植物生理学I 第5回講義
植物の葉と環境
第5回の講義では、環境が葉の形態に与える影響を陸上植物と水中植物を例に講義を進めました。以下に、いくつかのレポートをピックアップしてそれに対してコメントしておきます。
Q:ヒイラギの葉のトゲが成長するにつれて無くなっていくことについて、講義ではトゲの大きさから草食動物による食害の影響から考察し、ヒイラギが生長すると食害の直接的な原因となるシカなどの草食動物よりも背が高くなり食害を受けなくなるためトゲを作る必要がなくなるためであるとしていた。このトゲの必要性について、食害だけではなく境界層抵抗の観点からも議論できるのではないだろうか。前提として、ヒイラギが作るトゲは大きいことから、切れ込みがある葉の状態に近いとする。ヒイラギが若いうちは少ないエネルギーで効率よく成長し、多少の環境の変化や食害によってでは枯れない状態になる必要があり、そのためには光合成効率を少しでも上げた方がよい。したがってトゲを作るというコストを払ってでも境界層抵抗を小さくして光合成効率を上げる。しかし、個体がある程度成長して環境の変化や食害からの防御に対してトゲを作るコストが大きくなってくると、ある時点でトゲを作るコストを削減し始め次第にトゲを無くしていく。以上のように考えると、講義で扱った食害からの防御の他にも成長速度を早めるという観点からヒイラギの葉のトゲの有無を考えることが可能である。
A:自分で考えているのはわかりますが、まず、切れ込みと棘は同じものではありませんよね。切れ込みがあれば、棘にはせずとも境界層抵抗を下げることができます。そうすると、境界層抵抗のために棘を作るという仮説の前提自体が揺らぐような気がします。
Q:クスノキは枝に離層のようなものを作り、5,6月に落枝という現象を起こすことを知った。落枝という言葉は聞き馴染みがなかったが、スライドの写真を見た時にふと小学校の記憶が蘇ってきた。私の小学校のシンボルはケヤキであり、ケヤキの木の下にも枝が謎に落ちていた記憶がぼんやりあったからである。あれは誰かが切り落としたのではなかったのか、と納得しつつも、クスノキの落枝は細くて、枝であったと想像がつかないほどしんなり落ちているが、記憶に残るケヤキの枝はそのまま落ちてきたような原形をとどめており、瑞々しさがあったはずだと思った。なぜ落とす枝の様子がこんなに違っているのか。コストのかかる落枝という現象は同じであるが、目的が異なるのではないか。そう思って、落枝の意義をそれぞれ考察した。まず落枝の仕組みを調べてみたところ、クスノキは離層を形成して落枝するのに対し、ケヤキは離層を形成せずに落枝をすることが分かった[1]。離層を作らない場合、どこの枝を落とすか定められず、枝がランダムに落ちかねないが、離層を作ることによって、老化して不要になった枝だけを選別して落とせるのではないかと考えた。よって、クスノキは無駄な養分を老化した枝に運ぶというコストを減らすために、離層を形成してコストをかけてまで落枝をしているのだと分かった。また、このように考えると、クスノキの落枝がケヤキに比べてしんなりしていたのは、老化した枝だけが選択されていたからだと考えて矛盾はないと感じた。では、瑞々しい枝が落ちていたという形態的な視点から考えても、ケヤキの落枝は老化した枝を落とすことが目的ではないと考えられる。さらに、ケヤキとクスノキの生態的な違いを調べると、種子散布法の違いが明らかになった。ケヤキはクスノキと違って風散布によって種子が運ばれるのである。確かに以前見たケヤキの落枝には丸い実のような種子もついていた。よって、ケヤキは離層を作って選択的に落枝をしているのではなく、風など外部環境的な要因で種子とともに落枝を起こすため、老化した枝でもないのにコストをかけて枝を落とすのだと考えられた。以上より、ケヤキは種子散布のため、クスノキは老化した枝を落とすために落枝をしていると考えられ、その結果が落ちた枝の形態的違いに関係していたのだろうと結論付けた。
[1]“クスノキの落葉、落枝", 日本植物生理学会, みんなのひろば,2010-11-27,https://jspp.org/hiroba/q_and_a/detail.html?id=2352, (参照 2024-11-12)
A:これは、注目点は良いと思いますし、「瑞々しさ」に注目した点も評価できます。他方、種子散布に役立っているという本筋のストーリー自体は、参考にした「みんなのひろば」に載っているものですから、「独自の考え」を重視するこの講義のレポートとしては、やや評価が低くなります。
Q:今回の授業では, 樹高が低いときにヒイラギは葉をトゲトゲさせることでコストをかけてでも草食動物からの葉の防衛し, 樹高が高くなったら食害を受ける心配がないので葉を丸くすると考えられることを知った. ここで私はトゲが植物体の防衛のために役立つのならば, 地上の植物は全てトゲを持っていても良いはずだと考えた. しかし, 実際の植物はトゲを持つとは限らないことから, 必ずしもトゲは植物の防衛に役立つわけではないと考えた. このとき, 植物に害を与えるものとして考えられるのは環境などもあるが, 一番は昆虫であると考えた. 草食動物からの食害を防げるようなトゲは昆虫にとって大きすぎるので意味をなさない. 逆に, 昆虫からの食害を防ぐようなトゲまたは毛は草食動物にとって小さすぎるため役には立たないと考えられる. このようにトゲの大きさはトレードオフの関係になっており, 全ての外敵に対して働く万能な仕組みではなく, 周囲の環境によって変わる多様性を持った構造であると考えられる. また, トゲを作ること自体がコストであることとトゲが必ずしも食害を防ぐわけではないことから, 最初からトゲを作らず他のことにコストを割く戦略もあると考えられ, 多くの植物はこの方法を取っていると考えられる. 葉がトゲのようになっている針葉樹の場合, これらは寒い場所に生えていて昆虫は生息しづらく大型草食動物が多いことから, 動物からの防御のために葉を尖らせたとも考えられるが, 高緯度地域の日射量の小ささに対する応答や表面積を小さくすることで蒸散を抑えているとも考えられ, 針葉樹はヒイラギのように高いところで葉が丸くなるようにはなっていないことから, 葉が尖っていることの主たる要因に食害を防ぐことは含まれていないと考えられる. しかし, 結果的に幼木のときや成木の低い部分の食害を防ぐことを葉がトゲのようになることで達成できていると考えられる.
A:「すべての場合に役立つ戦略は存在しない」という考え方自体は、生物学においては一般論として成り立ってしまいます。もし、そのような戦略があったら、すべての生物はそれを持っていることになって、そもそも戦略として成立しませんから。その意味で、前半のトレードオフの関係は、考え方がやや一般的に感じますし、後半の針葉樹の葉の形の部分も、多くの人が考えそうな範囲にとどまっている気がします。誰もが考えることを考えるのではなく、もう少し独自の考えが欲しいところです。
Q:例えば、潮汐が起こる地点に生息している植物が存在するとする。そこでは一日に二回満潮と干潮をむかえるので満潮の時には植物の体が水没し、干潮の時には空気にさらされる。光合成のための光は十分に当たる環境であると仮定する。この環境を考慮するとその植物は水の中でも陸上でも生存できる形質を持っている必要がある。二酸化炭素は気体中のほうが水中よりもはるかに拡散速度が大きいので光合成効率は陸上のほうが高いことから、この植物はどちらかといえば陸上環境での光合成に重点を置いていると考えられる。そのために陸上環境での乾燥に耐えるためにクチクラ層を持っていたり、干潮をむかえた時に体の表面から粘液が分泌されるなどの機構が存在する。葉は水中生物よりも厚く、細胞の隙間には空気がある。また、水圧に耐えるために葉は比較的細くある必要がある。水の中でも動物に住み家、隠れ場所として協力することで、呼吸による二酸化炭素を手に入れている。
A:個々の文の意味は分かりますし、悪くはありませんが、レポート全体として何が主張したいのかがはっきりしません。単に文を並べるのではなく、できたら、考えのきっかけ、問題提起、問題を考える上での情報、問題の答え、全体の結論、といった感じの流れがあると、レポートらしくなります。
Q:特殊な葉は光以外の環境要因が作用してあるという話があった。そこで、身の回りの特殊な葉を持つ植物がどのようにしてその葉を持つようになったのかが気になった。一つ調べて面白いと思った葉が葉緑体を持たないギンリョウソウである。この植物は光合成を行わず、菌根菌から有機炭素を受け取る菌従属栄養植物である。この植物の生息環境は林床だと知られている(1)。林床には葉緑体を持った緑色の植物も存在するのに、ギンリョウソウが葉緑体を失ったのはなぜなのか。生息環境は林床であるため、光はほとんど入ってこないと考えられ、その環境に適応するために、少ない光を林床の植物で取り合うよりは、別の方法で養分を得る方が適応的だったため光合成能を失ったと考えられる。ここで、林床へ適応するために光合成能を失ったのか、光合成能を失ったことで林床に適応できるようになったのかという疑問が生まれた。これを検証するために、ギンリョウソウを光が十分に得られる環境で数世代生活させたとき、光合成能を得た個体が現れれば、林床の適応の結果光合成能を失ったものと判断でき、光合成能を得た個体が現れなければ菌類から栄養を得る能力が独自に発達し、その結果林床にも適応できたのだと推察できると考える。
参考文献(1)田中肇. ギンリョウソウの受粉. 植物研究雑誌. 1988, 53巻, 7号, p.201-202.
A:まず、林床で他の植物と共存していることが前提になっているので、やはり、それらの植物との比較が必要な気がします。他の植物は少ない光を取り合って生きているのだとすれば、なぜ、ギンリョウソウだけが従属栄養になったのか、という疑問は完全には解決しない気がしますので。あと、実験について、進化の実験を「数世代」で行うというのは、無理筋でしょう。
Q:ハリエンジュ Robinia pseudoacacia L. は日本でも街路樹などに用いられることのある北アメリカ原産のマメ科の高木である(1).ハリエンジュは托葉が変化してとげになっており,それぞれの葉柄の基部に1対の鋭いとげが生えている.また,若い幹にも同様にとげが生えているが,成長するととげがなくなる(1).とげの存在意義を考察するには,葉が成長してもとげを持ち続ける一方で成長した幹がとげを失う理由を考えることが重要だと思われる.これは,葉は常に草食動物の食害の危険にさらされるのに対し,幹はある程度成長すると樹皮が厚く硬くなり,食害を受けづらくなるからであると考えられる.これらのことから,ハリエンジュのとげは草食動物による食害を防ぐために獲得したものだと考えられる.また,成長した幹は食害の危険性が低くなったためにコストとなるとげを作るのをやめるのだと考えられる.
参考文献(1)辻井達一(1995)『日本の樹木』, 中央公論社〈中公新書〉, p.210-214
A:葉と幹をを比較するという考え方は良いと思います。ただ、その後の答えは、やや月並みな気がしました。
Q:今回の授業では水中植物、渓流植物や特殊な形態を持つ葉について扱った。授業後に花屋で植物を見ているとシロタエギクという植物を見つけた。シロタエギク表面が白い微細な毛で覆われている銀白色の葉を持つ。こうした形態が持つ意義について考えてみる。シロタエギクは地中海沿岸原産の多年生草本で、耐寒性を持つ(1)。地中海沿岸部は乾燥が強いという環境的特性があり、こうした形態も乾燥という環境に対応するために適応したものだと考えられる。具体的には、植物にとって光というのは必要不可欠なものではあるが、光合成を行う上で、光飽和点以上の光は紫外線によるダメージなどの観点を踏まえても不必要であり、植物体の温度を上げる原因にもなりうる。シロタエギクは銀白色のはを持つため、余計な光や紫外線を反射し、植物体へのダメージを少なくしていると考えられる。また、この銀白色の微細毛は蒸散量を減少させ植物体に水を保持する役割も担っているとかんがえられる。この毛により葉面の境界層が大きくなり蒸散しづらくし、蒸散量を低下させていると考えられる。
参考文献(1)住友化学園芸、植物栽培ナビ シロタエギク、掲載日不明、閲覧日 2024年11月16日、https://www.sc-engei.co.jp/cultivation/detail/5256/
A:最初に特徴として「耐寒性」と書かれ、その後、乾燥の話になるつながりがあまりよくありませんね。光吸収を犠牲にしていること、蒸散量を抑えるためにガス交換を下げても生育の律速にならないと考えられること、を考え合わせると、むしろ、環境条件としては強光が浮かび上がってきます。そのあたり、環境条件と葉の形態を整合的に論理展開する必要があるでしょう。
Q:本講義では陸上と水上等環境における葉の構造の異なりが紹介されたが、私はそれを基に同所的に育つ植物の葉について興味を持った。光合成を行う葉にとってその光合成量を考える場合、葉緑体に供給される二酸化炭素が律速原因になりうると考えたが、エネルギーや境界抵抗性を考えると、その解決方法には大きく2つがあると考えられる。1つは葉1枚の面積を大きくすることであり、この場合、気孔の数を増やすことが出来るため二酸化炭素の取り込みの量を増やすことが出来るとともに得られる光エネルギーの量も多くなることから当たる光の量が増えるにしたがって光合成量が比例的に増加するものと考えられる。もう1つは細胞の数を小さくすることによって境界での抵抗を抑えることである。この場合、展開する葉の面積は小さくなるために気孔の数は少なくなり、二酸化炭素の吸収量も少なくなると考えられるが、一方で風による落葉の可能性を減らし、細胞間隙における二酸化炭素の拡散が早く行えることが考えられた。これら二者を比較すると、光合成の速度に制限を与える要因が大きく2点あり、これらは受ける光の量によって展開する葉の形質が変わっているものと考えられる。
この関係は、陽樹と陰樹における関係性に近いと考えられる。一般的に、陰樹は光補償点が小さく、陽樹は光飽和点が高いという関係でその性質はトレードオフのように紹介されることが多いが、この要因は葉の表面積を増やそうとした結果によるものであると考えられる。一方で、陽樹並びに陰樹が同一種によって寡占状態を起こさない理由として、いずれの植物でも陰陽環境それぞれに対する葉を展開することは可能ではあるものの、異なる性質を持つ葉を作るコストが高い為、その選択をあまりとらないことが考えられ、結果として植物体全体としては陽樹は光の多い環境で展開する、陰樹は光の少ない場所で展開するという選択を取ったものと考えられる。これを確認する実験として、陰樹と陽樹の葉の細胞を確認する方法が考えられる。教科書的に光が当たる部分の陽樹の葉と当たりにくい陰樹の葉を比較すると、陽樹の方が細胞あたりの体積が大きく、また光を受けるための柵状組織が発達していることが考えられ、陰樹は体積が小さく柵状組織があまり発達していないと考えられる。次に、二つの樹木に対して与える光の条件を反転した場合の組織を比較する。この場合、陽樹に陰樹に見られるような性質の葉、陰樹に陽樹に見られるような性質の葉がそれぞれ少数の展開が見られた場合に、この仮説は支持されるものと考えられる。
A:このレポートは、自分で考えているという点で評価できます。ただ、途中から論点がずれている気がします。前半の光合成速度を上げる2つの方法については、「これらは受ける光の量によって展開する葉の形質が変わっているものと考えられる」という部分が結論なのだと思いますが、やや具体性に欠けますし、葉の大きさを増やすという1つめの解決方法は、本来は小さい葉を複数つけて葉の合計面積は変えないという条件で比較すべきものな気がします。後半についても、やや説明が整理されておらず、もう少し論旨をはっきりさせた文章にできるのではないかと思います。
Q:ヒイラギの葉が加齢とともに棘をなくし葉を丸くするが、これは樹高が高くなれば草食動物による被食を防御する必要がなくなるためだ、という話でした。さらに、道路脇や植え込みなどの人が手入れしているものは樹高は高くならないがやはり歳を取ると丸い葉をつけるとのことでした。ヒイラギにとっては、ヒトが剪定を行い枝葉を切ってしまうことは、草食動物に食べられることと同じなのではないかと考えた。むしろ、ヒトはヒイラギの樹高が一定以上にならないように切り、また水平方向にも枝が広がらないように切るから、どれだけ歳をとっても被食から逃れられない状況ではないかと考えた。すると、ヒトによる剪定のように、数世代にわたって一定の範囲外に伸びた枝葉を切り続けた場合、加齢によって葉の形を変えるという特徴に変化が見られるのではないかと考えた。
葉の形質変化に変化がない場合、つまり若い時には棘をつけ、歳を取ると丸い葉をつける場合:まず、棘のある葉を作ることと、一生の内で形質変化をすることにおいて、あまりコストがかからないことが言える。次に、人による剪定と動物による食害が、ヒイラギにとっては別ものとして捉えられている可能性を示唆する。さらに、食害防御以外に棘をつけるメリットがあることを示唆する。
一生を通して同じ形の葉をつける場合:棘の葉と丸い葉で二つの場合があるが、まずいずれの場合においても、葉の形質変化によって食害を防げないことをヒイラギが認識した、形質変化にはコストがかかる、形質変化は歳ではなく樹高である、等の可能性が挙げられる。次に一生棘の葉の場合。ヒトによる剪定をあくまで食害と同一視しよってこれを防ごうとしていること、樹高が低い場合は棘をつけること、等が示唆される。
次に一生丸い葉の場合:棘を作るのにコストがかかっていたこと、棘をつけても枝葉を守れないことを認知したこと、棘をつけるのが特別にプログラムされたことであったこと、等が示唆される。
ここまで食害を重視して考えた。ヒトが剪定をすることで葉が密集すると考えると、ヒイラギの周辺のCO2濃度は低下し風も流れにくいので光合成速度が低下すると考える。すると、棘を維持して葉の境界層抵抗を減らそうとしたり、葉の枚数を減らすなどの新たな工夫、適応が見られるかもしれない。
A:これも、自分で考えていることはわかりますが、論理をもう少し整理できる気がします。また、これも数世代で形質が変わることを期待しているようですが、進化の実験はそのようには進まないでしょう。