植物生理学I 第5回講義

細胞内共生と葉緑体の起源

第5回の講義では、原核光合成生物であるシアノバクテリアが共生によって葉緑体へと進化する過程について解説しました。講義に寄せられたレポートとそれに対するコメントを以下に示します。


Q:今回の講義でシアノバクテリアから陸上植物への共生の経路のことについて学んだ。もしかしたらシアノバクテリアからプロクロロン、緑藻、陸上植物への経路があるかもしれないという説もあったがゲノムの解析をしたら多分それはないだろうということを聞いた。ではなぜ前者の経路になったのだろうかということが気になった。地球の誕生から空気で覆われるまでの過程で酸素を大量に発生をした時、光合成生物が海の中で大量に発生し光合成を行っていた。海の中に届く太陽光は地上の太陽光と違って紫外線や赤外線、赤色の波長が水に吸収されてしまう。なので、シアノバクテリア、原始藻類、紅藻という流れで共生して、陸上に近くなっていったとき残りの光も吸収できるように色素の交換が起こり緑藻となって陸上植物と共生したということが考えられる。この考えからするとシアノバクテリアから直接プロクロロン、緑藻、陸上植物というのは難しいと考えられる。

A:光合成色素についてはこれから学びますが、紅藻と緑藻の光吸収が一番異なるのは緑色光の部分です。海水の吸収ではやや説明しづらいかもしれませんね。


Q:今回の講義では、ハテナという生物が取り上げられた。私はなぜハテナが奇妙な分裂の仕方をするのか考えた。つまり、一方が葉緑体を引き継ぎもう一方は引き継がないとは今まで「ノーマルな」生物しか学んでこなかった私には不思議であった。(なんとなく日本の家制度が頭に浮かんだ。) 私はこれを有性生殖の意義に近いものがあるのではないかと考えた。取り込む藻類はプラシノ藻のネフロセルミス属(緑色植物の最も原始的なグループ)のどれかであるようだが、それを満たせばどの個体だっていいのである。様々な共生体を得ることによって少なくとも葉緑体の遺伝子組成は変えて今日まで生存してきたのではないか。確かに、葉緑体の遺伝子が核の遺伝子ほど重要ではないと思われるが、葉緑体がダメになってしまえば植物は生きていけないし今回の講義で扱ったようにマラリア原虫のアピコプラストも生命維持装置なのである。ハテナは一見奇妙な生物で分裂個体の片方しか葉緑体を引き継げないのはなんとも強欲な気もするが、生き残る術として合理的だったのかもしれない。
(参考文献)「つくば生物ジャーナル」http://www.biol.tsukuba.ac.jp/tjb/Vol5No3/TJB200603SE1.html

A:「家制度」というのは面白い表現ですね。多様性を取り込む葉緑体によって維持するというアイデアも独創的でよいと思います。ただ、後半、論旨が多様性からずれているのでやや一貫性を書いている印象を与えます。


Q:今回の授業では、主に植物の進化の上での共生について、さまざまな例をもとに学んだ。マラリア原虫のように過去に藻類と共生していた事が、葉緑体DNAを含むアピコプラストいう構造を持つということからわかり、さらにその構造物が今でも光合成以外の重要な生存に必要な役割を持つということもわかっている。また、ハテナという藻類を取り込み葉緑体として機能させる共生の過程の途中と思われる生物も見つかっている。また光合成を行う真核生物を葉緑体として取り込み2次共生が成立している生物も多数いることがわかっている。このように、光合成は化学的な生体内で用いやすいエネルギーまたは酸素を生み出すので、それをできない生物が光合成生物を上手く取り込むことができれば、他の個体より生存に有利になる。しかし、それが定着するためには取り込んだ側と取り込まれた側とで上手くゲノムの一部が交換される、細胞分裂を同調する、取り込んだ側が取り込んだ藻類などを消化しないようにするなど様々な条件が整わないといけないのだろう。実際にハテナは取り込んだ藻類と細胞分裂が同調しないために完璧な共生ができていない。小さな生物に意識があるような言い方になるが、地球上の様々な環境で、共生を行って光合成能力を獲得したい生物は多くいるがそれに成功する生物は少数であると考えれば、植物の系統樹をRNAで系統樹を書いた場合と光合成色素で系統樹を書いた場合で結果がバラけるのにも納得がいく。

A:きちんと考えていてよいと思います。真ん中あたりまでは、主に講義の内容に沿っていて、独自性がはっきりするのは最後の1文だと思いますから、前半を削って、最後の1文を膨らませると、より個人の主張がはっきりしたレポートになると思います。


Q:我々のクラスの内においても『共に生きる』仲間について考えさせられる出来事のちらほらと見受けられる今日この頃であるが、前回の講義において扱った細胞内共生のはじまりについて考えてみたい。ところで、一般的に被食者と捕食者の関係は被食者の個体数の増減が捕食者の個体数に大きな影響を与えるが、内部寄生や細胞内寄生の場合は被食者にあたる宿主の個体数が十分であれば生存率がより直接的に大きな影響を与えると考えられる。もちろん実際には個体数による影響はあり単純にはいかないが、例えば芋虫が1000匹いようが10匹しかいなかろうが、芋虫の生存率が10%しかなければ、寄生蜂が芋虫に100個の卵を産んだところで約10匹の成虫しか育たない。さて、細胞内共生は宿主細胞の内部に入り込む点で、先述の寄生の例に似ている。初期のうちは共生といえども宿主の器官のような存在ではなく、宿主の生存に左右されるだけの独立生物のような存在だったであろうことを鑑みると、宿主のほうが生存に適していた可能性がある。仮にそのようであれば、ミトコンドリアや葉緑体が共生した真核細胞の持つ利点について考える余地がある。あるいは、一般的に生物が生き残り子孫を残していけるのは自然選択で生き残るためと考えられるが、逆に競争がなく自然選択が働かないという可能性も考えられる。当時は生物の大きさや密度、繁殖力の割には資源が多く、それをめぐる競争がほとんどなく共生が起こった細胞もそうでない細胞、原核細胞も真核細胞も同じように生育し続けることができ、多様性につながったという可能性が考えられるのではないか。疑問の羅列のような文書になってしまい情けない限りであるが、次回以降の機会に突き詰めた考察を加えていきたいと思っている。

A:面白いポイントが複数入っていて、何らかの才能の片鱗を感じさせるレポートですが、その才能がサイエンスに関わるものであるのかどうかは判然としません。おそらく科学的なレポートとしては、焦点を一つに絞って論理を展開することが重要だと思います。


Q:今回の授業でシアノバクテリアと、真核生物が一次共生によって、最終的に真核生物が葉緑体を得たことを学んだ。ここで、葉緑体を失った植物について疑問をもった。真核生物にとって異物である存在を取り込んで共生させることは、原核生物と真核生物の違いや、捕食者と捕食される側の違いのように、負担になるものである。しかし、負担になったとしても酸素を用いて栄養を作り出すことができるメカニズムに魅力があったため共生を続け、葉緑体として受け継がれてきた。このような苦労をして得た葉緑体を手放すメリットについて考察する。葉緑体は主に、光合成、アミノ酸合成、脂質合成など植物細胞における代謝の重要な働きを担っている。この葉緑体を失った場合、独立して栄養を作り取り入れることができないため、他者からうけとる必要がある。その結果寄生植物や、腐生植物のように他の植物もしくは菌類のに寄生している植物が存在している。植物が光合成を行うには光エネルギーが必要である。しかし、光が定期的に当りにくい植物や光合成ができない地下に生えている状態の植物などは、他者から栄養をもらった方が効率が良い。また、栄養素を全てを他者に依存するとすれば、葉を目いっぱい広げ光をより集めようとするエネルギーや葉をつける必要もなく、必要最低限の栄養で生命を維持することができる。よって、環境によっては植物は葉緑体を失った方が良いとなった時は、葉緑体をなくし寄生することにより生活することができると考えられる。

A:よく考えていると思います。可能であれば、もう少し独自色が欲しいところです。サイエンスの世界では人と同じことをやっていてはだめですから。


Q:今期の講義ではクレオモルフの説明がされた。ヌクレオモルフとは核の形によく似ていることから取り込まれた個体の核なのではないかと考えられている。ヌクレオモルフは共生の概念を裏付けている根拠のひとつなのだ。しかし、全ての共生生物に見られる構造としては周知されていないことから、私はヌクレオモルフが共生生物の全てに見られる構造ではないと考えた。光合成の話に沿うならば、共生した藻類の核であった構造は宿主のゲノム的側面から不要、または正の影響を与えないためヌクレオモルフになることなく消失・退化していったのではないだろうか。このヌクレオモルフの運命を知る為に必要なものとしては、近年共生をし始めた生物が挙げられる。取り込まれた個体の内部構造は共生を始めた直後、共生前のままのはずである。したがって、共生直後から取り込まれた個体を観察することでその核であった構造がどのように変化し、退化していくのか知ることができる。クリプト藻類やクロララクニオ藻類がなぜヌクレオモルをもつのか知る手がかりになるであろう。

A:ヌクレオモルフを持っている生物と持っていない生物があるということは、進化を考えた時に、ヌクレオモルフが役立つ環境と役立たない環境があるということでしょう。それらがそれぞれどんな環境だろう、ということを考えることができると素晴らしいレポートになります。


Q:今回の講義で二次共生して生きている藻類がいくつも登場し、三次共生の繊毛虫も登場したが、では今後、四次共生以上の生物が新たに発見される、または新たに出現する可能性はあるだろうかと疑問を抱いた。そこで藻類を共生させうる生物の条件について考えてみる。藻類を消化せず細胞内に共生させる可能性を持つには、獲物を分解してから体内に取り込むのではなく、直接体内に取り込んでから分解する(共生させる場合は分解はしないが)生物でなければならないため、捕食をエンドサイトーシスで行う単細胞生物である必要があると考えられる。しかし単細胞生物は大きさが非常に限られる。自分より大きな細胞をエンドサイトーシスすることは不可能なため、すでに他の藻類を共生させるほどの大きさの細胞をさらに共生させる生物はそう多くは存在しないものと考えられる。よって、少なくとも十次、二十次、というほど共生を繰り返した生物が存在する可能性は限りなく低いと考えられる。

A:何回まで共生が可能か、というのは面白い話題ですね。共生の限界をもたらす要因を大きさに絞っているので、論旨は単純ですが、この講義のレポートとしては十分です。