植物生理学I 第11回講義
続・光合成の電子伝達
第11回の講義では、前回の続きとして、光合成電子伝達の仕組みについて補足したのち、光化学系の進化などについて触れました。講義に寄せられたレポートとそれに対するコメントを以下に示します。
Q:今回はチラコイド膜の方向性について考えてみたい。大体の教科書などをみると電子伝達系は左から右に光化学系Ⅱ、シトクロムb6/f複合体、光化学系Ⅰと並んでいる。一般的に文字を横書きするときは左から右に書くことから、左から右に図を描き、流れを説明するのがわかりやすいためだろう。実際の生体上ではどうかというと、当然右から左にいく場合もあるだろう。そもそも視点をどこに置くかでいくらでも見え方は変わる。ところで、チラコイド膜の説明ではXZ軸しか議論されないが、Y軸方向に平面的な広がりがあるはずである。ということは、電子伝達系が順番に列を作って並んでいると考えることはあまり意味がないのではないか。平面上に光化学系などがランダムに配置され、近くにある者同士が一連の系をつくると考えた方が合理的である。その場合、光化学系Ⅱからシトクロムb6/f複合体へ反応が進むとき、ひとつの光化学系Ⅱから1つのシトクロムb6/f複合体へと進むとは考えにくい。つまり、たくさんの光化学系Ⅱからたくさんのシトクロムb6/f複合体へとどれかひとつに固定されずに反応が進んでもおかしくはない。仮に反応経路が自由に変更されうるのだとしたら、ニューロンネットワークでおきているようなことがおきる可能性がある。例えば、H+が不足しているところがあれば、そこに近い電子伝達系が使われ、それはまた自由に組み変わり次の反応がおきる。このようなことが起きるには、構造の自由度が必要であると考えられるが、そもそもすでに合成されたタンパク質と神経細胞を一緒に考えることはできない。自由度という観点では、電子の流れはある程度変わりうるのだろうが、一度決まった流れを変化させるのは簡単ではないように思える。
A:よく考えていると思います。生体膜は、タンパク質複合体が脂質の海の中を動きうるという流動モザイクモデルで説明されることが多いと思いますが、最近になって、複合体同士が結合して、いわば超複合体を作る例がいくつも報告されています。全てをそれで説明できるかどうかはまだわかりませんが、そのような、複合体同士の相互作用が電子伝達の調節に働いている可能性は十分にあると思います。
Q:今回の講義で光合成の電子伝達についてひと段落ついた。そこで私が疑問に思ったことがある。それは光化学系は1つで済ませられないのかということである。この場合の「1つで済ませられないのか?」というのは2つの意味が含まれる。1つはどちらか一方が破壊されても植物の生存の影響はないのか。もう1つは光合成ⅠとⅡの役割を1つの光化学系に集約できないのか、ということである。前者の場合は一見できないように思えるが、どんな回路もある部分が壊れたらどこかが代替するといったことが生じるかもしれない。後者の場合は試作品を作って試すしかないであろう。と言いつつも、今の光合成の仕組みを保つなら、光合成ⅠとⅡだけでなくシトクロム接合体の役目も同時に担うことになるであろう。どちらにしても様々な酵素反応やエネルギー反応を1つの装置に集めようとするのは困難が伴うことだけは言える。
A:20年近く前に、光化学系Ⅰを破壊しても緑藻が光合成的に生育可能であったという論文がNatureに、そしてその続報がScienceに発表され、世界中を驚かせたことがありました。しかし、実際にはどうも破壊が不十分だったようで、ごく僅かに残っていた系Ⅰが働いて生育に寄与していた、というのがその後の他のグループの研究によってほぼ確定しました。これは、誤報の話でしたが、人間が少し手を加えてやれば、全く新しいタイプの光合成生物が誕生する可能性はまだあるように思います。
Q:光合成においては、その化学反応がすすむためには電子の移動が重要となっている。光合成をすすめる上で何故電子の移動が重要なのだろうか。電子がある方向に移動すると、その反対方向に電流がながれる。つまり、光合成の化学反応がすすむと、同時に植物体内に電流が流れていると考えられる。動物は、さまざまな刺激をつたえるために電流が流れる。植物も光合成の反応で、電流を流すことで、情報伝達を行っているのではないかと考えられる。例えば、光の強さなどの情報である。植物は、呼吸や光合成のような生命活動をしながら、情報伝達を行っているのだろう。植物が活きる基本となる活動で、情報伝達も兼ねることが出来れば効率も良い。したがって、光合成をすすめる上で、電子の移動が重要であると考えられる。
A:これは、光合成の電子伝達が、二酸化炭素を有機物に固定する炭素同化にエネルギーと還元力を供給する事実を理解したうえで、考察しているのでしょうか?その場合、エネルギー生産という基本機能を継続しながら、そこへ情報をどのように載せるのか、という点に関する考察が必要だと思います。一方で、光合成の状態は、電子伝達の状態に反映されるでしょうから、電子伝達をいわば情報源として、電子伝達体の酸化還元状態をモニターして光合成関連機能や遺伝子発現の活性などを調節する、ということは十分に考えられますし、実際にそのような調節系がいくつか知られています。
Q:今回の授業で、紅藻類であるアサクサノリの吸収スペクトル、作用スペクトルを学びフィコビリンが緑の光を吸収しているということを学んだ。さらにフィコビリンは、補助色素として光を集めクロロフィルaに伝達して緑色の光を吸収しているということもわかった。そして、さらにフィコビリソームの役割によってクロロフィルによる波長の作用スぺクトルは著しく下がっているということもわかった。このように、フィコビリンは緑色の色も吸収することができ、クロロフィルaに渡すことで利用できるようになるということから考えると、ではなぜ緑藻ではフィコビリンをもたないのだろうか。5月くらいの講義でシアノバクテリアはクロロフィルaとフィコビリンをもち、そこから原始藻類に進化しさらにそこから紅藻、シアノフォラ、緑藻に分化しその過程で緑藻はフィコビリンからクロロフィルbに色素の交換がおこったということを習った。紅藻類は水中で生活するので長波長が来ないので緑の光を利用するためにフィコビリンが有用な役割を担っているように、自身の利用できる光を吸収するために最適な色素を持ち合わせながら進化してきたことがわかる。このように、自身の利用できる光を効率よく利用するために色素を変化させながら進化してきたことがわかる。このようにして緑藻は色素を変換してしまったことでフィコビリンをもたなくなった。このような進化の過程から、クロロフィルa,b、フィコビリン、カロテノイドなどの色素をすべて持ち合わせている生物はいないのではないかと気が付いた。では、不可能に近いかもしれないがもし、陸上植物などにフィコビリンという色素を組み込むことができ、いままで吸収できなかった緑の光を吸収し光合成に利用できるようにしたらどうなるだろうか。今回のアサクサノリの例のようにクロロフィルで光を吸収してもそれをそのまま使うことができなかったり、エネルギーを高いほうから低いほうに伝達する仕組みをきちんとつくらなければならないなどの問題点は生じる可能性が高いが、特にさまざまな光の当たる陸上においては様々な波長の光を平等に使うことのできる生物が出現しもおかしくないのではないかと思うが今回のフィコビリソームのように効率的に伝達できるシステムが必要だ。
A:以前の講義の内容と合わせて考察していて評価できます。ただ、せっかく、「いままで吸収できなかった緑の光を吸収し光合成に利用できるようにしたらどうなるだろうか」という疑問に対して、あまり明確な回答が与えられていないのが残念です。この点に関しては、いろいろな考察が可能だと思います。
Q:今回の講義ではアサクサノリがPBSを利用することによって光化学系Ⅱでの光合成の少なさを補っているということを学ぶことができた。そのためアサクサノリは通常光合成では利用できない緑の光を吸収し、利用することができている。緑の光は確かに海水に吸収されにくく、深いところまで届き、他の植物は利用できない。しかしアサクサノリは浅いところに生息しているため、ほとんどの波長の光がほぼ問題なく届くと考えられるし、特に緑の光を吸収する必要が特にあるわけではない。ではなぜアサクサノリはPBSを選択し、緑の光を利用するのであろうか。考えてみた結果、アサクサノリは浅いところに生息しているため、特に緑の光を吸収する必要が特にあるわけではないとは述べたが、必要性ではなく優位性を重視したのではないかという考えしか思いつくことができなかった。やはり浅いところにいたとしても光が何らかの影響で届きにくくなってしまう可能性はないわけではなく、緑の光を利用できるようにしておくことでさらに保険をかけておいたのではないかと考えた。
参考文献:カラフルな海藻は語る 横浜 康継 http://www.biol.tsukuba.ac.jp/tjb/Vol3No10/TJB200410YY.html、釣りの科学技術対話 第5章?海の太陽光吸収スペクトル http://www.tzwrd.co.jp/fish/fish6.pdf
A:「保険」というのは面白い考え方だと思います。ただ、実際に、生命の進化を考える上で、保険が重要な要素になっている例をあげようと思うと、案外少ないように思います。厳しく、かつ刻々と変わる環境に対応して、さらに他の生物との競争を勝ち抜くためには、起こるかどうかわからない事態に保険をかける余裕があまりない、ということなのかもしれません。
Q:Z-schemeにて、光化学系Ⅱだけが他の4つの光化学系よりも下に下がり、水と比べても+側に酸化還元電位が偏っていると伺いました。そのために水を分解し、電子を得る事ができ、酸素の合成をする事ができる。また、単一光化学系しかもたない紅色細菌と緑色硫黄細菌が融合し、各々の光化学系が共役することで現在の光化学系Ⅰ、Ⅱになったことも伺いました。しかし、紅色細菌は有機酸、緑色硫黄細菌は硫化水素を利用して安定してエネルギーを得ているのに対し、光化学系Ⅱは水を酸化する高エネルギーな過程を経てエネルギーを得ている。すると、安定している光化学系を持つ紅色細菌と緑色硫黄細菌がただ融合して現在の光化学系の元となったとは考えにくい。そこで、私は何らかの理由によって、有機酸でもなく、硫黄でもなく、水を酸化する必要が出た事が原因だと考えられる。それは植物が有機酸や硫黄がない場所に進出したことと関連すると考えられる。
A:自分で考えようという姿勢は感じられます。ただ、最後の部分、やはりもう少し具体的に、どんな可能性があるか、一つでも挙げてほしいところです。「関連する」というと、やはり漠然としていて弱いでしょう。突拍子もない考え方であっても、可能性を挙げることができると説得力が出ます。
Q:今回の講義ではQサイクルについて学んだ。Qサイクルとは安定なセミキセノンCoQ-中間体を経てCoQH2が再酸化の反応サイクルを二回行うことである。これにより二つの電子が通過する際に四つのプロトンを膜幹部へは運ぶことができ効率的である。反対に考えればQサイクルが働かなければプロトンの量を抑えることができる。とプロトンが過剰であるときはサイクルは働く必要がないと考えられる。
A:これは、非常に面白い点に気づいてはいるものの、そこで終わってしまったレポートですね。「働く必要がない」場合に、生物にはどんなことが起こるのか紹介してみるとよいと思います。可能性としては、条件に応じてQサイクルを止めてしまう生物が進化する可能性もあるでしょう。その辺りを考えて初めて論理的なレポートになります。
Q:Z-schemeは酸素発生型光合成の光化学系Ⅰと系Ⅱをつなぐ仲介役を担うが、そもそも光合成生物の有する初期の光化学系はこのような複雑なものではなかった。つまり、光合成生物の進化では光化学系における進化・発展が見られ、光化学系の連結は水を分解することを起点とした光合成を可能とするものであり、光合成の大きな変化を生んだ。しかし、講義中に先生が言っていたように以前の光合成(酸素非発生型光合成)とは異なり二段階のプロセスを踏む必要がある。また、光合成開始のために水分子を酸化できるほどの強力な酸化力の獲得や光化学系ⅡからⅠへの反応経路の形成といった大きな変化が求められる。光化学系の進化は光合成へ恩恵を与える形で収束しているが、今回はより単純な形はないか考えてみた。光化学系ⅠとⅡはその機能を電子伝達系によって連結しており、そのはたらきで電子の受け渡しが行われる。この電位伝達系を省き光化学系の統合を試みる。光化学系の統合は双方のクロロフィルの混在させることを意味し、単純にクロロフィル量も二倍になると考えられる。吸収波長は異なるが反射による干渉も含め3年実習で実際に目にしたようにクロロフィル量の増加は自己吸収につながり、その結果光の吸収効率は上がることが推測される。このように電子伝達系を省くことは光合成の効率化に貢献しているように思える。しかし、実際には電子伝達系のもう一つのはたらきでもある光リン酸化を省くことになり光合成過程におけるATPの形成を減少させる結果となってしまう。したがって、私の考えた見かけの単純光化学系より現在の光化学系の形は光合成を行うという本質的な意味で単純な構造をとれているのだ。系Ⅰ・Ⅱにおける能動的な二つの反応をより直結させるためには、全体でのATP生産量のロスを生まないことを頭に入れつつ、電子伝達系を双方に組み込む経路を考えた光化学系の設計が必要となるだろう。
A:これは、きちんと考えて論理的なレポートになっています。特定の仮定に基づいて、その結果を推測していて、論理的に展開するための一つの典型的なタイプのレポートといえるでしょう。レポートにうまく論理性を組み込めないという人も多いようですが、このような形で考察するのは一つの手です。強いて言うと、ちょっと当たり前の結論にはなっている点が少しもったいないように思います。
Q:光化学系ⅡからⅠへの直線的な電子の流れのほかに、シトクロムb6/f複合体とプラストキノンによって構成される環状の電子の流れが存在し、電子に対して2倍の量のプロトンが輸送されるキノン回路という仕組みが自発的には進行しないのだということを学習した。この仕組みは、キノン回路が直線的な電子伝達に共役していることが原因で、本来ならば自発的には起こらない反応を進行させることができるというメカニズムであり、一見画期的な仕組みのように思えるが、実際はプロトンを余分に運ぶのにすぎず、仕組みとしては触媒の反応に似ていると思う。単体では起こらない反応を触媒を利用して、活性化エネルギー以上の状態に系を引き上げてやることによって、起こりにくい反応を起こすことができる。今回は直線的な電子伝達が触媒でキノン回路の反応を助けているということができるだろう。
A:触媒との対比が面白いですね。もうちょい、考察の余地があるように思いますが・・・。
Q:今回、アサクサノリは可視光のほぼ全ての領域を吸収するにも関わらず、実際には光合成に使われていない波長があることを学んだ。アサクサノリは光化学系Ⅱにフィコビリンを、光化学系Ⅰにクロロフィルを持っている。フィコビリンはクロロフィルの上流にあり、フィコビリンに光が当たった時には光合成が行われるが、クロロフィルのみに光があたったときには光合成は行われない。したがって、フィコビリンの吸収しない波長での光合成は起こらず最初に書いたように、可視光全体を吸収はしていても光合成が起こらない領域も存在するということになる。この話を聞いた時、私は、アサクサノリにクロロフィルは必要ないのでは?という疑問が浮かびました。それに対して自分なりの解答を2つ考えてみました。まず1つ目は植物にとってひとつの色素体だけを持つことは危険であること、です。1つの色素体しか持っていなかった場合、もしその色素体で吸収できる光が何らかの理由で得られなくなってしまったらエネルギーを作ることができず植物は死んでしまうからです。次に2つ目は、アサクサノリにおいては、フィコビリンだけでもクロロフィルだけでも植物の成長や生存に必要な栄養を作り出せないのかもしれない、ということです。フィコビリンについては、まだ分かっていないこともあるようなので、私がここで考えた以外にフィコビリンだけではだめな理由があるかもしれません。今後解明されていけば、と思います。
A:現時点において、クロロフィルを持たない光合成生物は知られていません。つまり、全ての光合成生物はクロロフィルを必要としていると考えられます。この理由は、おそらくは、電荷分離を行う反応中心をクロロフィル以外の物質でつくることが不可能だったせいであると考えられます。しかし、なぜそれが不可能なのか、という点にまでさかのぼると、パッと考えた竹では答えが出ませんね。
Q:チラコイド膜に存在する電子伝達鎖について、何故この鎖の構成分子は一連の反応に関わるものであるのに、ピルビン酸デヒドロゲナーゼ多酵素複合体のようにひとつの複合体になっていないのか疑問を持った。その理由について考える。電子伝達鎖は様々な分子が近くに寄り集まっているわけだが、その中には光エネルギーをよく吸収するクロロフィルがあることを考えると、度々高エネルギー状態になるクロロフィルを光化学系Ⅱ、Ⅰという形で隔離しているのでないだろうか。あるいは別の理由として、例えば光化学系のアンテナ複合体だけでもすでに数百分子の複合体であり、さらにその光化学系はⅡ、Ⅰそれぞれ数十種のサブユニットから成っていることから(参考文献1より)、電子伝達鎖を構成する分子はすでに十分複合体としてまとまっており、現在の状態以上にはまとまれないのではないかと考えられる。
参考文献(1):彦坂幸毅、” 光合成系構成要素”、 東北大学大学院生命科学研究科生態システム生命科学専攻機能生態学分野HP、2014-7-13参照、http://hostgk3.biology.tohoku.ac.jp/hikosaka/Components.html
A:上の方の答えでも述べましたが、複合体同士が相互作用した超複合体は、いくつか確認されています。ただし、今のところ光化学系の2つの複合体が合わさった例はなさそうです。ということは、このレポートで述べられているような何らかの理由があるのかもしれませんね。
Q:今回の授業から、トンネル効果などの物理的な現象が光合成でも利用されているという話を扱った。この話を聞いて、生物学という学問は生物学という枠組みの中のみで成り立っているわけではないということを再認識させられた。今回のレポートでは、植物生理学とはかなりかけ離れた議論になってしまうが、学問の枠組みについて理科や生物学を例に挙げて論じてみたいと思う。
中学理科に関して、平成24年度より新学習指導要領が施行されたが、これには前学習指導要領と大きく異なる点が1つある。前学習指導要領では、中学理科は第1分野(物理・化学)と第2分野(生物・地学)の2つに分かれていたが、その区切りが撤廃されたのだ。私自身この2つの区分には何の意味があるのだろうかと疑問に思っており、時には無駄なものだと思うことすらあった。しかし、最近になって、第1分野の学問は理科を扱う上での基礎となっており、第2分野の学問はそれらを基に成り立っているのではないかと考えるようになった。それならば、我々のように生物学を専攻している人間でも物理学・化学についてそれなりの知識が必要となるだろう。しかし、生物学教室内の学生ですら、高校時代には殆どの人が物理・化学を学習したにも拘らず、それらのどちらかあるいは両方の科目に対して苦手意識を持ち、距離を置いてしまう人が多い。これは、中学・高校時代に与えられた理科の中に枠組みが存在しているという考えがそのような意識を与えているのではないだろうか。人は区切りがあると自分の好みをその枠組みで決めてしまう傾向がある。事実、高校時代は生物が好きだった学生でも、大学に入り生物の多様な区切りを与えられた影響により、「○○生物学」は好きだけど「□□生物学」は苦手といった風な意識を持ってしまった人もいるだろう。そういったことを避けるという意味では、新学習指導要領での第1分野・第2分野の区切りの撤廃は画期的であると言えるだろう。
3年生は冬から研究室配属が行なわれ、より学問の区切りというものに縛られがちになってしまうだろう。しかし、今後我々が研究を行なっていく中では、いかにそれらの区切りを取り払えるかどうかが、よりクリエイティブな発想を持つことができるかどうかの重要な分かれ目になるように思われる。
A:個人的には、僕が生物学教室に入ってきてほしい学生は、物理と化学をよく知っていて、生き物を育てるのが好き、というタイプです。生物学を大学で研究するうえで、高校の生物の知識は必須ではないように思う一方、世界を相手に最先端の研究を進めるためには物理化学の知識を持っていた方が絶対に有利です。一方で、医学などの応用分野の場合は別ですが、生物の本質を明らかにしようとする研究の場合、生き物をきちんと扱えなければ致命的です。同じようなことは、東大の地球科学の先生方もおっしゃっていました。やはり、物理と化学を知っていて、地学や天文が好きな人に入ってきて欲しいとのことでした。極論ですが、高校での座学は物理化学だけにして、生物と地学は観察クラブにでもするのが良いかもしれません。