植物生理学II 第2回講義

植物の葉

第2回の講義では植物の器官や組織を概観したあと、植物の葉の構造的な成り立ちとその機能について解説しました。今回の講義に寄せられたレポートとそれに対するコメントを以下に示します。


Q:孔辺細胞にはなぜ葉緑体があるのか考える。孔辺細胞は葉の裏側に多く存在している。したがって、光をあまり得られず光合成はあまり期待できない。しかも、葉緑体を維持するのにもエネルギーがかかってしまう。一般的に考えると進化の過程で消えてしまってもよいはずである。しかしそれでも葉緑体を維持し続けているのにはどんな理由があるのだろうか。考えられるのは、気孔の開閉のエネルギー生産のためである。気孔の開閉程度なら葉の裏側でも必要なエネルギーは作り出せるだろう。ウィキペディア(http://ja.wikipedia.org/wiki/気孔#cite_note-0)によると、気孔はプロトンポンプを利用して開いている。ポンプを使用するにはエネルギーが必要なので、そのためのエネルギーを作り出しているのではないか。もうひとつ考えられるのは、光強度のセンサーの役割のためである。光が強くなると、それだけ柵状組織や海綿状組織で吸収できない光が増える。すると孔辺細胞の葉緑体にも光が届くと予測できる。そして、光強度によって、光合成で使う二酸化炭素の取り込みなどを調節しているのではないかと考えた。以上の理由なら、一見無駄に思える葉緑体が維持され続けている説明になるのではないか。孔辺細胞の葉緑体を取り除くことができれば、光合成速度などを比較することができると考えられる。

A:ちょっと先取りをされてしまいましたが、気孔については次回の講義で詳しく紹介する予定です。


Q:托葉について、なぜ存在しているかが分かっていないと聞き、気になったので調べてみたところ、その機能についてひとつ、「芽生えのときの葉身を保護」している、ということがわかった。托葉は葉身の成長とともに落ちてしまうもの(早落性)が多く、それは、芽生え時の葉身の保護、という役割を終えたためであると考えられるだろう。しかし、早落性の托葉の場合、なぜ、光合成の主要な場となる葉身と同様に葉緑体をもっているのだろうか。光合成の主要な場にはならずとも、葉身の成長に伴って植物個体から切り離されることのない茎や葉柄ならともかく、多くの托葉は、葉緑体をもつ必要がないように思われる。 そこで、托葉が葉緑体をもつ意味について考えてみた。そのひとつとして、葉身が十分に成長するまでの補助的役割を担っていることが考えられる。すなわち、葉身が成長すればそこで十分量の光合成が行われるようになるが、芽生えの直後はその面積が小さいため、芽生えの時の葉身の保護の役割を終えた托葉がそのまま光合成を行って、葉身の少ない光合成量を補っているのではないだろうか。葉身が成長すれば光合成量も増え、托葉は必要がなくなるので、切り離されるのではないかと考えられる。
(1)http://www.biol.tsukuba.ac.jp/~algae/BotanyWEB/leaf1.html(筑波大学生物学類)より2010年10月10日閲覧

A:一つ考えられるのは「カタクリ戦略」ではないでしょうか。カタクリは、早春に、まだ木の多くが落葉しているときに林床に差し込む光を利用して光合成をおこない、初夏に葉が茂ってくるころには休眠に入ってしまいます。時間的には短いものの、コストのかからない葉を光条件の良いときにいわば「一時的に」利用して光合成をおこないます。早落性の托葉と、共通点があるように思いますね。


Q:中学校の理科では一般的な植物の気孔は葉の裏側に多く存在すると習った。光の当る側には葉緑体をできるだけ配置したいので、気孔は光の当りにくい側に多いということである。しかしながら気孔の数が表裏でほぼ同数の植物や表側のほうが多い植物も存在する。これらの植物がなぜこのような構造をしているのかが非常に疑問に感じたので考えてみる。
[1. 気孔の数が表裏でほぼ同数である理由] 先にも書いたが一般的な植物は光合成の効率を上げるために光の当りにくい側に気孔を配置している。また気孔の役割として蒸散やガス交換が挙げられる。ここで表裏同数である理由はいくつか考えられる。
・葉の形や付き方が特殊で両側の光条件が一緒。
・光と水の豊富な条件下で生育していて体温が上昇しやすいため、蒸散による温度調節を重視している。(できる限り多くの気孔を得たい)
[2. 気孔の数が表側のほうが多い理由] 今回の講義で学んだように表(向軸側)が光の当る部分ではない植物がこれに当てはまるのではないだろうか。つまり構造物としての剛性を保つために葉をねじり裏(背軸側)を光の当る部分にしているため、表(向軸側)に気孔が多くなったということである。
 その他にも水との関係が考えられる。水中に生育する植物(オオカナダモetc)は気孔が無いということが知られている。気孔は水中では「水は空気と比較して熱伝導率が高いので、蒸散による温度調節が必要とされない」、「陸上では気体で行なうガス交換を水に溶けた状態で行なう」などの理由から必要とされていないのであろう。よって葉が水面に浮かんでいる植物は空気中にさらされているので温度調節やガス交換の必要が生じ、表側のみに(裏側は水に接しているため)気孔を形成すると考えられる。
 水中・水上植物を考えた後に1を再び考えてみると、表裏同数の植物は一般的な植物(裏側が多い)と生育する環境が異なり違った進化をしたのだなと感じた。水中から空気中に出て、光が限られていて効率的に取り込みたいものは気孔を裏側に多く配置し、光が豊富なものは表裏同数になったのではないだろうか。また数が同じといって気孔の大きさまで同じとは限らないので、表に小さい気孔を多く配置し葉緑体との高いレベルでの両立を行なっていることも考えられる。
 今回の講義で植物にとって空気中は水中よりも過酷な環境であると学んだが、気孔の発達などの進化をすることで現在の植物は適応してきたのだということが分かった。

A:(1)の方の例としては、イネ科の植物のように葉の立ったものがありますね。普通の植物では、気孔の分布以外にも、葉の表と裏では、組織の構造や、光化学系の量など、さまざまな面で分化が見られます。しかし、葉が立っていて裏からも光が当たる植物では、そのような分化がそれほどみられません。水中の植物に関しては、気孔が少ないだけでなく、細胞層を薄くして対処しています。気孔なしで二酸化炭素を取り込んでいる状態では、あまり細胞層が多いと、さすがに二酸化炭素を充分に供給できません。オオカナダモが葉の葉緑体の観察によくつかわれるのは、そのような意味もあるのです。


Q:葉が上向き(葉柄が茎から地面に対して上に伸びるように)付いていることが多いと思う。葉は下向きでも葉柄の付け根は上向きに出ている。葉柄の付け根はなぜ下向きではないのだろうか。もし葉柄の付け根が下向きに付いていたら葉も下向きになるだろう。その状態で葉が上向きになるためには葉柄が途中で上にカーブしなければならない。余計に葉の重さに耐えなければならなくなる。葉は下向きについても光を集め辛くなることはないと思う。しかし周りにライバルとなる植物の葉が上向きであれば葉が下向きでは不利になる。下向き同士なら問題はないように思えるが、上向きの葉では重なり影に入ってしまう可能性が高くなる。上向き同士の争いならある程度避けられるだろう。葉柄の付け根は上向きのほうが生き残る確率が高くなるのだろう。

A:茎の役割が、葉を高いところに維持することであるとすれば、葉を下向きにしてしまったら、いわば茎を無駄遣いしていることになるように思います。そのあたりも原因かもしれません。


Q:植物にとって湿度80%の空気と飽和食塩水はどちらが過酷かという質問があった。空気中に置くことで蒸発してしまうというものと、食塩水の浸透圧によるものという。飽和食塩水をいれた容器を湿度80%の空気中に置くと飽和食塩水は蒸発してしまうことから空気中にある方が過酷という結論になると聞いた。これから植物は空気中に植物を育つより水中で育ったほうがストレスなしで育てることができるのではないだろうかと思った。しかし水中で育つ植物(水草)は少ない。さらに海水で生きている水草はあまりいない。しかしこれは浸透圧から体内の水が海水に浸透してしまうことから考えられる。ではなぜ陸上にでないのか。これは植物が生育する条件の二酸化炭素、光を吸収するのに水中は適していないことが考えられる。そもそも二酸化炭素は水に溶けにくい。このことから水中ではなく、陸上で植物は育つ方が適しているのだろう。

A:「二酸化炭素は水に溶けにくい」という時には、必ず「何に比べて」ということが必要です。たとえば、酸素に比べると、二酸化炭素はむしろ水によくとけると思います。水中と空気中のもう一つの大きな違いは「光」です。そのあたりも含めて考えられるとよいですね。