植物生理生化学特論 第2回講義
吸収測定の方法
第2回の講義では、吸収測定の原理を吸収・散乱・透過といった基本の部分から解説しました。
Q:光のスペクトルと聞き、真っ先に虹を思い浮かべた。虹とは、雨・霧・水しぶきなどの空中の微小な水滴により太陽光線が分光されて見られる自然現象である。大気中の水滴に散乱し、太陽光線が向こうに透過せず戻ってきて、私達の眼に届くために見られる。この時、水滴がプリズムの役割をし、太陽光を7色に分散する。観測者からは2本の虹が見られる。低い角度にはっきり見られる主虹(一次虹)と、高い角度に主虹より薄く見られる副虹(二次虹)である。主虹は2回の屈折と1回の反射で見える光である。副虹は2回の屈折と2回の反射を伴うため、主虹より薄く見える。また、角度の関係より、主虹は下から青色・外に向かって赤色に見え、副虹ではその関係が逆となる。主虹として見える光は、水滴内の2回の屈折と1回の反射を経て、上側に青色・下側に赤色の光線が出てくる。しかし水滴の位置関係や、1つの水滴から一色のみ見られるという関係より、実際に見える虹は上側に赤色・下側に青色と見える。
参照: https://sites.google.com/site/tlsandbox/home/rainbow、http://www-antenna.ee.titech.ac.jp/~hira/hobby/edu/em/rainbow/index-j.html
A:講義の冒頭にも言いましたが、僕の講義では調べた事実を記載しただけのレポートは評価しません。評価されるのは、自分で考えた論理ですので・・・。
Q:今回の講義で聞いた,吸収(Absorbance)を指標にした溶液中の細胞数の測定について,自分が行なった測定で少し疑問に思ったことを題材に考察したいと思います。その実験では,シアノバクテリア(緑色)を使って,明条件下において,普通に培養した細胞(以下w/oと表記)と翻訳阻害剤であるSpectinomycinを加えた条件下(以下+Sp(透明)と表記)で培養した細胞でその生育の違いを調べました。予想していた通り,+Spのサンプルの方は生育にマイナスの影響が出ているせいか,w/oに比べて緑色の濃さが薄く見えました。これらの細胞をフラスコからそれぞれ採取して,OD730を測定したところ,肉眼ではっきりと緑色の濃さに違いがあったのにも関わらず,数値はほとんど一緒になりました。念のため,w/oのサンプルを希釈し,肉眼で+Spのサンプルと同程度の緑色の濃さになるようにして測定したところ,今度はw/oのサンプルOD730値がその希釈分だけ小さくなりました。最初は自分の測定ミスか,もしくは機械の問題ではないかと思ったのですが,授業でOD測定の際には,散乱光強度の変化による見かけ上の吸収の変化を見るのであって,直接測定光で吸収される成分が変化することの効果をみるのではないという説明を聞いて,緑色の濃さと細胞濃度は直接の関係は無いということに気付きました。測定光は細胞内色素の吸収波長に被らないような波長を用いているので,シアノバクテリアの場合,クロロフィルの吸収が大きい波長は,測定光に使っていない(730nmを使用)。それゆえ,730nmの光を当てても,クロロフィルの量に依らない(つまり緑色の濃さに依らない)吸収の数値が反映される。そこで次のような仮説を立てました。私が見ていた緑色というのは,クロロフィルによる緑色であるため,それはOD値には反映されない。そして,w/oサンプルと+Spの違いはクロロフィルの濃度であって,細胞の濃度ではない。すなわち,実際に違いとして生じているのは,生育ではなく,クロロフィルの産生もしくは安定性であるということです。この仮説を検証するには,吸収を測定する以外の方法で溶液中の細胞濃度を測定し,溶液中のクロロフィルの濃度(クロマトグラフィーなどを使って定量化できるのでしょうか?)と比較する必要があると思います。吸収を測定する以外の方法で,溶液中の細胞数を測定するには,条件に依らず発現量が一定のタンパク質などがあれば,その量を,ウエスタンブロットなどを使って定量化する,もしくは溶液を少量採取し顕微鏡で細胞の数をカウントする(希薄溶液でないと難しいかもしれないですが)といった方法で可能となるのではないかと考えました(実際には現実的ではないかもしれないです)。この2つを比較することによって,緑色の濃さと細胞の数には相関があるのかが明らかになるのではないかと思います。もしくは,クロロフィルが吸収極大を持つような波長を使ってODを測定し,それを肉眼で観察した結果と比較するといった実験が必要になると思います。これらの実験から,もし緑色の濃さと細胞濃度に相関が見られない場合は,いくつかの論文で掲載されているような,シアノバクテリアのplate上の写真の緑色の濃さを比較することでmutantとWTの生育について言及するといった方法は,実際には難しいのではないかと考えました。クロロフィルが吸収を持たない波長をそれぞれに照射し,細胞数に違いは無いかということを別途調べる必要があるのではないかと思います。
A:その通りだと思います。通常、シアノバクテリアを含む光合成生物で盛んにタンパク質合成が行われるのは、量的に圧倒的に多いルビスコと、代謝回転速度が圧倒的に速い光化学系2のD1タンパク質です。すなわちどちらも光合成系のタンパク質です。従って、タンパク質合成を阻害した場合には、細胞分裂よりも光合成装置に対する影響が先に現れると考えられます。観察された現象は、そのような状況を反映しているのではないかと思います。
Q:今回の授業では、ランベルトベールの法則を利用した、定量の方法について学んだ。入射光の強度 I0 は、透過光の強度Iと散乱光、吸収された光の量の和である。また、測定は電子倍増管などの分光計測器によって行うが、通常透過光しか測定できない。だから、一般的にいわれている吸光度とは、散乱光も含んだものであり、ノイズの排除のために、電子倍増管をセルに接近させてみたり、オパールグラス、積分球が利用される。そこから考えたのは、吸光度中に含まれる、散乱光を除去するのも重要だが、溶媒由来の分子などが影響した余分な散乱の除去も重要であるということだ。溶質を溶かす溶媒中に含まれる分子は陰性対象により補正可能だが、気泡などは陰性対象では発生していない可能性もあり、かつ大きく透過率に影響を及ぼしてしまう。その解決法は、気泡や溶媒自体の分子などのノイズが発生しづらい、油などの無極性溶媒を選択することである。
A:もう一つ時々あるのは結露ですね。生物試料の場合、活性を維持するために試料を低温に保存することがよく行われますが、それをそのまま光学セルに入れると特に梅雨時など外側が結露します。結露自体は水ですから吸収はないのですが、細かい水の粒になっていると散乱はされますから、やはり見かけ上吸収が増加してしまいます。試料の温度が室温に戻ってから測定を行なう必要があります。あと、無極性溶媒だと気泡が発生しない、ということは特にないように思いますが。
Q:試料を球で覆い、最終的に散乱光を光電子増倍管へ誘導する積分球について考察する。積分球を使用すると入射光は球の中へ入り、サンプルに当たると散乱、吸収、直進のいずれかの道を辿ることになる。サンプルに吸収される波長以外の光を検知したい場合はこの方法が適任と考えられるが、サンプルに当たった光は球の中で反射を繰り返すため、反射を繰り返す回数だけ入射光が入る空間へ戻る確率が増加する。よって、より正確なデータを入手するには多数の光電子増倍管でサンプルを覆うという方法を考えた。これによって入射光のうち、サンプルに当たり垂直に反射したもの以外はデータとして得られることとなる。ここで問題となるのが、そのような機器はかなり高価なものになってしまうことである。サンプルの入れる空間の大きさによっておのずと光電子増倍管の個数も増やす必要があり、株式会社レーザーによると光電子増倍管の価格は4~40万円で、莫大な金額を有する。
引用元: 株式会社レーザー:光電子増倍管の価格表、http://www.newport-japan.jp/pdf/1229.pdf
A:なんというか、力技による解決方法ですね。カミオカンデを連想させます。
Q:講義で挙げられた懸濁試料の吸収測定の方法の内、オパールグラス法は適当な方法なのかと、疑問を抱いた。オパールグラス法ではすりガラスを用いて直進光も強制的に散乱させるが、短波長の光ほど散乱しやすいため、測定光が短波長であればあるほど、見かけ上、吸収が大きくなることが考えられる。よってオパールグラス法では、厳密には正しい吸収スペクトルを測定できないのではないだろうか。試料セルと光電子増倍管との距離を大きくすることで直進光の波長による散乱の差は抑えられ、より正しい吸収スペクトルを測定することができると考えられるが、その場合、すりガラスによって散乱された光だけでなく、試料によって散乱された光についても、光電子増倍管に届く量が少なくなるので、ノイズが大きくなるという問題点が挙げられる。懸濁試料の吸収測定を行う際には、オパールグラス法よりも、試料セルを光電子増倍管に近づける、積分球を使用する等、散乱光を多く取り込む方法を用いるのが適当であると考えられる。
A:吸収測定の場合は、あくまで試料セルと参照セルを通ってくる光の割合から計算される透過率が測定の基本になります。もし、試料セルだけにオパールグラスを入れれば確かに問題が生じるかもしれませんが、参照セルにもオパールグラスを入れれば散乱の波長依存性によるスペクトルのゆがみも補正できることが期待されます。
Q:「光合成」という言葉は小学生の理科の時間に始めて聞いた気がします。あれから10年と少し、私の中で光合成という言葉の持つは少しずつ変わってきました。光というものは、私たち人間には見えているようで見えていない。植物が感じるようには感じることができません。この時期、植物たちは芽を出し葉を出し光に向かって伸びをしているようにみえます。見ていて嬉しくなるあの美しい萌黄色は「緑色以外の光を吸収した結果」なのですね。そういう風に、植物はフィルターにかけて、光を反射・散乱・吸収しているということに驚きます。でもそのふるいにかける作業は彼らにとっては生きるために必要な作業でしょう。昔からずっとずっと光とともに生きてきて、ここまで進化してきた。その正確で繊細な「光を分ける」という作業を人は器械によって実現させてしまいました。では、一体何のために。彼らのように「生存」のためではありません。私たちは光を選択しなくても生きていけます。分光器の発明や開発は何のためなのか、というのが今回の講義での私の大きな疑問です。それは「光合成」に代表されるような植物の生理生態を解明するため、なのでしょうか。人間の好奇心を満たすためだけ、なのでしょうか。人が何事にも疑問を持ち、追求し、答えを見つけ、という積み重ねで発展してきた文明の中でscienceという学問も確かにその地位を確立してきました。私の生活も先人の知恵や発明の上に成り立っています。けれど、この物があふれる社会で、特に大学院でscienceという分野に自分の一部分を浸しながら生きていく以上、当たり前になっている事柄の意味を、scienceの意義を常に考え続けるべきではないかと思います。部屋にこもってばかりいると忘れてしまいますが、やはり私は無知で、葉っぱの細胞ひとつができることもできないのです。光合成の仕方も知らないのです。ですから、もしも分光器で光を分けて、葉緑体が好きな種類の波長の光だけを与えたら彼らは褒めてくれるのかな、でもきっとまだまだっていわれるかな、なんて、考えたりしています。
A:科学エッセーとしては悪くないと思うのですが、僕の講義のレポートとしては、論理展開が重視されます。文体はこれでも構わないのですが、ある一つの論理を追いかけて結論を出すことが必要です。
Q:白について考える。今回の授業で白という色素がないという話を聞くまで、実はこの事実を知らなかった。白い色は存在しないのか。すべての可視光線が乱反射されたときにわれわれの目は白だと認識するということだったが、そもそも乱反射というのは、ざらざらした面に光が当たったときに、光がいろいろな方向に反射するという現象を指す。光が当たった面が平坦でなかった場合、すべてが白に見えるのだろうか?白く見える場合は他とどう異なるのだろうか。乱反射が起きていても、各点における接平面を考えると反射が起こっている。また、物に色がついているのは、その色が反射され、他の色は吸収されて見えないからである。物体に光を当てたときそれが黒く見えるとしたらそれはすべての光が吸収され、何も反射されないということだ。これは様々な色の絵の具を混ぜると最終的には黒に近づくことから理解できる。では白は?白の絵の具では常に乱反射が起こっているのだろうか。絵の具の染料は、酸化チタン等の白い金属粉末を用いて発色させているようだ。いずれかの絵の具を混ぜて白という色を作ることはできないという。つまり、白は色として存在せず、乱反射したさまざまな強い光が集まり、人の目の中で白く感じられる、ということになるだろう。
参考:http://topicmaps.u-gakugei.ac.jp/physdb/wave/Reflect.swf、http://mis.edu.yamaguchi-u.ac.jp/kaisetu/physics-ii/phy-08.pdf、http://www.ne.jp/asahi/gosho/baren/newpage28.htm
A:これはその通りですね。ただ、なるほどと理解したことは伝わりますが、書き手ならではの独自の論理のようなものがあると、より評価できます。ある意味で、(分光学を知っている人には)当たり前の結論になってしまっていますので。
Q:今回の授業ではOpitical Densitiy(光学密度)により菌培養液等の濃度の測定、そこから細胞の増殖の様子がわかるという話を扱った。この話を聞いたときに考えたのは、細胞数の計算が目的ならばFlow Cytometer(FCM:フローサイトメーター)を用いて測った方が容易で正確だし、そもそも細胞の絶対数が測定できて便利なのではないかということだ。私はどちらの方法についても詳しくないので、FCMについて調べてみた。(参考資料 ベックマン・コールター社ホームページ http://www.beckmancoulter.co.jp/)そこで分かったことはFCMでは試料を抗体等を用いて蛍光標識する必要があり、資金的にも時間的にもむしろ手間がかかるということだ。従って、日常的に細胞の相対的な増殖具合を調べるならO.D.測定の方が短時間で済み、測定後の試料も回収し元に戻せて都合が良い。また、もし細胞の絶対的な数を知る必要があったとしても、どこかで二度血球計数板(あるいはFCM)等で絶対数を求めると同時にO.D.を測定しておけば、後はそこから検量線を作製し、細胞数を推定できるのではないか。このように考えると、細胞の細かい様子を知る必要がないのなら、日常的にはO.D.の測定の方が簡便で有用であると言えるだろう。
A:これも悪くはないのですが、知っている人には当たり前の結論になっていることが残念です。科学の世界ではオリジナリティーが何より重要です。例えば、植物であれば自前で蛍光色素(クロロフィル)を持っています。単細胞の藻類ならば蛍光標識などしなくても蛍光を出しますよね。そのような場合にどのような方法が適用可能なのか、そのような踏み込んだ議論がほしいところです。