植物生理学I 第6回講義
緑色でない葉
第6回の講義では、構造から少し離れて、通常は緑色である葉の色が異なる例を取り上げて講義を進めました。以下に、いくつかのレポートをピックアップしてそれに対してコメントしておきます。
Q:ふ(斑)によって白くなった稲が田んぼアートに使われていると知った。葉に対するふの割合を調整した稲を育てることができれば、カラーバリエーションがさらに増え、細かい色の違いを表現できる田んぼアートを実現できると考えた。そこで、どうすればふの割合を変えることができるか考えた。まず、ふは病原菌によるものと、遺伝的にプログラムされ、強すぎる光を避けるものがあると学んだ。病原菌によるものであれば、稲に注入する病原菌の量を変えればよいと考えた。しかし注入する病原菌の量を変えても、菌が植物中で飽和するまで増殖すると仮定すると、注入した病原菌の差は日が経つごとにふの割合と関係がなくなってしまう。また、病原菌が食糧用の通常の稲に繁殖してしまえば、農作物に被害が出る。その一方で遺伝的にプログラムしたものであれば、周りの稲に影響を及ぼすことなく、一定の期間観賞用の稲として楽しむことができると考える。光受容体の光に対する耐性を変えれば、強い光から葉を守るふの割合を自在に変化させることができると考える。
A:自分で考えていることはわかりますし、考え方も悪くないと思います。「光受容体の光に対する耐性」が何を意味しているのかが分からなかったのと、提案されている方法では、緑から黄緑色のバリエーションが増えるだけで、本来のカラーバリエーションとは少し違うのが気になりました。緑から黄緑色のバリエーションだけだったら、緑色のイネと黄緑色のイネを量比を変えて混ぜて植えるのでも実現できそうです。いわば点描の手法ですね。
Q:今回の授業で、斑入りの葉は遺伝的要因またはウイルス感染によっておこると学んだ。遺伝的要因があるということは、自然選択によって失われたり残ったりすることになる。ここで、自然選択により、斑入りが残された理由について考察する。斑入りのメリットとして他の植物と違いを表すことによって生存に役立っていることが挙げられる。まず、授業でも習った虫食いに対する防御である。すでに食べられているように見せることで被食を防いでいる。それに加えて、周囲の緑葉植物に比べて非標的となることで、草食動物や昆虫の被害を受けにくくなっていると考える。例えば、捕食者が主に緑色の葉を探しているならば、斑入りの葉は見過ごされる可能性が高くなる。次に、生態系を作り出すという意味で、他の植物に光を与えることが考えられる。斑の部分は光を通さないので、その植物より下にある植物に光が届くことになる。他の植物が共存することで、土壌に栄養を供給したり、有益な微生物の活動を活発にしたりする効果があると考えられる。斑入り植物もその恩恵を受け、成長しやすい環境を手に入れることができる。また、周りの植物が水分を保持しやすい土壌を作り出し、斑入りの植物が必要とする水分を確保しやすくなる。他の植物との競争も活発になってしまうことも考えられるが、多様な植物が共存することで、生態系全体の安定性が向上する点の方が生存として有利に働くと考えた。
A:考えていることはわかりますが、ところどころ日本語がよくわからないところがあります。「斑の部分は光を通さないので、その植物より下にある植物に光が届くことになる。」は「斑の部分は光を通すので」もしくは「斑の部分は光を吸収しないので」ではないでしょうか。「他の植物が共存することで、土壌に栄養を供給」という部分も、共存すると栄養が増えるという論理がわかりませんでした。
Q:授業内で紅葉について紹介され、紅葉した葉はクロロフィルを失っているため光合成ができないということであった。これらの樹木の葉は気温が下がる秋に紅葉し、その後葉を落とすが、その一方で冬に葉を落とさない常緑樹と言われる樹木も生息する。この2種類の性質を持つ樹木が共存している仕組みと理由を考える。落葉の目的は老化して光合成ができなくなった葉を取り除くことだと考えられる。これに対し、常緑樹は冬に落葉しないということは、落葉する必要がない、つまり冬でも葉が老化していないと言える。授業内では、ツバキは2年ほど同じ葉を使うことが紹介されていた。常緑樹にはツバキのように落葉樹に比べて葉が厚い樹木や、マツやスギのように葉が硬く針状になっている樹木などが思い浮かぶが、これらの樹木の葉は薄く平面上に広がった落葉樹の葉に比べて防御能力が強いと考えることができる。葉を厚く、あるいは硬くしているということは被食や風などへの防御だけでなく、クチクラ層を厚くすることで中の葉肉細胞にウイルスや紫外線などの損傷の原因となるものの侵入を防ぐということにも寄与していると考えられるからである。このようにすることで落葉樹とは葉を使い捨てる時期をずらしていると考えられる。落葉樹が葉を落とす冬には、常緑樹は落葉樹の分まで光を浴びることができる。これが常緑樹が冬に落葉しないことのメリットであると考えられる。
A:出だしは紅葉が入っていますが、その後は、紅葉ではなく、落葉樹と常緑樹の比較ですね。それを早めに明らかにした方がよいでしょう。「葉を使い捨てる時期をずらしている」という考え方は、変わっていてよいと思いますが、最後の部分は、冬は温度が低下して光合成の適期ではないことを考えると、冬の光をメリットと考えてよいかどうかは難しいように思います。
Q:同じ植物でも、シソは緑色と赤色のものがある。シソの紫はカタバミと同じようにアントシアニンが合成されており、これが葉緑体のクロロフィルと混ざっていることにより紫に見えているのだろう。アントシアニンには、強光下での活性酸素生成を防ぐ機能があり、講義で、植物がわざとふ入りにしたり、アントシアニンを合成したりする植物があると知った。類似する環境に生育する2種のシソの形態的意義と、以前からの疑問で、自宅に生えているシソが紫色のシソよりも緑色のシソが常に相対的に多いことが気になった。
アントシアニンは、強光を緩和して細胞を守る代わりに、弱光ではただでさえ弱い光をさらに弱め、光合成効率を低下させるだろう。つまり、弱光下では緑色のシソの方が光合成効率が良いと考えられる。一方で、緑色のシソは強光に対してどのように対応しているのだろうか。考えられることとしては2つあり、緑色のシソは活性酸素を除去する機構が発達しているか、活性酸素に対する抵抗性を持たずに、散布能力と生殖能力を上げ、数で対抗しているかである。前者である場合、緑色のシソは紫色のシソと比べて、劣る部分がないように思う。弱光でも光合成をすることができ、強光下でも活性酸素を除去できるため、不利になる環境がないからだ。もし、そうならば、紫色のシソを淘汰し、緑色のシソのみが生き残っていてもおかしくないだろう。しかし、実際には、両者とも現生している。この事実から、緑色のシソにも生存上の欠点があるだろうと考えられ、後者が有力であると言える。つまり、光の強弱に関係なく、個体数を増やすことで生殖までたどり着く株を増やしているのではないだろうか。以上から、紫色のシソが相対的に少ないのは、一つの株がアントシアニンの合成により防御機構を発達させており、そこにコストをかける一方で、緑色のシソは葉の機能よりも、数を増やすことにコストをかけており、両者の生存戦略の違いが表れている結果であると言えるのではないだろうか。また、類似する生育環境でも生存戦略が異なることによって今日まで両者とも淘汰されることなく共存していると考えられる。
A:よく考えていてよいと思います。ここまでくると、更にもう少し議論が欲しくなるのは、生存戦略の違いがどのような生育環境の違いに結び付いているかという点です。ごく簡単には、直射日光がガンガン当たるような環境では、アカジソが多くなるといった考え方ですが、他にも考え方があるかもしれません。
Q:今回の講義で緑色でない葉について、和歌と関連付けた論文が紹介されたが、和歌と植物の科学的研究を結びつけることが非常に興味深く感じ、自分でも簡易的ではあるがやってみたいと思った。百人一首より、87番目寂蓮法師の「村雨の露もまだひぬ槇の葉に霧立ちのぼる秋の夕暮れ」を取り上げる。訳は、にわか雨が通り過ぎていった後、まだその滴の乾いていない葉の茂りから、霧が白く沸き上がっている秋の夕暮れ時である(1)である。ここで槇の葉が何の植物の葉なのか考えたい。まず槇とはスギやヒノキなどの常緑針葉樹の総称である(1)。そこで槇の候補として今回はスギ・ヒノキ・マキ(イヌマキ)を考えることとする。霧が立ちのぼるとあるが、森林にも生じているのか、全く別の場所で生じているのかは分からなかったが、森林でも生じている場合を考える。霧が生じる条件は
・湿度が高いこと・気温が低下傾向にあること・風が弱いこと 、また、山の斜面に沿って水蒸気を多く含んだ空気が上昇するときに発生することもある。
次にスギ・ヒノキ・マキの生育環境を考えると、スギ:温暖で適度な湿気のあるところがよく、風が強いところを嫌う。斜面下部に森林を形成することもある。ヒノキ:降水量が比較的多く、斜面に生息することもある。スギよりは乾燥に強い。マキ(イヌマキ):日当たりと水はけがよい環境を好むが、生育できる環境条件は広い。
これらの条件を考えると、まずマキは可能性が低いことが言える。スギとヒノキは生育環境が似ているので、断定しにくいが、乾燥耐性や風に対する嗜好性から、スギの方がやや可能性が高いと考える。ただし、葉の形態を考えると、ヒノキの方がスギよりとがっていなくて、平べったいので、葉に露が残っていることを考えると、ヒノキの方が、「露もまだひぬ」には適しているかもしれない。よって、生育環境から考えるとスギの方が槇の葉として読まれた可能性が高いが、葉の形態からはヒノキが読まれたことも考えられる、ということが分かった。これらの可能性から、スギとヒノキのどちらだったかを結論するには、寂蓮法師の当時の情報などが有効と考えられる。これは科学的研究とは異なってくるのでここで述べない方がよいだろうが、そうしたアプローチもさらに行いたい。
(1)井上宗雄 村松友視. 新潮古典文学アルバム 11 百人一首. 第1刷, 新潮社, 1990年, p.90
A:このようなレポートは過去になかったので、オリジナリティーという点では高く評価できます。議論の当否自体は難しいようにも思いますが、乾燥耐性と葉の形態という2つの点から論じているので、一応成り立っていると思います。
Q:今回の講義で、紅葉した葉の中では、光合成色素のクロロフィルがなくなってアントシアニンが合成される、と説明された。また、文献1を調べると、落葉の際にはクロロフィルの分解と根や幹への回収が行われ、新たにアントシアニンの合成が行われる(アントシアニンが赤~紫色の色素なので紅葉する)、と記されていた[1]。ここで、なぜ新たにアントシアニンを合成するのか疑問に思った。落葉するのであれば、新たに物質を合成せずに、回収したい物質を回収して葉を落とした方が効率的ではないか、と感じた。この疑問に対する回答を考えるにあたり、ヒトの皮膚の色の変化に思い当たった。ヒトの皮膚の色の変化も植物の紅葉も、色が変わるというわかりやすい共通点があったからだ。文献2によると、露光部や外陰部に数多く存在する色素細胞がメラニン(黒~褐色の色素。紫外線を吸収する。)を合成することで、ヒトの皮膚の色は変化し、身体の内側の細胞やその核を紫外線の障害や悪性腫瘍化から守っている、という[2]。つまり、色素の役割は、紫外線を吸収して諸障害や悪性腫瘍化を防ぐことだ。これと同じ役割を、植物ではクロロフィルやカロテノイド、アントシアニン等の色素がになっていると考えた。前述したように、紅葉の際にはクロロフィルが葉から根幹に回収されるが、回収し切るまでの期間、または落葉するまでの期間は葉のクロロフィルが減少し内部細胞に届く紫外線量が多くなると考える。この時にこの手薄になった紫外線防御の役割をアントシアニンで補う、という仕組みだと考えた。では、アントシアニンの合成はなぜ落葉のタイミングで行われるのか、そもそも常にアントシアニンを合成しておけば紫外線による悪影響のリスクを減らすことができるのではないか。この疑問に対しては、植物の葉の主目的である光合成が関係していると考える。確かに、落葉時に限らずアントシアニンを合成していれば紫外線防御はより強力になるだろう。しかし、アントシアニンは光合成色素ではないので、光合成を行う葉に存在した場合には葉緑体に届く光を遮ってしまい、葉の光合成の効率が下がると考える。また、紫外線防御の役割はクロロフィルも担っているので、アントシアニンを合成せずクロロフィルを合成した方が、紫外線防御と光合成効率を同時に向上させることができ、より理にかなっていると言える。さらに、光合成色素カロテノイドは落葉時に黄葉を作り出すが、落葉以前から常に葉で産生されている[1]。このことからも、光合成色素ではないアントシアニンを落葉時に新たに産生することで、光合成効率の低下を防ぎ、クロロフィルを分解・回収する期間の紫外線防御を強化していると考えた。
[1]浜島書店編集部。ニューステージ生物図表。株式会社浜島書店、2011。p. 236。、[2]松尾理。QUICK生理学・解剖学。株式会社洋土社、2022。p.p. 402-403。
A:全体としてはよく考えていて論理展開もよいと思います。一点、参考文献にある「落葉の際にはクロロフィルの分解と根や幹への回収が行われ」という部分に関しては、現在は、分解は完全に行われず、クロロフィルの中間分解産物は落ち葉とともに失われると考えられています。従って、「回収し切るまでの期間」における回収対象は、葉緑体のタンパク質に含まれる窒素が主になると思います。その場合、光吸収の変化よりは、タンパク質の減少に伴う光合成機構の不安定化が主要な要因だということになるでしょう。
Q:今回の授業では光合成と葉の色について触れられていたが、それによって光合成を行う葉の多くが緑色になっている点に疑問を抱いた。つまり、光合成に緑色が利用されない傾向があるのはなぜかと考えた。まず、緑色が観察される場合、それは可視光線の範囲において緑色が吸収されるというより反射されたと考えられるが、同時に可視光線以外の光も反射している可能性が考えられた。一方、太陽光に含まれる紫外線や赤外線は大気によって吸収されることから、地表面に当たる場合には可視光に比較して微量になっているとされている。また、光合成の吸収スペクトルを確認すると緑色はほぼ吸収されず、作用スペクトルにおいても緑色に相当する部分は効率が低下していることが知られている。この点から、多くの植物は緑色だけを特異的に光合成に利用しないようにしている可能性が考えられた。
次に、緑色をあまり吸収しない理由について考えた。光合成で用いる光エネルギーは太陽光から得られるものであり、その量はわずか1.4kW/m2程度であると紹介されているが、より多くエネルギーを利用するためには全ての光を吸収すると良く、またその場合ヒトの目には黒く映っていることが予想された。しかしながら、緑色の光を利用しない選択をしていることは、その「損失」に見合う「利益」を得ていると考えられた。ここで、注目したのは光の持つエネルギーであった。可視光範囲においては紫色・青色が最も強く、緑色を挟んで黄色・赤色の順に弱くなっていくとされている。また、光合成の作用スペクトルを確認すると青色・赤色がいずれも効率を上げていることから、緑色にも光合成に利用できる分だけのエネルギーは含まれていると考えられた。この二つの観点から、植物は緑色を挟むことによって青色と赤色の領域を分けて利用しようとしているのではないかと考えられた。これを支持する根拠を考えたところ、気孔の開閉と一日における光の当たり方が考えられた。種子植物では気孔の開閉は青色光の照射も一つの要因とされており、当たると開き、当たらないと閉まるとされている。一方で、赤色光を当てる場合についてはシダ植物で気孔の開閉が起こるとされている。この差が示すことは、植物の環境における乾燥への対策と考えられた。一日の光を考えた場合、昼は白色としてすべての光が地表に届く一方、夜間は光が届かず、朝夕の場合はレイリー散乱によって赤色だけが地表面に届くことになる。つまり、昼間に比べて朝夕は得られるエネルギーが少なくなるが考えられる。また、気孔は光合成を行えるメリットがある一方、水を蒸散させるため乾燥を招くデメリットもあるとされており、このことから赤色の小さいエネルギーだけで気孔を開くことは種子植物にとってリスクである可能性が考えられた。一方、シダ植物においては比較的水辺や湿潤な地域に生息することから乾燥になりにくい為に赤色光だけでも十分に光合成を行えるため、赤色でも気孔を開くものと考えられた。
これらの仮説を実証する場合には複数の実験が考えられるが、種子植物の孔辺細胞にシダ植物の遺伝子を導入することによって、赤色光でも気孔を開くようにすることで光合成効率に与える影響を調べることが良いと考えられる。赤色光で開いた場合に乾燥によって枯れる又は光合成効率が低下することがあれば、種子植物は光を使い分けている可能性が考えられる。次に、緑色光からエネルギーを取り出す遺伝子を植物に導入することで可視光全体で光合成を行えるようにすることである。この場合、緑色を含むことによって光合成効率が低下することが示されることによっても、植物が光を使い分けていることが考えられる。なお、よりエネルギーの大きい紫外線を植物が利用する可能性については、紫外線を利用した場合には利用するタンパク質や核酸に対して積極的に活性酸素を発生させることで細胞全体に酸化を促し悪影響を与えることから利用を忌避しているものと考えられた。
A:よく考えていてよいと思います。事実関係として二つ指摘しておきます。一つは、地表に到達する太陽光の問題で、実際には、赤外光の光子数の割合は全体の光子数の半分程度を占めます。人の目には見えませんが、赤外光は決して微量ではありません。もう一つは、葉の吸収率の問題で、緑色光でも葉の吸収率は7割程度あります。「作用スペクトルにおいても緑色に相当する部分は効率が低下している」というのも、教科書や図録に載っているスペクトルは、実際には陸上植物のものではなく、緑藻などの藻類のものです。確かに、藻類の場合は、緑色の領域の光吸収率が低いのですが、陸上植物の場合は、かなりの部分が吸収されます。
Q:今回の授業では葉の色素にまつわる、その意味やそれを補助する仕組みについて解説がなされていた。植物は生育する環境に適応して様々な形態を持ち、斑入りの葉で虫食いをカモフラージュをする植物もいるようである。このような植物がいることから、植物の中には捕食者に対して警告をするような意味合いも持つものもいるのではないかと考えた。まず思いつくのは色による警告である。授業で斑入りの原因として取り上げられたように、病気にかかっている葉は変色を起こす場合がある。このことから、病気の葉のように擬態することで警告となることが分かる。次に考えられるのは匂いによる警告である。普段嗅いだことのない匂いは異常であり、腐っていたり病気を持つことを警戒した捕食者は捕食しなくなることが考えられる。これらのような警告を行っている植物の例としてはドクダミがあげられる。ドクダミの葉は紫キャベツのように赤みがかる場合があり、独特な匂いを醸している。ドクダミのように色と匂いの2通りの警告を行うことで、色の判別が出来ない、もしくは嗅覚を持たない捕食者に狙われる可能性をより下げられると考えられる。
A:考え方の方向性は悪くないと思うのですが、「警戒」というのは多くの場合、学習の結果起こる行動です。毒蝶とそれに擬態した蝶の場合も、捕食者は、最初の一匹については、毒蝶であるかどうかに寄らず捕食することが知られています。その場合、ドクダミの臭気がどのような学習と結びつくか、という議論が必要になるかもしれません。
Q:今回の授業でツバキの葉が若いものは柔らかく色が薄く、古いものは固く色が濃く、葉緑体が多いということを習った。同様の形態がキャベツにおいてもみられることに気づいた。キャベツは授業で扱ったツバキと異なり草本である。したがって、ツバキのように新葉をデコイにして葉緑体を根などに蓄えるような戦略をとる必要がないと考えられる。キャベツは栽培種であり、結球する。栽培種である以上人為選択の可能性がつきまとうが、古い葉がかたく葉緑体が多い個体を選択的に育てる意義を見いだせないので今回は人為選択の可能性はないものとして考えられる。したがって、これは人為選択の結果ではないと考えられる。私達が普段食用とするのはキャベツの新芽の部分である。そのため収穫後に外の葉が残されることがある。そうした際に、外の葉に葉緑体を多く残し、構造的にも丈夫にしておくことで新芽が収穫されたあとでもすぐに光合成を行うことができ、そうした葉は使い回すことができる。通常の野生種の草本であれば新芽が全て突然摘まれるということは起き得ないが栽培種であるキャベツにおいては起きうるので収穫というものが選択圧になりツバキのような古い葉が丈夫で葉緑体が多いという特徴を持っていると考えられる。
A:視点が独自で面白いと思いました。ただ、人為選択の可能性を考えるかどうかが整理されておらず、その点がやや恣意的に見えます。