植物生理学I 第12回講義

植物の果実と種子

第12回の講義では、植物の果実と種子の形について、機能とのかかわりから解説しました。講義に寄せられたレポートとそれに対するコメントを以下に示します。


Q:ひっつき虫と呼ばれる植物の種子に、トゲ状ものだけでなく、粘液を出すものがあることを知った。ここで気になったことは、種子が動物に付く前に粘液が乾いてしまう可能性があるのではないかということである。おそらく、これを解決する手段を種子は持っていると思うので、その手段について考えたところ、2つ思いついた。1つは、粘液が乾いたときに水分を補給する仕組みがあるのではないかということである。もう1つは何らかの形で自身が付着した動物の存在を感じ取り、その時にのみ粘液を出しているということである。前者の場合、水分を必要とするため、その種子が動物によって運ばれて移動し、いざ発芽しようというときに発芽に必要な水分が不足するという欠点が思いついた。しかし、粘液を維持するために必要な水分量がどのくらいか分からないし、発芽のときは他にも水の供給方法はあると考えられるので、欠点ではないかもしれない。一方、後者については、もし動物の存在を感じ取ることができたとしても、その感度が低いならば、せっかくの付着する機会を逃す可能性が高いと考えられる。後者の場合は、動物に付着していない時も粘液層があれば、この仮説は間違っているとすぐ分かる。

A:種子と果実は明確に分けたほうが良いかもしれません。ねばねばでくっつくタイプのものは、果実がねばつく場合が多いのではないでしょうか。ごく一般的には、種子は乾燥によって休眠に入るわけですし。その場合、果実表面の水分と、種子の発芽の話は全く別ということになります。べたべたしているうちに動物にくっついて、乾燥してきてぽろぽろ地面に落ちれば、むしろちょうどよさそうに思います。


Q:今回の講義では、植物の果実と種子について学んだ。その中でシランの種子は粉末状であり、極めて小さいので風に乗ることができ拡散することができるが、小さくしたため発芽・成長の栄養がなく、ラン菌などの微生物からとっていると習った。しかし考えてみるとこれは胞子であることと何ら変わらないのではないか。胞子は単相世代、種子は複相世代であるが、幼植物になるときは結局複相世代になる。つまり栄養のない種子は胞子とほぼ同じであり、拡散する力は増えたものの成長の力を犠牲にしている。シランのような種子が粉末状であることはむしろ退化と呼んでよいと考えられる。

A:胞子との比較は面白いと思います。一方で、ラン科の植物は、キク科の植物と並んで進化の最先端にいると考えられている植物なので、そのあたりの知識と考え合わせて考察できると、面白いレポートになると思います。


Q:今回の講義で「植物のクローンは動物より簡単に出来る」と聞いた時にその理由が気になった。確かに動物においても細胞分裂によって増殖する細菌がいたりある種のナナフシにおいて単為生殖が報告されていたりするが植物のむかごやタケノコなどに比べて思い出せる実例が少ない。まず動物と植物の最大の相違点と言えば移動能力の有無が挙げられる。移動能力が無いということはその分繁殖相手が見つからない可能性が高くなる。虫媒花もある個体の花粉を付着させた虫が同種の他個体の花に寄らなければ受粉はできないし、まして風媒花ともなれば風向き次第で繁殖の可否が決まってしまう。子孫を残せないということは生物個体においてはなるべく避けなければいけない事態である。そこで最後の手段として自分と同一の遺伝子を持つクローンを作成できるように進化したという仮説が成り立つ。そもそも生物が他個体と交配して子孫を残すのは遺伝的多様性を確保するためであり親と全く同じ遺伝子を持つクローンはその面において劣っている。しかし子孫を残せなくては元も子もないのでクローンという手法を確立させたということである。ここまで述べたのはあくまで自然界においての話であり実験に用いるのは動物でも植物でも同じ細胞である。そこでも植物の方が簡単にクローンが出来るのは先述の理由で植物の遺伝子は動物に比べてクローンが作りやすい状態にあると考えられた。

A:トピックとしては面白いのですが、クローンをつくる技術が簡単かどうかという話と、栄養生殖をする植物の話と、動物と対比しての植物の生存戦略の話が、分けられずに議論されているので、論理の流れがはっきりしません。植物にも栄養生殖をするものと他家受粉をして繁殖するものが両方あるわけですから、うまく話を整理すれば面白いレポートになると思います。


Q:オナモミの果実にはかぎ状になっている棘があるいう話があったが、これは動物の体毛などに付着させることで、果実を遠くまで運んでもらうためとのことだった。繁殖にあたっては利便性が高い方法であると感じたが、オナモミ以外にはこうした種子散布形態を取る植物を私は知らないので、デメリットもあると考えた。デメリットとして考えられるのが、果実がいつ地面に落下するかということである。全身が体毛で覆われている動物では、オナモミが毛に絡まって上手く落下しない可能性が考えられる。風に運んでもらう種子散布形態などに比べると、種子が地面から離れている時間が長くなってしまい継代に時間がかかってしまうのではないだろうか。

A:そのような考え方をした場合に、では、どのようにすればデメリットをなくせるか、と考えてみてはどうでしょうか。たとえば、数回雨にあたると、かぎの根元が腐ってぽろっと落ちる、といった果実を作ることは、それほど難しくないように思います。


Q:果実の光合成について。果実は一般的に初めは緑色をしているが、熟すにつれて赤や黄色に変化する。今回は、色が変化する理由やその原理についてではなく、果実の緑色と光合成に関連があるのかについて考えてみたい。果実の緑色はクロロフィルによるもので、これは熟すにつれて分解され、アントシアニンなどの色素が合成されることで赤や黄色に変化する。この流れは、以前に講義でも取り扱った、紅葉に近い仕組みなのではないかと考えられる。すると、果実が緑色の状態では、光合成をしているということが言えそうだ。これは実際に光合成活性を測定すればわかることではある。植物にとってクロロフィルは貴重であると以前の講義でもあった、それをわざわざ果実に持ってくるとなると、やはり果実は光合成をしているのではないかという確信がでてくる。では、仮に緑色の状態で光合成をしているとなると、なぜ光合成をする必要があるのか。これは、植物にとって果実は必要なものである一方、成長にとって負担になるものでもあるからなのではないか。果実は種子の拡散のためにできるものだが、その成熟のためには多くの栄養が必要となる。そこで、果実の成熟は葉だけでなく果実本体にもがんばってもらうような仕組みになったのではないか。

A:考え方はよいと思います。できたら、単に光合成をする、しない、という二分法ではなく、葉に比べてその光合成活性はどの程度なのだろう、という点にも目を向けてほしいと思います。葉と同じ光合成ができるのであれば、果実に光合成をさせない手はありませんし、逆に、(例えば気孔を作りづらいなどといった理由で)葉よりも光合成の効率がだいぶ落ちるようだと、コストをかけて緑にするかどうかという判断が難しくなってくると思います。


Q:私の家はイチゴを栽培しているが、毎年春ごろにイチゴのランナーを切る。今回はなぜイチゴのランナーを切るのかを生物学的に考察したい。まず一つに、ランナーで繋がっているイチゴは栄養や病原菌を共有している点である。つまり、栄養を共有しているということは、子株に栄養を供給していることを意味し、ランナーで繋がっていない物に対して、一定面積(土壌条件などは等しいと仮定)当たりから得る栄養は少ないと考えられる。さらに、病原菌を共有しているということは、一つでも病気になれば、ランナーで繋がっている他の株が全滅するリスクが有ると言うことである。次に、ランナーで繋がっていることで、十分な光をイチゴが受けられない点である。なぜなら、ランナーの方向は人為的にコントロールしにくいので、イチゴの配置は不規則になる。そうなると、他の株に隠れて光を受けれない株が出てくる。もっと言えば、株の数が多いということは、それだけ光を巡る競争が激しいと言える。そして弱った株が病気になったりして、繋がっている他のイチゴの成長を阻害する恐れがあると考えられる。以上の事より、イチゴのランナーは切った方が、イチゴを栽培する上で効率的と言える。

A:これはこれで面白いのですが、結論として、イチゴのランナーを切ったほうが植物にとってもよいのであれば、ある程度成長したら、自動的にランナーが腐って切れるようなイチゴが、進化の過程で選択されるようにも思います。そのようになっていない理由は何か、考えてみても面白いでしょう。


Q:植物は様々な方法によって種子を多くの土地に拡散し、子孫の生息域を広げていることを学習した。その中でオオナモミは果実の構造である反しがついたとげを動物にひっつけて遠くに種子を運んでいる話があった。この話が出たときに小学生低学年の頃よくオオナモミを付け合う遊びをして、家にまでこの実をつけて帰ったとき親によく叱られたのを思い出した。ここで思ったのは、小学生のとき目線の先にあるオオナモミをとって遊んでいたということだ。このことから地上から120cm以上はあるところに果実がなっていたことになる。しかし、オオナモミの特性は自然界において動物に果実を引っ付けるものであるのに対しタヌキやキツネなど普段生息する範囲で地上120cmのところに体がない動物が多いはずだ。このことから、自然界ではオオナモミの実がなる高さは120cmよりも低いところにあると考えられる。そして、人間が多く住む土地では歩くときに足および腰よりも腕のほうが外に出ている(蟹股の人を除く)ことからより果実を人にくっつけやすいように成人の腕の高さのあたりで実がなるよう進化したと考えられる。

A:これは、なかなか面白い考え方だと思うのですが、そうだとしたら、人がいる場所といない場所でオナモミの背丈が異なるはずですね。あまり、そのようなことは聞いたことがありませんが。もう一つの仮説として、実は、オナモミは、実を付けた後に茎が枯れて倒れて、その段階で動物にくっつくということは考えられませんかね。僕自身も正解は知りませんが。