生物学通論 第5回講義

細胞とオルガネラ・葉緑体の起源

第5回の講義では、共生説を中心にオルガネラの起源と存在意義について考えるとともに、動物・植物といった分類の現状について紹介しました。


Q:共立出版「地球・環境・資源 地球と人類の共生をめざして」106ページには、「原核細胞は、遺伝情報をもったDNAが細胞内に裸で存在し、細胞壁や細胞膜の化学組成も真核細胞とは異なっている」という記述がある。講義では共生説が有力とのことであったが、私はこの記述を読んで違和感を持った。共生説を信じるならば、私は原核細胞と真核細胞の化学組成も同じであるべきではないかと思う。

A:これだと、レポートの出だしの部分という感じですね。なぜ、そう思うのか、共生説とのかかわりを論理的に議論して始めてきちんとしたレポートになります。「思う」のは文学作品では重要ですが、科学的なレポートでは論理が重要です。


Q:今回の授業で、渦鞭毛藻とマラリア原虫(アピコンプレクサ類)、繊毛虫類の進化の過程についての図が出てきた。ここで、従属栄養の渦鞭毛藻では葉緑体が消失しており、アピコンプレクサ類では葉緑体は退化(アピコプラストとして残る)していた。どちらも葉緑体は機能していないのに、消失したものと退化してもまだ残っているもの、この差はどこから出てくるのだろう、と疑問に思った。そこで、まず生活環境を比較して考察してみることにした。インターネットで生活環境について調べたところ、従属栄養の渦鞭毛藻は他の原生動物を捕食することで捕食して生活している。一方アピコンプレクサ類は、ほとんどが寄生性のものである。ちなみに、渦鞭毛藻とアピコンプレクサ類が分かれるより前に進化の過程で別れたとされる繊毛虫類は、微粒子を摂食したり、捕食するものもいるようだ。従属栄養の渦鞭毛藻については、一度繊毛虫類と別れた後、葉緑体がいらなくなったために再び消失したと考えられ、これは納得できる。しかし、アピコンプレクサ類では葉緑体はアピコプラストとして残っており、かつ光合成はしていない。なぜ消失しないのか?また、なぜ1度葉緑体を獲得する必要があったのか?葉緑体を獲得する前、繊毛虫類から寄生性のものが進化していないのはなぜだろうか?調べたところ、アピコプラストは寄生するうえで欠かせない役割を持っているようだ。つまり、寄生性を獲得するためには葉緑体を1度獲得する必要があった、ということである。このため、繊毛虫類からは寄生性のものは進化せず、また、獲得した葉緑体は姿と役割を変えつつも、名残として残っている、と言えそうだ。すなわち、アピコンプレクサ類は光合成という栄養獲得手段を放棄する代わりに、いらなくなった葉緑体を独自に進化させ、寄生性を持った、ということである。

A:よく考えていると思います。葉緑体というと「光合成をする」というイメージが強いと思いますが、実際には、脂質の代謝や、窒素や硫黄の同化に大きな役割を持っています。ですから、「光合成をしない」=「葉緑体の機能が全ていらない」ということにはならないのです。例えば、根は光合成をしませんが、葉緑体の代わりとなるオルガネラを持っていて、そこで必要な代謝を行なっています。そのよううな「葉緑体の仲間」を色素体と総称します。


Q:光合成細菌の利用はさまざまな分野で見られる。特に農業の分野でさかんである。(菌の代謝機能を利用した悪臭の軽減など)外国ではこれらのヒトへの利用が行われているが、これにはもっと慎重に行われるべきであると思う。なぜなら先週学んだようにヒトはさまざまな免疫能力があるが新たな菌への対応となると難しい面もある。しかし自らエネルギーを作り出すことのできるのは非常に魅力あるものだと思う。

A:このレポートは、指示語の使い方、文と文とのつなぎ方など、日本語としてそもそも不十分です。レポートは、内容ももちろんですが、当然きちんとした日本語で書くことが前提となります。その上で、もう少し論理的な内容のあるレポートを書く努力をしてください。


Q:二次共生が生命史の中で何回も起っていることであるのに対して、一次共生が一回しか起こらなかった理由は何かを考えたい。観点は一次共生を引き起こしたのは宿主(真核生物)かシアノバクテリアかということである。シアノバクテリアの方にその原因があるとしたら、その突然変異が数億年に一回の確率で生じるものであったということになる。多様性を生みにくい原核生物の特徴を考えると否定はできないように思う。一方宿主の方に原因があったのだとしたら、ある特定の時代の特有の環境にしか生息していなかった真核生物であったために、一次共生を引き起こす環境を生命史上一回しか作れなかったということになる。その真核生物が嫌気性の微生物で、自身のその進化によって生み出された酸素で元の生物が生きられなくなっていったということなどが考えられる。或いはシアノバクテリアと宿主にその時代にしかない状態のものが生じたのかもしれない。一次共生がこの広い地球の長い歴史の中で一回しかなかったことを考えると、両方が起こるくらいの確率でないとそのようなことにならないと考えることもできる。

A:昔、地球生命以外の生命が宇宙に存在するのか、という議論がよくありました。その際、生物学者は、生命の複雑さを考えて「存在しない」派になる傾向があり、宇宙物理学者は、天体の数の多さを考えて「存在する」派になる傾向があったそうです。このレポートを読んで、その話を思い出しました。このような話は、大まかな目安でよいので、実際の数値を挙げて定量的に議論しないと意味がないのかもしれませんね。


Q:光合成という能力を得たり、失ったりすることは、生物の進化上難しいことではなかったという。その理由として、葉緑体はかつてひとつの生物であり、他の生物のからだに取り込まれて共生していたという共生説がある。つまり、体内で共生させている生物を生かせば光合成の能力を得ることができ、殺せば光合成の能力を失うこととなる。では、自分で運動し、他の生物を捕食しながら、光合成をする生物は生まれなかったのだろうか。単純に考えればエネルギー源を得る手段を2種類持つことができるということは生命の維持の上では有利になると思われる。ひとつの手段が使えない状況でも他の方法を取ることができるからだ。しかし、共生説を考えるとそうでもないかもしれない。仮に自分で捕食もし、葉緑体を共生させているとする。捕食がうまくいっている場合、葉緑体の働きは要らない。捕食のための運動に効率よくエネルギーを使うため、不要な機関は無くなってしまうだろう。逆に光合成だけで主人と葉緑体の両方のエネルギーがまかなわれる場合、主人は捕食しなくてもよいので、よりエネルギーを節約できるように運動機能を手放すだろう。捕食と光合成を両方やる場合、せっかく捕食で得たエネルギーを葉緑体にも与え、せっかく光合成で得たエネルギーを運動に用いるなど、どちらかに特化した場合に比べてエネルギーを浪費してしまうのではないだろうか。共生によって光合成の能力を得ても、共生させている葉緑体を生かすためのエネルギーと光合成で得られるエネルギー、捕食で得られるエネルギーと、捕食のために使うエネルギーの全てをてんびんにかけ、使うエネルギーより得るエネルギーが少なくなってしまえば生命維持ができない。捕食し、かつ光合成ができる生物が本当にいるかどうかは知らないが、ほとんどの生物がどちらかに特化しているのは、このような差し引きを考えた結果だと思われる。

A:よく考えていると思います。この講義のレポートとしては、これで満点です。もし、もっと長いレポートにする場合は、例外についての考察がよいかもしれません。少ないながら、光合成を捕食を両立させている生物もいるわけですから、そのような生物が、どのような条件で成立するのかを考察すると、さらに理解が深まると思います。


Q:ミトコンドリアは共生に由来すると考えられていると授業で行った。共生というと、増殖などはどうなるのかという疑問を得た。調べた結果、ミトコンドリアはメンデルの法則などの遺伝継承はないということ。そして分裂による増殖をする。

A:調べた結果を記述しただけのレポートは評価しない、とアナウンスしたはずです。


Q:授業内にて先生は共生が幾度となく行われていた可能性を指摘されたが、このように生物同士が共生に至る、すなわち一個体として後世まで長期間定着されるにはどのような地球表層環境が必要とされるのかについて考察を試みる。第一に、共生が行われるには突然変異もしくは進化の確率を珍しくないものとする程の生物個体数および多様性が十分に認められる程の種族数が必要であった事が容易に予想される。すなわち、生物の「繁栄」が共生にとって最も重要なイベントであったと考えてよいだろう。もちろん生物の「繁栄」のみで共生が行われる事も考えられるが、これのみでは同時期に多量の共生個体が出現する事象を説明しきれない。ここで第二に、生命を脅かすようなショック(大量絶滅イベントなど)を考えてみる。例えば、大規模な造山活動などにより太陽光が殆ど届かなくなった場合では、光合成が可能な生物はより動きを抑えより多くのエネルギーを得るために、光合成が不得意な生物は新たなエネルギー源を求め、熱の変化に弱い生物は他の生物の内側に逃げ込むように共生が行われる事が考えられ、このような淘汰作用から逃れてきたと思われる。またこの他にも地磁気の変化期などにおいては高エネルギー(大規模な落雷や宇宙線の飛来など)が容易に供給されることがあり、他固体との融合(破壊された細胞が互いに異なる固体と合体した、破壊された核酸の塩基配列が再度縮合し、次世代の生物が融合された形態をしていた、など)によって偶発的な共生が起こることも考えられる。以上より、生物の共生(進化)には「繁栄」した状態に「刺激」が加わったモデルが最もよく説明づけると考えられるのである。

A:繁栄が共生の前提であったという考え方は面白いですね。確率が低い事象の出現頻度を上げるためには母数が大きい必要があるということでしょう。ただし、生命の場合、自己複製機能がありますから、いったん出現すれば、そして出現したものが環境にフィットしれいれば、どんどん数を増やすことができます。従って「同時期に多量の共生個体が出現する」こと自体は、ただ一つの共生個体に由来したとしても説明できます。