植物生理学I 第4回講義

葉緑体のゲノム、光合成色素

第4回の講義では、葉緑体とシアノバクテリアの関係についてゲノムの変化を主に解説したのち、光合成の出発点となる光エネルギーの吸収を担う色素、クロロフィルとカロテノイドについて解説しました。講義に寄せられたレポートとそれに対するコメントを以下に示します。


Q:本講義では,Malacosteaus nigerが保有するクロロフィル様分子に興味を持った.このクロロフィルは,赤外線を感知するために用いられていると紹介されていた.しかし,まず疑問に思う事が,深海に赤色(長波長)の光は届かないという事である.ダイビングの経験上,海洋中では赤色(長波長)の光から順に吸収されて行き,青色(短波長)の光が最も深くまで届く,それでも水深200 mを越す深海では光が届かない.そのためか深海生物のほとんどは,最も先に吸収されてしまう超波長の光は感知する事が出来ないことが知られており,潜水艇での調査では赤色灯が使用される事が多い.一方,短波長の光には敏感で,生物発光のL-L反応を利用していることは良く知られている.では,広範囲に届きにくく利用しにくい超波長の赤外線を,なぜ利用しているのだろうか.一つ考えられる事が,他の生物が利用していない感覚を利用することで,生存競争に有意に立つという事である.動物が獲物の発する赤外線を使って位置を同定することは以前聞いた事がある.次に疑問に思った事が,そのクロロフィル様分子は一体どこから来たのかという事である.この分子を生産する遺伝子を同定する事により,その由来を探る事はできないだろうか.

A:これは説明したと思いますが、実際には、この魚は環境中の赤外光を感知しているのではなく、赤外線の照射装置と組にして使っているのです。真っ暗の中でサーチライトを使っているようなものでしょう。


Q:今回の授業でルビスコにおいて葉緑体コードのユニットと核コードのユニットが互いに連携して働いているとありました。ではなぜそのようなことが高等植物の細胞内で起こり得たのかを考えました。それは細胞内においても所謂自然選択の原理が働いているということが関係していると考えました。それは仮にかつて葉緑体においてルビスコの小サブユニットに関する遺伝子がトランスポゾンのようにその遺伝子が葉緑体の外へ飛び出し、核内の遺伝子に移行しうまくルビスコの小サブユニットが翻訳されたとしても、核は一つではあるが葉緑体は無数に細胞内に存在するわけでその時点で細胞内に存在するルビスコを核コードと葉緑体コードの両方に由来したルビスコと葉緑体コードにしか由来していないルビスコに分けて、数を数えてみたとすると圧倒的に葉緑体コードのルビスコが多いわけである。しかし、長い進化の過程でルビスコは両方に由来しているというのはそれが葉緑体に由来したルビスコよりも両方に由来したものの方が優れていたということである。その優れているというのはルビスコとしての性能が優れていたあるいは、ルビスコができるまでの過程において葉緑体コードのものよりも優れていたかであるが、とにかく細胞内さらに言えば遺伝子間においても自然選択の原理が働いているために両方に由来したルビスコが現在葉緑体内に存在しているのだと考えました。

A:ルビスコをコードする遺伝子が葉緑体にあるか、核にあるか、は直接ルビスコの優劣には影響しないでしょう。どこに酵素としての活性は遺伝子の配列によって決まるわけですから。では、何が葉緑体の進化を決めていたのかというと、次のレポートのように管理・調節の必要性に原因があるのかもしれません。


Q:いくつかの遺伝情報が葉緑体から植物の細胞核DNAへ移動したということを知った。そもそも、なぜ移す必要があったのか。細胞核DNAにコードされている(移動した)のはDNAポリメラーゼや分裂に関わる各種タンパク質など。つまり葉緑体にとって自身のDNA発現を制御する重要なタンパク質も細胞核に移行している。こでもう一つのオルガネラ、ミトコンドリアについて考えてみる。ミトコンドリアも葉緑体同様に独自のDNAを持ち、祖先のバクテリアに近い転写装置を持つ。また、遺伝情報の一部は細胞核に移動しており、その遺伝情報は同じく自身のDNA翻訳に重要な役割を果たすタンパク質が多い。つまり細胞核DNAは、自身、葉緑体、ミトコンドリアという3つにおける遺伝子発現に関わるタンパク質をコードしている。しかも3つそれぞれの転写装置は異なる。わざわざ一か所に集めたということは、一括して管理する方が、都合が良いからではないかと考えられる。情報の伝達回数が少ない方が反応は速い、つまり司令塔が居る方が行動を早く行うことができる。例えば、植物が不利な状況にさらされたとする。植物は、その情報を基に何らかの対処を行うはずである。それぞれのオルガネラDNAに、発現に関わるタンパク質がコードされている場合、異常個所?(情報)→細胞核DNA?(情報)→オルガネラが発現に関わるタンパク質を合成→不利条件に対応するためのタンパク質を合成する、という3つのステップを要する。対して細胞核DNAに、発現に関わるタンパク質がコードされている場合、異常個所?(情報)→細胞核DNAで発現に関わるタンパク質合成→オルガネラにて不利条件に対応するためのタンパク質を合成、というように2ステップで済むと考えられる。正確にはもっと行程があるかもしれないが、細胞核DNAで一括管理をしていた方が素早く対応ができるのは確かである。だから葉緑体の遺伝情報のうち重要なものでも細胞核DNAに移動させたのだと推測される。
参考文献: 東京大学光合成研究会 編、光合成の科学、東京大学出版、2012、p156-163

A:良く考察していると思います。このような進化についての考察は、ある意味で正解はないので、どれだけ論理性を持って考察できるかが鍵となります。


Q:今回の授業では、シアノバクテリアのゲノムサイズ(bp)は7桁であるのに対して、葉緑体のそれは6桁であり、単独で生存するには足りない数であるが、それは単に数が少ないのではなく、共生体として入るときに、大量に葉緑体から遺伝子が細胞核へ移行し(第一段の遺伝子移行)、その後も徐々に移行している(第二段の遺伝子移行)からであると教わった。ここで、私は遺伝子が移行する必要があったのか、つまり、ホストの中に共生体として入る場合、結局は一つの生物として存在するのだから、共生体が持ってようが、ホストが持ってようが、あまり関係ないのではないかと思った。しかし、移行したのはそれなりの理由があるはずだ。もしかしたら、ホストは葉緑体自体を必要としたのではなく、もともと核内に葉緑体ゲノムを取り込み、自ら光合成の機能を持つという目的で共生したが、進化の過程で光合成は葉緑体に任せるほうが効率的であることが分かり、全てのゲノムを取り込む選択をしなかったのではないだろうか。そう考えると、葉緑体ゲノムの遺伝子移行が起こりつつ、葉緑体自体も細胞小器官として存続しているのにも納得がいくような気がする。

A:アイデアは面白くて良いと思います。ただ、単細胞の生物は「意志」を持っているわけではないので・・・。ホストの「目的」というのは、結果として人間にはそのように思えるだけで、実際には進化の過程でより子孫を残す戦略を取ったものが増えていった、ということを反映しているにすぎません。


Q:クロロフィルを持つ魚、オオクチホシエソ(Malacosteus niger)に興味を持った。オオクチホシエソがクロロフィルを持つのは赤外線照射と赤外線感知のためであるが、クロロフィルを持つ唯一の生物として、もう少し光合成に近い反応に関わるような使い方はできなかったのか、つまり、独立栄養的な働きをなぜしないのかと思った。また、なぜ生物は独立栄養生物と従属栄養生物とにわかれていて、ハイブリットの動物は存在しないのかと疑問に思った。従属栄養生物のように常に自分以外の何かを食べ、消化することでしか栄養を得られないという他者依存は生存に不利であるように思う。ここで私は食虫植物について考えたい。これらは光合成によるエネルギー生産と、虫を捕えて消化酵素によって消化することによるエネルギー補給の両方を行っている。食虫植物こそハイブリット栄養生物であり、最強なのではないかと思った。

A:食虫植物の場合、取り入れている栄養は窒素などの無機栄養です。エネルギー的にはやはり光合成に依存しています。エネルギー的なハイブリッドという点では、一部の緑色の寄生植物が相当するでしょう。


Q:講義で、オルガネラが自身で複製するタンパク質は少なく、核からの合成で補っているということを学んだ。葉緑体の場合、ホスト(宿主)に、シアノバクテリアが共生体として入るときに大量の遺伝子が細胞核へ移行し(第1段階の遺伝子移行)、その後、段階ごとに、遺伝子は少しずつ細胞核へ移行したと考えられている。このように進化の中で、オルガネラが合成するタンパク質が細胞核で合成するように移行していったと考えられるが、では、どうしてそのように進化していったのだろうか、細胞核でタンパク質を合成するメリットとは何だろうかということを考えてみた。葉緑体などのオルガネラにおけるタンパク質合成と、真核細胞の核におけるタンパク質合成の最も大きな違いとして、葉緑体では、DNAから転写されたmRNAがそのままリボソームによって翻訳されるが、真核細胞の核では、転写されたmRNA前駆体がスプライシングを受け、成熟mRNAへと修飾された後、リボソームによって翻訳される。このスプライシングによって、真核細胞では1つの遺伝子から、複数の成熟mRNAをつくり、多くの種類のタンパク質を生成することができる。そのため、シアノバクテリア(葉緑体)遺伝子がホストの核へ移行するプロセスの中で、このスプライシングによる効率的なタンパク質合成の手段を獲得し、細胞核からのタンパク質合成に依存していったと考えられる。これを実証するためには、細胞核中のオルガネラのタンパク質を合成しているDNA配列について、翻訳の際にスプライシングによって複数の成熟mRNAが合成されていることを確かめる必要があると考えられる。また、遺伝子を細胞核へと移行させ、タンパク質合成を細胞核に依存することによって、DNA複製やタンパク質合成の際に要するエネルギーを全体として節約するメリットもあるのではないかと考えられる。

A:非常によく考察されています。ここまで、考えたら、あと一歩、スプライシングの利点の普遍性まで考えてほしいと思います。もしスプライシングが単に「効率的」で常に有効なのであれば、全ての生物がスプライシングを取り入れそうなものです。では、葉緑体の中ではスプライシングを取り入れなかった理由はどこにあるのでしょうか。もっとも、それを言えば、そもそも原核生物ではスプライシングが見られない理由は何なのでしょうか。そのあたり、考え甲斐があるように思います。


Q:アメリカ東海岸に生息するウミウシの仲間、エリシア・クロロティカは光合成によってエネルギーを得ることができます。これは特定の藻を食べ、葉緑体だけは消化せず保持することで可能になっています。今回の授業でならったとおり、葉緑体は自身のもつDNAのみでは必要なすべてのタンパク質を作り出すことができません。しかしこの生物は葉緑体のもとの持ち主、つまり藻の遺伝子を取り込み自分の遺伝子とすることで葉緑体にタンパク質を供給している可能性があるということです。ここで少し想像してみましょう。仮にこの説が正しく、この能力を他の生物も保持していたとして、進化が進むとどんなことが考えられるでしょうか。ただしここでは遺伝子の取り込みは葉緑体の保持に関わる部分だけに起こるものとします。そうでないと可能性に埋もれてしまいそうなので。まず海のなかでは劇的に生物量が変化するでしょう。現在、地球表面の約7割は海に覆われています。しかしそのうちのほとんどは生物量が少ない「外洋」です。沿岸部にくらべ栄養分が少なく、それを起点とした食物連鎖も起こりにくいために、ときおりクジラのような大型生物が通り過ぎるだけの外洋は「海の砂漠」とも呼ばれています。さて、光合成能力をもった生物は長期間何も食べずに生活することが可能になる、つまり外洋で生活することが可能になるのです。ということはそれらをエサとする生物も外洋に繰り出すことが予想され、特に日差しの強い赤道付近の外洋では生物の食物連鎖、海流にのった移動、交配、そして新たなニッチを発見したことによる進化の加速などが考えられ、少し気どった言い方をすれば「生物の大航海時代」の幕開けとなるでしょう。次に陸上ではどうなるでしょうか。海と違って陸には水が少ない場所があります。そこでは葉緑体を保持していても水分不足によって生命活動が脅かされます。つまり海の砂漠とちがって本物の砂漠では生物種が劇的に変わったりはしないと考えられます。陸上生物で光合成を初めて身に着けるのはもちろん草食性の生き物でしょう。それらが進化した時に、祖先と比べて1個体あたりの一生に消費する植物量は減少しているはずです。光合成を身に着けた動物は草を一日中食べる必要はないでしょうから、これによっていままで被食によって抑えられていた植物の繁茂が促進される可能性があります。また、変温動物でなくても太陽光をもとめて日光浴をする動物が増加することは確実でしょう。また海ほどではなくても厳しい環境でも生物種が増加したり、より良い土地をめざした「長距離」の移動も可能となるのに加えて、肉食の生物が草食性生物の取り込んだ葉緑体を再度取り込むことで光合成の能力を得ることも考えられます。字数が増えて困ってしまいましたが、いずれにせよ海でも陸でも生物が緑色になることは避けがたいでしょう。陸上動物で体が緑になれば、色覚を発達させた捕食者に対して、草むらに隠れることが有効な手段となって一石二鳥ですが、私にとっては世の中が緑になりすぎるのは目に優しい以外にあまりメリットはなさそうです。

A:考え方は面白くてよいのですが、藻類を保持できる生物が外洋に進出できるのであれば、そもそも、元の藻類が外洋に進出でいるはずでは?逆にいえば、光合成の能力を持つ藻類が現時点で外洋にそれほど進出できていないのであれば、それを保持したとしても外洋には進出できない、ということになります。つまり、外洋で生物の現存量が少ない理由は、光合成の有無によるのではなく、その他の要因があると考えられます。具体的には、その原因として鉄を考える、マーティンの鉄仮説が現在では受け入れられています。


Q:今回の授業では核で作られたタンパク質が葉緑体に運ばれ、そこでできたタンパク質と結合し光合成のための酵素を合成することを習った。この現象はそもそもシアノバクテリアなどの葉緑体のもととなる生物と共生する際にDNAが核へと移行したため起きているとのことである。ではこのように1つの酵素のタンパク質を別の箇所で翻訳してから合成するのはなぜだろうか。何かメリットがあるのか考えてみる。第一に考えられるのは細胞内共生の段階でDNAの1部が共生主の核へと必ず移動してしまうという可能性である。しかしこの仮説は生物間のDNAの差が階段式であることや、中にはDNAをほとんど移さずに共生している生き物もいることから否定できる。次に考えられるのは最初にも言ったようにこの方法が効率がいいということである。効率の観点から見ると核で作ったタンパク質をわざわざ葉緑体へと輸送するのはエネルギーを使うため効率は悪いように感じる。つまりこの仮説が正しいとすればエネルギーをかけてまで輸送するだけのメリットがあるということである。それは何だろうか。一つには核と葉緑体という2か所でタンパク質を翻訳することで翻訳のスピードを上げるということが考えられる。単純に考えて同じスピードでタンパク質を合成するならば1か所で行うよりも2か所に分けて行ったほうが多くのタンパク質が翻訳できるだろう。しかし、これはあくまでスピードが一定の場合である。核では他にもさまざまなタンパク質を翻訳しており葉緑体のみで作るよりも効率がいいかは甚だ疑問である。とはいえ短時間に大量の酵素を作りたい場合には効率的であるといえるだろう。他には核へとDNAの一部を移すこと自体に意味があるという考えもできる。核へとDNAを移行することによって起きることと言えば、授業でもやった葉緑体が単独で生存できなくなるということが大きいように感じた。一度このような細胞内共生を始めた生物はそれぞれを分けて培養することはできないという。そこで共生主が共生を始めてすぐのころにシアノバクテリアに逃げられないようにこのような形に進化した、もしくはこのように進化したもののみがうまく生き残ったとも考えられる。

A:これも、上に載せたいくつかのレポートと同じテーマを取り上げていますが、独自の考え方を展開していて良いと思います。


Q:植物生理学のみではなく分子生物学などの講義でも「高等生物のゲノムサイズは小さくなる傾向がある」と学習した。なぜこのようなことが可能であるのか考えてみる。ゲノムは生体を構築する際、直接的にはタンパク質合成に関わるため、より高等な生物体を作り出すにはゲノムが多く必要であると考えられる。しかし、実際にゲノムが活躍する、すなわちタンパク質合成において他の生物と異なるためには合成に対応するより多くの部位や組織があるため、同じ生体内で遺伝子発現に差をつくる必要がある。逆を言えば部位組織ごとの遺伝子発現に差が生じれば遺伝情報の量に関わらずより複雑な形態を作れるのではないか。以上がゲノムサイズと生物の高等性についての考察である。

A:できたら、この考察を、実際の葉緑体の共生のプロセスに当てはめた時にどのようなことが考えられるのか、という点に踏み込めるとよいですね。


Q:葉緑体やミトコンドリアに必要なタンパク質は大多数が核から翻訳され、オルガネラのゲノムだけでは足らない。ホストにシアノバクテリアが共生して入るときに大量の遺伝子が細胞核へ移動したが一部残ったとある。この状態は遺伝子の情報源が複数有ったりタンパク質の生成やその他物質の移動などにおいて非効率的であると思う。葉緑体はシアノバクテリアの1/10程のゲノムサイズしかなく単体では生きられないのに遺伝子を残しておくメリットはあるのだろうか。葉緑体はゲノムの翻訳をせずに光合成の反応に集中した方がもっと効率的に自身の仕事がスムーズに出来ると思う。なぜ残したのか考えてみると、細胞核のゲノムが傷ついてしまったときに葉緑体のゲノムがあればそれを補える、葉緑体で必要なタンパク質を自身の近くで発現させ取り込むことが出来ることが挙げられる。しかしそれならば、取り込まれた際に葉緑体自身に必要なゲノムを残してシアノバクテリアとして生きていく上で必要であったが使わなくなったゲノムを捨てればよいと考えてしまう。なぜゲノムを一部オルガネラに残しておいたのか、私はシアノバクテリアが取り込まれた際に不本意的であったので積極的にゲノムを全て移行させなかったのではと考えた。共生はしたものの、いつ離脱しても良いように一部のゲノムを残しておいたのではないだろうか。その名残として今日でもこの形態が残っているのではと考えた。

A:これは、なぜ遺伝子が移行したのかではなく、なぜ一部の遺伝子が残ったのか、に注目している点で、他のレポートにない点を持っていてよいと思います。ただ、結論はややあいまいな気がしますね。


Q:クロロフィルは緑色光の吸収率があまりよくないことと、ヒトの目は緑色光付近で一番感度がよくなるということを授業で習ったとき、夜の戸山公園箱根山地区の電灯の光がどれも緑色であることを思い出した。夜の公園の光を緑色にすることで、散歩などを楽しむ人たちは運動がしやすくなると考えられるが、植物にとっては利点はあるのだろうか。仮に、植物にも概日リズムが存在し、それが光合成やその産物によって左右されるものであるのならば、夜間に照らされる光として、吸収率のあまりよくない緑色光が用いられるのは十分意義があるといえる。これを調べるには、まず植物に概日リズムが存在するのか、日中と夜間で生体内のホルモンバランスなどに違いがあるのか調べる必要がある。

A:緑色の光が概日リズムを妨害しづらいのではないか、という考察は面白いと思います。ただ、植物が持つ色素はクロロフィルだけではないことを合わせて考える必要があるでしょう。あと、概日リズムはそもそも植物で初めて見つかったのです。動物も概日リズムを持つことがわかったのはもっと後の話です。


Q:葉緑体の起源として共生説を考えるときに、なぜ高等植物では一部の葉緑体遺伝子が宿主細胞に含まれる例が多いのか、その利点について書きたい。宿主生物がシアノバクテリアなど葉緑体を、例えば捕食の形で、取り込んだあと、その後の利用には2つの方法がある。1つ目は細胞内で葉緑体の維持に適した条件をつくり、そこで長い期間保持しながら、光合成により産生される栄養を獲得・利用する方法。2つ目は細胞内において葉緑体の維持に適した環境を作らず、葉緑体の光合成機能が低下するまでの短い期間利用する方法。前者では一度獲得した葉緑体に機能面での老化が起こりづらいため、頻繁に捕食を繰り返す必要が減り、光合成に適した環境では利益を得る。ただし、細胞内で葉緑体を機能した状態に維持しなければならない。後者は葉緑体から産生された栄養を吸収するシステムを持てば、それ以外細胞内の環境を変えずに済む。その一方、当然ながら頻繁に捕食を成功させられる機能と環境が必要である。実際にこれら別々の方法をとった近縁の2つの生物群--ミドリムシとペラネマ--がある (文献)。いずれにせよ、原始的な生物の繁殖方法は分裂を始めとする無性生殖である。この時、葉緑体維持の方法をとる生物では宿主細胞の核に葉緑体維持に関わる遺伝子を持っていると得がある。なぜならば、もし細胞分裂で一方の細胞に葉緑体維持に関わる遺伝子がなければ、その細胞は新たに葉緑体を取り込まなければならず、またうまく取り込めたとしても、その葉緑体に変異が生じていた場合は、これを補う機能を宿主側で持っていないからだ。葉緑体自体のタンパク質をコードする遺伝子も含むが、このような蛋白が宿主の核に含まれていれば均等な分裂がなされるため、このような問題が起こらないという点で、その生物群の生存に有利である。
文献: 岩国市立ミクロ生物館"http://shiokaze-kouen.net/micro/zkn/msz256.html"

A:葉緑体の半永久的維持と、一時的な維持のメリットとデメリットを考えていてよいと思います。