植物生理学II 第4回講義
植物の中の水の動き(続き)
第4回の講義では、前回に引き続いて導管の働きを解説し、また細胞壁の役割についても触れました。
Q:海藻は維管束がどうなっているのか調べてみた。海藻は原生生物で植物ではない。維管束も持っていない。根は仮根と呼ばれ、体を固定するためのものである。コンブなど。海草は陸上植物と同じように維管束を持つ。アマモ等。更にアマモの水分吸収について考えてみた。海水中では根圧が働きにくく、水分が吸収できない(しにくい)のではないだろうか。前回の授業で出てきたガジュマルのときのように、導管内の水ポテンシャルを大きくしている(陰圧)のではないかと考えた。しかし、これ以上特に考え付かなかったので調べてみた。アマモは陸上植物が祖先で、イネに似た単子葉植物が海中生活に適応したものである。アマモには耐塩性があり、これが海中での生存、繁栄に貢献している。アマモの耐塩性はまだ解明されていないが、Na+/H+アンチポーターによると考えられていることが分かった。これは、H+を細胞質に取り入れ、Na+を細胞質から排出するタンパク質である。
感想:まず、海藻と海草をひとくくりにしていたためので全く違うものであることにに驚いた。陸上植物に一度分化してしまうと、また海中に適応するために、多くの努力が必要なことが分かった。同じように陸上から再び海中に適応したイルカやクジラの肺呼吸を連想した。長い年月を経るとアマモの維管束が退化したり、イルカがエラ呼吸を始めたりするだろうか。もしそうなるのなら、とても興味深いと思った。研究グループはこの研究から、耐塩性のある稲や麦の品種改良に役立てることが目的としているらしい。塩害で苦しむ地域は多くあるので、この研究が解決に結び付けばよいと思った。また、今回はあまり考察出来なかったので、もっとわかりやすい題材にするべきだったと思いました。
広島大学大学院先端研 http://home.hiroshima-u.ac.jp/mbiotech/ichikou/project_amamo.html
アマモの耐塩性獲得機構の解析 http://www.tuat.ac.jp/~mcb/zostera.htm
A:考察するときには、なるべくテーマを絞った方がよいでしょうね。たとえば、Na+/H+アンチポーターの話だったら、その仕組みを考えるとNaを排出するためにはまずH+を排出しておく必要があると考えられます。では、H+を排出するにはどうするのか、などを考えてみる必要があります。また、イルカやクジラとの比較にしても、それに絞って考えれば、単に「連想」ではなく、いろいろ考察する種はあると思います。今回のレポートの中にも、案外「わかりやすい題材」は潜んでいると思いますよ。
Q:年輪は維管束形成層の成長によってできる。夏は幹の肥大成長が盛んで、逆に冬になると成長が停止するために1年に1つずつ年輪が形成されていく。今回の講義で樹木の幹の中心の部分は、死んだ細胞によってできているというお話があった。動物は細胞が死んだ場合、死んだ細胞は体内から排出される。しかし植物の場合は、死んだ細胞が生体内に残っているのということが大変不思議に思った。確かに植物の場合、形態維持のためにたくさんの細胞が必要である。しかし生物体を維持するために、しかも無駄なエネルギーを使わないためには、死んだ細胞を使うことは有効である。動物は動いて生活するので、力学的な安定力は少なくてよい。おそらくいちばん無駄のない効率で細胞を回転させているのだろう。このような観点から見ても植物と動物は生態環境への適応がまったく異なっている。
A:講義で言い落しましたが、地球上で一番量の多い有機物は、セルロースだと思います。そして、力学的な形態維持のためのセルロースは浮力のある水中ではそれほど必要なくなりますから、セルロースの大部分は陸上生態系にあるはずです。これも、実は陸上生態系と海洋生態系の違いを生み出す大きなポイントの一つです。
Q:今回の授業は、前回の授業の補足的な内容が主でした。私たち学生から出た質問に授業で答えていただく形になり、“なるほどこういうことだったのか”と理解を深めることができました。特に私が前回疑問に感じた毛細管現象に関しての説明が大変分かりやすく、大いに納得することができました。毛細管現象で水を高く引き上げることは物理的には可能であるけれど、それを実際に生体に取り入れることは大変非効率であるという事実が良く分かりました。このように、「なぜ毛細管現象ではいけないのか」という疑問一つに対し、実際に数値化したり、イメージで目視化したりして説明することが、とても効果的であることを感じました。
「植物の生き延びる戦略の違いはどうして生まれるのか」という枠の大きい質問をさせていただこうと思います。この場合の“どうして”はHOWのクエスチョンです。私は常々、生物の環境への適応と遺伝の関係性について、不思議に思ってきました。たとえば今回の場合、木本とつる植物の生存戦略の違いを挙げられていましたが、住み分けとも呼べるこの現象は、いったいどのようにして獲得されてきたのでしょうか。またこれは1つの世代のみならず、遺伝的に決定されています。それはどのようなシステムで成立しているのでしょうか。さらに言うならば、生物の遺伝子に環境への適応が固定されるならば、「究極の生物」というのはなぜ生まれないのでしょうか。自らの種のみ生き残れば自滅の道を辿ることになる、という答えは出せるかもしれませんが、適応が遺伝子の変異という完全にランダムな物理的事象によって引き起こされているのであれば、「自滅の道を辿るから」などという想定は起こらないのではないかと思うのです。若干授業内容から外れてしまっているかも知れませんが、何度説明を受けても今一つ納得のいかない疑問でありましたので、挙げさせていただきました。
A:生態学の分野では、よく「ニッチ」という言葉が使われますよね。1つの環境に見えても、実際には数多くのニッチが存在し、そのニッチごとに生物が適応して種分化などが起こる、というのが一般的な説明です。最初には1種類の生物しかいなかったとしても、突然変異によって遺伝的な多様性が生まれた時に、それらの多様な生物はニッチごとに異なる適応度を持つでしょうから、やがては異なる種に別れていくことになります。ちなみに、僕は「環境への適応が固定される」という言葉に違和感を感じるのですが、その理由は環境自体が常に変動しているせいだと思います。環境というのは、空間的に様々であると同時に、時間的にも常に変動し続けています。相手が変化している以上、生物も変化するというのが「究極の生物」が生まれない原因なのでしょう。ただし、現在の人間は、環境をコントロールする能力を身につけました。生物に合わせて環境が作られる場合には、「究極の生物」が生まれるかも知れません。もう一つ、全く別の角度から考えてみましょう。全ての生物種は、一定の絶滅確率を持ちます。これは、存在するものが絶滅するのは常に有限の確率を持つのに対して、一旦絶滅した生物が復活する確率は0であることに由来します。従って、時間を無限に取った時に全ての生物は絶滅します。これが「究極の生物」が生まれない、もう一つの説明かも知れません。
Q:細胞壁だけが残され、死んだ細胞が連なったのが道菅とのことであったが、死んだ細胞の中身はどこに行ったのだろうかと疑問に思ったため考え調べてみた。予想としては、細胞の中身は小さい分子であるために道菅で運ばれる際にさらに小さくなり、気孔から蒸散したり、根などを通じて排出しているのではないか。 調べてみたところ、細胞が死んだ後は細胞末端の細胞壁はもともとグルコースの重合体であるため溶解し、各器官で利用される。一方中身を失った外側は、細胞同士が縦に隣接し、水液の通導がおこるようになるとのことだ。しかし、実際に成長していく過程での道菅が形成されるのはいつごろなのかを見てみたいと思ったため実験系を考えてみた。まず、ある植物の種をまき、数十個その植物を発芽するまで自然な環境条件で育て、発芽してから一週間単位で道菅がどのように形成されていくのかを観察する。また飼育に使う水には着色料を含ませて置き、その着色料を一週間単位で違う色にすることで、細胞壁から道菅が形成されるまでの時間や形成途中の様子もわかるのではないだろうか。
参考文献:植物の細胞壁 増田芳雄 東京大学出版会
A:物質を染色して観察するというのは、生物学の常套手段ですね。色を変えるのは良いアイデアだと思います。ただ、具体的に何をどのように観察すると導管が形成される変化をとらえることができるのか、考えると案外難しいように思います。