生物学通論 第14回講義

生体を構成する物質

第14回の講義では、生物学と社会の関係について、人間を含む生物を相手にした時の問題点を中心に紹介しました。


Q:今回の授業では生物と社会についての講義だった。何かの事象を観察する際、再現性を見て、誤差の範囲を検討することが重要であるが、生物の場合は材料の差が圧倒的に大きく、さらにまわりの環境や心理的な問題も考慮する必要があることを知った。観測対象を特に人を対象としている場合は、正確には考慮すべきものが多すぎるので、有る程度短期間でなるべく環境の違いをなくした状態で二重盲検法を使うというのが一番妥当であると考えられる。例えば、もし髪にタンパク質を供給して育毛を促進するというような薬が出回ったとすれば、歳や住んでいる地域や髪の抜け具合などをなるべく合わせた上で、二重盲検法をする必要があるのではないか。

A:もっともなコメントですが、この講義のレポートとしては、もう少しその人なりの論理が出るといいですね。


Q:今回の講義で病は気からというトピックに興味を持ちました。薬を飲むとたとえそれが小麦粉でも症状が改善されることがあると知り驚きました。偽の薬を利用することにより、暗示降下を利用して効果をあげるというプラシーボ効果を用いた方法です。このプラシーボ効果について少し述べたいと思います。プラシーボ効果は思い込みを利用しています。つまり、副作用がある薬を服用する場合に、医師から副作用の内容を詳しく聞いてしまうのは、良くないのではないでしょうか。プラシーボ効果とは逆のような効果をもたらせてしまうのではないでしょうか。医師は副作用の内容を軽く言う、もしくは言わない方が好ましいのではないでしょうか。時と場合で変わってくるとは思いますが、プラシーボ効果を利用した治療法が成功しているならば、患者の思い込みを信じた治療法も増えていってもいいのかなと思いました。

A:この辺りは、告知義務との兼ね合いがあって難しいですし、時代と共に変わっていきます。僕が子供のころは、癌とわかっても患者には秘密にしておくものでしたが、現在ではむしろ積極的に告知することが当たり前になってきていると思います。一般論としては、情報はなるべく開示する、という方向に進んでいるようです。


Q:今回の実験の誤差についての授業で扱ったプラセボ効果は、対象者が偽薬を偽薬と知らずに投与されることで、本来効果を持たないはずの偽薬が何らかの作用を対象者に与えるものである。このことから、偽薬を飲むという行為を通じて結果的に対象者の身体に良いように作用するのだが、これらの間で実際どのような過程が身体の中であるのか、というところに疑問が残る。『偽薬を飲む』行為にはもちろんそのような作用はなく、『薬に対する信頼感』が重要で、五感の刺激からの反射的なものではなく心理的な脳への影響を狙ったものであるといえる。脳が薬を飲んだことにより安全な状況におかれることを前提に身体に指示をだし、結果的に誤った指令が偶然良い方向に働いたと考えることもできる。これにより快方に向かう患者が一定数いたとするならば、『プラセボ効果は効果がある』という認識を世間がもつ可能性がある。ただし、この考えが正しければ、プラセボ効果による治療は通常状態の身体機能を超えた作用を起こすことで快方に向かう確率を上げただけに過ぎず、何らかの副作用を誘発することも大いに考えられる。また、この考えとは別に、『薬に対する信頼感』による安心から身体がリラックスすることで副交感神経が働き身体機能に影響を与えている可能性も考えられる。

A:このような議論の延長線上には、笑うのは健康がよい、といった健康法があります。なんとなく眉唾な気がしますが、基本的にはある程度の効果があるのは確かなようです。しかも、これはどの程度確かなのかは僕にも判断できませんが、本当に笑わないでも、口を笑った形にしておくことだけでも効果がある、という話もあり、こうなると何が何に聞いているのか調べていくのは案外大変そうです。


Q:今回の授業では生物学と社会について扱いました。「病は気から」とあるように自分の意志や気持ちで体調や気分が変化することは十分あり得ると私も長い間思ってきました。例えば、少し熱っぽいかなと思っていても、普段通り生活できるときもあれば、熱を測ることで微熱であっても数値として熱があることがわかると、かえって気分が悪くなることが過去にありました。これも気持ちの問題によって体調が悪くなる一例だと思います。病は気から、と聞くとネガティブな問題を想像しやすいと思いますが、ポジティブな方向に対してもこれは適用されると思います。たとえば授業内で扱った黒烏龍茶についても、烏龍茶や他のドリンクに比べ中性脂肪が付きづらいとうたわれていて、価格も他のドリンクよりやや高めなので、消費者は効果を期待するでしょう。実際に黒烏龍茶をのみ、効果を実感する人も多いと思いますが、黒烏龍茶自体の効果より、本人の気持ちの問題もあるのではないかと思います。サプリメント類についても同じように、気持ちに左右される部分が多いと思います。

A:そうですね。ですから、効果が疑わしいサプリメントを一概に批判すべきなのではないかもしれません。ただ、自分は黒烏龍茶を飲んでいるから、脂肪を山ほど取っても大丈夫だ、といった方に考え始めると問題が生じます。


Q:病気に効かないものを効くと思い込んで摂取すると症状が軽くなることがあるとの話があった。科学的に正しい薬を処方しても治らないのに、効かない薬を摂取して快方に向かうことがある。この二つの場合に人間に起こる違いは何なのか気になった。科学的に効果のある薬を投与する場合治ってほしいという感情はあるが、脳は薬に治す成分が存在することを考えてその成分の分を控えて身体の機能に指令を出し、科学的には効果のないものを摂取した時は、薬には治す成分がないため脳が身体機能に病原とフルで闘うよう指令を出すのではないかと考えた。つまり、薬という援助がない分身体の機能がより活発になる場合があるために、効かない薬で効果が出ることがあるのではないかと思った。

A:脳が「薬に治す成分が存在する」かどうか判断するのは無理だと思いますが。そもそも、薬の半分近くは、なぜ効くのかが不明のまま使われている状態ですから。


Q:最終回である今回の授業では生物学と社会というテーマから、現在の生物学が抱えている問題を主に学問的側面と社会的側面の両方から説明し、生徒に対しても問題を提起する授業だった。この中で私は「薬が効くかどうか調べるにはどうしたらいいか?」という問題について改めて考えてみることにした。授業では、本当の意味で薬が効くかを調べるには大きく分けて二つの条件を満たさなければならないと学んだ。一つ目は「医者や看護師の感情的な仕草による影響をなくす」、二つ目は「薬を飲んだということによる感情的満足感による治療効果を排除する」ことである。これらの条件を満たすにはどうしたらいいか?
 一つ目に関する対策は人間による行為ではなく、ロボットを使って行えばいいのではないかと考えた。現在様々な作業用ロボットの開発も行われており、十分実現可能だと思われる。また、二つ目に関しては、感情的満足による治療効果を排除するのではなく、それを脳内物質の研究などで定量できる仕組みを整えればいいのではないかと考えた。実際の薬の作用を調べるために用いられる、薬に似せた、かつ同じように投与しても体に害を及ぼさない偽薬を作り出すのはビタミンCの例を見てもわかるように非常に難しい。ならば、感情的満足によって分泌される物質(例えばドーパミン)などをたくさんの人を対象にして統計をとり、具体的な値を割り出せば、薬の効き具合からその作用による分を引き算する形で薬の効き具合をはかることができるのではないかと思った。

A:これは、二つの問題に対して、それぞれよく考えていて素晴らしいと思います。後者の問題については、脳内物質の寄与よる部分を引き算しようとした時、物質量が同じであってもその寄与の大きさが人によって違っていそうで、話がどんどん複雑になりそうな気はしますが。


Q:今回の授業では生物学と社会の結びつきや、病気と薬について学びました。その中で、「病は気から」という言葉に注目しました。「病は気から」というのは、ネガティブ思考で、「自分は病気かもしれない。」「自分は病気にかかりがちだ。」などと思っていると、本当に病気になってしまい、反対に、ポジティブ思考で、「自分は病気にかかりにくい。」「病気にかかっても薬を飲んだからもう大丈夫。」などと思える人は本当に病気にかかりにくく、病気も治り易くなるというものです。よって、自分は性格で病気にかかり易いか、かかり難いかが決まると思いました。明るい性格なら病気にかかり難く、暗い性格なら病気にかかり易いという具合にです。この性格を決める要素の中に、以前の授業で行った通り、遺伝子も関係してくると思います。しかし、その遺伝子という要素だけで性格が成り立つとは考えにくいです。性格には環境という要素も大きく関わってくると思います。これは、遺伝子的に暗い性格になり易い人でも、環境を変えることで性格が明るくなるかも知れないということです。今はまだ、遺伝子が影響する性格は「新しい物好きかどうか」などしか、分かっていないかも知れませんが、今後の研究でどんな遺伝子が性格にどんな影響をもたらすのか、もっと詳しく判明したら、上記のことを踏まえての、性格による病気になり易さに対しての予防医療ができると思いました。遺伝子を調べたうえで、暗い性格になり易い人に対しては、定期的にカウンセリングや健診を受けてもらい、医者には明るくなるような励ましをしてもらい、「お医者さんから、お墨付きをもらっているんだから、大丈夫。」と、このように環境を整えることで、少なくとも病気に関してだけでも、心配にならないようにすれば、「病は気から」という病は防げると思いました。

A:そうですね。あと、明るい、暗い以前に、人に言うことを信じやすいかどうか、というのも人によって大きく違うでしょう。科学者というのはたいてい疑り深いものですから、薬が効きづらいのではないかと、推測したりします。


Q:今回、最終回は生物と社会で世の中に出回っている薬や栄養剤などについて学びました。そこで疑問に思ったことは、マウスなどで薬の効果や副作用を調べているのに人間が服用すると死に至るほどの副作用が出ることがあることです。マウスでも死んでしまったマウスがいたのかそれとも人だけ死んでしまうことがあるのかを考えてみました。数千匹のうちの一匹だけがたまたま死んでしまったのなら試した薬は世に出すかもしれないが、死に至る確率が増えれば増えるほど世に出ることはなくなるはずである。そのためマウスでは死に至ることはないが人間では体調の悪さやほかの病気との合併症などで死んでしまうこともあると思います。では合併症以外に死んでしまう可能性としては人間のほうが遺伝子が複雑でマウスでは完全に調べきれないのではないかと思います。それによってこぼれてしまったところがあり、それが人間のよくない副作用として表れてしまうことがあるのだと思います。

A:まあ、ヒトとマウスでは違う点もたくさんあるでしょうから、マウスでの実験があてにならないという状況はあるでしょう。ただし、たとえば、ヒトの培養細胞を使って毒性を調べる、などといった方法もありますから、まるで手がないわけではなりません。


Q:薬の効果、黒烏龍茶の実験などを例として、生物を扱う場合、全く均一な条件で調査や実験をすることは困難であるという説明があった。このような例は他にも沢山あり、世論調査、STAP細胞の実験なども挙げられる。なるべく均一な条件で信頼のある調査や実験をするためには、どのような条件を設定する必要があるのか。一般的には目的を達成できる条件を設定するということになると考えている。目的とは、例えば、薬の効果の場合は薬の効果が多数の患者に認められる、黒烏龍茶の場合は多数の消費者が納得する、世論調査の場合は国民の意見としてある程度反映できる、STAP細胞の場合は多数の研究者が納得する、といったことになる。そして、目的を達成する条件がモデル生物、純系、不特定多数の人、統計処理、対照実験などになる。ところで、これらの例の目的を見てみると、多数の対象とする人を納得させるという点で共通点がある。しかし、わかりやすく説明し納得させるという目的のために考えた条件が、特定のデータだけを公表することになってしまうと、多数の人というあいまいさゆえに、逆に別の複数の人に不信感をいだかせてしまうこともある。例えば、黒烏龍茶のグラフの例で言うと、多数の消費者を納得させるためにあえて標準偏差を載せないようにしたつもりが、別の人には不信感を抱かれるといったことである。したがって、目的を達成するための条件設定は分野や人の主観などによって変わり大変難しいため、データの信頼性が変わることはよくあることである。そうすると、この世に公開されているすべてのデータを疑わなくてはならないことになる。さまざまなデータを正しく解釈するために、科学的にグラフや行間をじっくり考えながら読むということが大事になってくる。

A:確かに相手に応じて必要な対応は変わる、ということはよくありますね。これは、教育の分野で正に問題になるところでしょう。必要以上の情報を与えることに寄って、かえってわかりづらくなってしまうということは、講義をする上でも実はよく経験します・・・。