やし、生きていくことができる。もし、糖の移動が拡散(濃度勾配の差による糖の移動)であったら、植物の中にある糖がほとんど水に流れ出て、植物は死んでしまう。ただこの場合、転流に水流が必要だとしても、葉から根に向かって進むという水流ではないはずである。(なぜなら、これも水に糖が流れ出てしまうため。)したがって、糖が必要なところに必要なだけ移動するための水流であると考えられる。
A:面白い点に注目しています。ただ、せっかく導管と篩管について勉強したわけですから、2つを分けて議論するとよいでしょう。
Q:植物体の細胞には小胞体とデスモチューブルで栓をされた穴があり、ウイルスがこの原形質連絡をこじ開けることで他の細胞へと移っていくことを学んだ。ウイルスが細胞を破って増殖していく動物と異なり、植物は穴が元からある分侵入されやすいのではと考えたが、もしも植物がウイルスに対する対策を何一つとして持たないのだとしたら、植物の現在の繁栄は難しい。『うろ』は動物でたとえるならば、腕が切断されてしまって回復のしようのない重症であると考えると、植物はウイルスに対する簡易的対策を持っているはずだという見解に至った。そこで、植物が工夫や対策を持っていると仮定して、その具体的な工夫と対策について考察することで植物がなぜ侵入されやすい細胞の形状でありながら生存できるのか考える。
茎や幹の損傷による侵入以外、つまり傷が付いていない状態で自然に内部へウイルスが侵入しうる方法を挙げると、葉と根が考えられる。植物の葉は一部が腐っていたり枯れていても植物体として生存していることが多い。要するに葉から侵入が起きた場合は内部に完全に入り込まれる前に葉が腐り、枯れることで植物体全体には影響が出ないようにシステム化されている可能性がある。根からの侵入に対しては、少数のウイルスであれば植物体そのものが死んでしまわぬよう、ホルモンないし酵素の働きかけが起こるのではと考えられる。ここで、植物と動物の器官について比較すると、動物は心臓や腎臓、脳といった生存に重要な器官が1つしかない場合が多く、植物はたった1つという概念よりも同等の機能を持つ部位が多数存在して一つの大きな役割を担うことが多い。つまり、動物のように何か1つの器官を徹底的に守るよりも、全体の生存維持が困らない程度であれば侵食されて修復が不可能だとしても構わないような構造になっているために、動物に比べて植物はウイルスに侵入されやすいような細胞の形状であっても生存できるよう進化してきたと考えられる。つまり、植物は動物のようなウイルスなどの外部侵入に対する徹底した免疫反応などは持っていないが、それは植物の在り方からすれば必ずしも必要ではなく、簡易的にウイルスの侵入を防いで、ある程度の構造維持が出来さえすれば良いためだと推測するに至った。
A:これは面白い点に注目していますね。動物と植物の生存戦略の基本的な違いがよく考察されています。上にも書きましたが、ウイルス感染時の周囲の細胞のアポトーシスは、植物の代表的な防御機構を言えます。
Q:植物、特に木の中心にある細胞は既に死んだ細胞であると今回の講義で知った。確かに植物の茎の断面図を見てみると、維管束の集まった木部は茎の中心ではなく、やや外側に位置しており、中心部は何らかの組織は見られない。なぜ水や栄養素などを運ぶ重要な器官である木部が外部からの影響を受けにくい中心部ではなく、その外側に位置するのか?木の形態を観察すると、木は縦に伸びるだけでなく、横に枝を広げ、表面積を大きくしている。枝分かれする際に、維管束も枝分かれする。枝分かれのときに中心にあるよりも、曲がる部分の内側に維管束がある方がカーブが短くなり、枝分かれしやすいからではないか。また、もう一つの理由として、茎や幹を太くするために細胞が肥大したことが考えられる。維管束内で囲まれた細胞が、肥大・増殖し、中心部が発達したことで木部が外側に移動いたということである。木部には分裂組織である形成層が存在することから、後者の考え方の方が確からしいと言えるのではないか。
A:これも面白い。ただ、同じ理由と言っても、前者はwhyの理由、後者はhowの理由のように思います。その場合、どちらかもが成り立つ可能性があるのではないでしょうか。
Q:今回の授業で最後に触れた師管について疑問を持った。それは、なぜ篩板は文字通り篩のような構造をとっているかである。まず、篩の一般的な機能としてゴミのような物を通さないためだと考えられる。しかし、師管においてゴミのような物を篩にかけたところで師管そのものが詰まるという欠点がある。次に考えられるのは、篩板は竹の節目のような役割を担っていると考えた。竹の節には、篩のような形状は見られないが、師管は養分などを通過させるために穴が開いていると考えられる。そしてこれは、篩板を取り除いたときと、そうでないときとで茎の強度に多少の変化が見られれば証明できると考えられる。
A:物理的な強度補強のために、ということですね。講義で話したと思いますが、篩管が傷ついた時に、篩管液が急に流れ出すと篩の穴にオルガネラが引っかかって篩管液の流出が防がれるという、すぐには信じられないような話もあります。
Q:植物の体はセルロースが主成分となって出来ている。セルロースで調べてみたところ、面白いことに、動物の「ホヤ」もセルロースを合成する機能があることがわかった。セルロースはホヤの体を覆っている被のうという膜に存在している。カタユウレイボヤのゲノム中に、セルロース合成酵素と非常によく似たタンパク質をコードする遺伝子が見つかった。このことからセルロースを合成することが証明された。なぜ「ホヤ」セルロースを合成するのか、ただ生きるためだけにはセルロースは必要とはされない。だが、「ホヤ」は固着生活をする。そのためにセルロースがないと固着できないのである。なので、固着という面で見れば「ホヤ」は植物に似ているのかもしれない。
参考文献http://www.shimoda.tsukuba.ac.jp/~sasakura/research_cellulose.html
A:もう一息。せっかく面白い話題を見つけてきているのに、内容は参考文献として挙げられているウェブページの超簡略版になってしまっています。そこに、講義の知識と自分の想像力をつぎ込んで出てきた論理をレポートに書いてもらうのが理想です。例えば、最後のところ、単に「植物に似ているのかもしれない」と終わってしまったら単なる感想ですが、そこで、ホヤ以外の動物で固着生活を送るものにどのようなものがいるかを考えて、そのような生物でセルロースがあるのかないのか、理屈を適当に考えて議論すれば、自分の論理に基づくレポートにすることができるでしょう。
Q:動物ではひとつの血管系しかない(動脈、静脈は毛細血管を介してつながっている)のに、植物ではなぜ導管と篩管の2種類が存在しているのか、という生物学的な意味について考えてみた。動物と植物は本質的に違うと言ってしまえばそこまでだが、生物全般が生存していくうえでの共通性について考えてみたい。動物の血管では水分も糖などの栄養分もまとめて運んでいるが、植物ではそれを分けている。また、導管は根から葉の気孔への一方向の輸送であるのに対し、篩管は転流の方向性が制御される。導管が一方向の輸送であること、気孔に続く導管がアポプラストであることを考えると、導管は動物の血管系に相当するのではなく、消化管に相当するのではないだろうか。根が動物の口であり、動物が排尿・排便を制御するように植物は気孔を開閉する。動物の呼吸器は消化器に連続しており、気孔も同様にガス交換に関与している。以上をまとめると、導管≒消化管、篩管≒血管系という対比が成り立つのではないだろうか。篩管で転流の方向性を変えるのは、動物の血管系のように循環していないためと考える。話は変わりますが、植物細胞の内外を考える際に、植物細胞とは細胞膜の内側のことを指しているのでしょうか?これまでずっと、細胞壁を含めて植物細胞というのだと思っていました。
A:自分の論理を前面に押し出していてよいと思います。最後の質問についてですが、「細胞の内側」というと「細胞膜の内側」のことを指すように思います。一方で、「細胞」という場合には、細胞壁も含むでしょう。細胞が細胞壁に囲まれている、という言い方はしないと思いますし、単細胞の菌類や細菌も細胞壁を持ちますが、全体を1細胞と考えますから。
Q:光合成産物の輸送に、シンプラスト輸送とアポプラスト輸送の2種類が考えられるとあったが、原形質連絡による輸送は濃度勾配が高いところから低いところへの輸送には適しているが、例えば根や茎、種子や果実など光合成産物がすでに多く蓄積されているところでは逆に不利になるのではないだろうか?光合成産物の転流が主に浸透圧の差による水の圧力によるものだとすると、光合成産物の集積場であるこれらの場所では浸透圧が高いため、水が流入して本来の流れとは逆の流れが生じることが考えられる。植物細胞には、ATPを使ってH+の濃度勾配をつくり、ショ糖を能動輸送するシステムがあるとのことだが、せっかくエネルギーを使って輸送しても、原形質連絡で細胞同士がつながっていては、輸送したショ糖が再び貯蔵細胞外に出て行ってしまうことになりかねない。よって、伴細胞が篩管要素と独立しているアポプラスト輸送のほうが効率が良いのではないかと考えられる。しかし、ショ糖を一度細胞外に放出してから取り入れるアポプラスト輸送は、せっかく運ばれてきたショ糖をロスしてしまう危険性もある。シンプラスト輸送とアポプラスト輸送を行っている植物を用いて、どちらが単位時間当たりに多くショ糖を蓄積できるのか、差があったとすればその差はずっと続くのか、それともどこかで頭打ちになって差がなくなるのか、貯蔵器官を一つにして貯蔵器官の前後の重量を測り、結果を比べることで明らかにすることができるのではないかと考えられる。
A:これもよく考えていると思います。このような点を考えるにあたっては、自然界に2つの方法があるわけですから、どちらかがいつも有利だというはずはない、という点が重要でしょう。1つの方法が有利ならば、もう一つの方法をとっている植物は競争に負けるでしょうから。ということは、2つの方法の優劣は、状況によって逆転するはずです。その場合、最後の実験の結果は、どのような条件で実験をするかによって異なるでしょう。むしろ、それぞれの方法が有利になる条件を考えてみることの方が大切かも知れません。