植物生理生化学特論 第13回講義
クロロフィル蛍光と光合成研究
第13回の講義では、クロロフィルからの蛍光を用いて、光合成に関する情報が得られる仕組みについて解説しました。
Q:今回の講義では、クロロフィル蛍光の変化からシアノバクテリアの表現系や遺伝子機能を解析する研究について紹介された。シアノバクテリアに限らず、広く植物において、クロロフィル蛍光の微妙な変化を観察すれば、他の代謝経路の変化も検知される事例は報告が多数存在する。私たちの研究室では、糸状性の多細胞性シアノバクテリアAnabaena sp.PCC 7120をモデル生物として、ヘテロシスト分化が起こりやすい細胞周期の特定を試み、細胞の運命決定が分裂と分化のどちらを優先するか解析を行った(H.Asai,et al,2009)。ここで、簡単にヘテロシスト分化について説明すると、分化の過程は不可逆であり、光化学系Ⅱなど光合成装置のほとんどを消失する。細胞内ではわずかな量の光化学系Ⅰとチトクロム複合体が残存し、循環的電子伝達系が機能することで膜電位が形成され、ATPエネルギーが作られるが、総じて光合成色素の含有量が極端に減少するため、ヘテロシスト分化した細胞はクロロフィル蛍光が退色して観察される。そこで、私たちは①分化過程のフェーズをクロロフィル蛍光強度の退色レベルから逆算的に同定すること②ヘテロシスト以外の細胞の周期をクロロフィル蛍光強度の推移から同定することを目指した。具体的な手法としては、任意のAnabaena1個体を微小培養チャンバーに導入し、顕微鏡下で1時間ごとに連続撮影し続け、その画像データをもとに、細胞分裂と分化の際にクロロフィル蛍光がどのように変化するかを画像処理にて解析した。その結果、分化関連遺伝子の発現上昇とクロロフィル蛍光の退色に優位な相関が見られ、①の試みには成功したといえる。ところが、②の試みについては、バックグラウンドを差し引いた上で一細胞のクロロフィル蛍光を厳密に解析しても、細胞周期による有意な変化は観察されなかった。一般に、藻類の細胞あたりの葉緑体の数はほぼ一定に保たれ、その分裂は細胞自体の分裂に合わせて一定のペースで起きることが知られている(Miyagishima et al. Plant Cell, 2006)。したがって、分裂が生じた際には葉緑体も半減することから、クロロフィル蛍光が退色することは容易に予想がつき、この現象に関しては観察に成功した。ところが、その後G1→S→G2期の変遷を辿る間に、クロロフィル蛍光の段階的な上昇を観察することはできなかったことから、葉緑体は一過的に増える(細胞周期の中で葉緑体の増殖が加速される時期がある)のではなく、段階的に増えることが確認され、1時間程度の違いでは有意差を判断できなかったと考えられる。一方で、Anabaenaに任意の濃度の細胞分裂阻害剤を添加すると、分裂が阻害されて体積が倍々に増加する(最大8倍程度まで増えた)。そのときのクロロフィル蛍光の変化も解析したところ、細胞の体積が増加してもクロロフィル蛍光の強度は優位に変化しなかった。これは、細胞内に含まれる葉緑体の数が、細胞の体積に応じて増加しているからだと考えられ、実際に体積の増加が停止した後では、クロロフィル蛍光の上昇も停止した。ミトコンドリアの分裂が大本の細胞の影響下にあることは有名だが(「ミトコンドリアはどこから来たか」、NHKブック素、黒岩常祥)、葉緑体の分裂も同様に制御されているのだろう。
A:Anabaenaを含むシアノバクテリアは原核生物ですから、葉緑体を持ちません。「葉緑体の数」ではなく「チラコイド膜の量」ですね。シアノバクテリアのチラコイド膜の量の制御については、クロロフィル合成量が大きな意味を持っていることが知られています。あと、室温でのクロロフィル蛍光の収率は系2のものが系1のものよりかなり高いので、蛍光強度自体はクロロフィルというよりは系2量を反映しているのではないかと思います。
Q:今回の講義ではゲノム科学からポストゲノムへの変遷について触れられていました。講義で述べられていたように、ゲノム科学によって多くのモデル生物の配列情報が蓄積され、様々な生物間で遺伝情報を共通の言語で扱うことが可能となり、生物の普遍性が増しました。しかし配列情報だけでは細胞活動の分子基盤を解明したことにはならず、個々の遺伝子の機能やそれらの関係性を解析しなければなりません。各遺伝子の解析には、それぞれのミュータントのフェノタイプの解析が必要になりますが、あらゆる生物のフェノタイプをDNAの配列情報のように同一の言語で語り、データベース化することは困難で、これによってゲノム科学で獲得した生物の普遍性が失われてしまいます。講義ではクロロフィル蛍光を利用したゲノムワイドなフェノタイプの解析が紹介されていました。フェノタイプを生物の普遍性を保持したまま解析し、データベース化することをあらゆるモデル生物について突然行おうとしても、非常に困難ではないかと思います。最終的にはそこを目指すべきであると思いますが、まずは「時間生物学」や「発生生物学」というように研究分野ごとにモデル生物をカテゴライズし、その分野の中で生物を問わずに議論することが出来る表現型を決定し、解析していくことが必要ではないかと考えました。
A:もちろん、モデル生物の存在意義を否定しているわけではありません。ただ、これまでのような、モデル生物についてゲノムが決まり、詳しい解析をすれば生物というものがわかる、という楽天的なものの見方ができる時代は終わったように思います。
Q:今回のSynechocystis sp. PCC6803のクロロフィル蛍光を用いた網羅的な遺伝子機能解析手法は、クロロフィルという天然の代謝系蛍光プローブの存在や、全ゲノムが解読済みでありゲノムサイズも比較的小さいこと、遺伝子操作が容易であること、原核単細胞生物であることなど、Synechocystis sp. PCC6803の特徴を非常に効果的に用いた解析手法だなと感じました。また、この実験では光合成に関する遺伝子と代謝系に関する遺伝子についての情報を得る事が出来るそうですが、例えば蛍光測定をする際に温度を変化させたり、励起波長や光強度を変化させたりすることで、環境応答に関わる遺伝子の情報も得る事が出来るのではないかと思いました。
A:確かに、測定時の条件を振ることで得られる情報を増やすというのは一つの方向性だと思います。実際に、僕らの場合も、細胞については弱光培養細胞と強光培養細胞を用いて、2種類のデータをとっています。もっとも、むやみに条件を増やせばよい、というものではないでしょうね。
Q:先日の講義のメインテーマとは少し離れてしまうかもしれませんが、蛍光試薬・タンパク質と比較してクロロフィル蛍光を用いる利点と注意点、また遺伝子機能解析以外の応用方法を考えてみました。クロロフィル蛍光を用いると、蛍光試薬を用いるより生体への影響が少ないと推測できます。蛍光試薬による染色は、染めること自体がダメージ(例えば核染色のためのDAPIは生細胞を染められる試薬だがDNAに割り込むため本当に影響がないのかは疑問)、染色するプロセスの物理的ダメージなどが伴います。一方、自家蛍光を観察するのであればそのようなダメージは受けないはずです。ただし、目的により蛍光試薬や蛍光タンパクを用いる場合も当然あります。例えば、膜やDNAだけなど部位特異的に染色したり、レポーター株を作成し特定の遺伝子あるいはタンパク質の挙動を知りたい場合です。その際は、クロロフィル蛍光の励起・発光スペクトルと重複しないよう、適切なスペクトルを持つ試薬、ダイクロイックミラーやフィルターを選択する必要があります。他の応用方法としては、細胞のトラッキングが挙げられると思います。比較的明瞭な画像が得られるため、個体を抽出して重心を算出するなどの画像解析を自動的に行うことが容易です。最後に、励起光がシアノバクテリアに及ぼす影響はどの程度なのかが気になっています。ある波長領域の光のみを照射したり、光源に水銀ランプを用いてることから紫外光がダメージを与えるのではないかと気になっているのですが実際はどうなのでしょう?
A:特定の光による励起は、講義で説明したように光化学系の量比調節やステート遷移を引き起こしますが、それが細胞の増殖や分化にどのような影響を及ぼすかという点については、場合によるでしょうね。水銀ランプの心配については、それこそ、適当なフィルターで紫外線をカットすれば済むのでは?
Q:蛍光は特定波長の光子エネルギーが、分子のエネルギー順位を下げるエネルギーと適合することで励起され、それが解放されて下位のエネルギー順位に下がる時にマックスウェルの方程式に従って、励起した光のエネルギーより弱いエネルギーの光を放出するものである。ほぼ全ての物質はこの性質を有しているが、可視域で強く蛍光を発するものを自家蛍光があるという。今回、自家蛍光による葉緑体の観察をツユクサの孔辺細胞で観察している。通常、蛍光顕微鏡でサンプルを観察する際には自家蛍光の影響を受けないようにして使用するものである。では、何故自家蛍光を用いているのであろうか?まず、自家蛍光の蛍光スペクトルには植物生理反応に関する様々な情報が含まれている点が挙げられる。たとえば、花粉に紫外線を当てると、植物の種類によって自家蛍光の種類が違う。この蛍光の差異と粒子の大きさを加味することで花粉の種類が特定できるようになったという研究例もあるくらいである。
A:スペクトルが必要となると、蛍光顕微鏡では難しいでしょうから、また別のテクニックが必要ですね。なお、ツユクサの孔辺細胞の観察は九大の島崎先生のグループのお仕事です。