生物学通論 第14回講義

進化

第14回の講義では、生物の進化について、種の定義などから有性生殖の意義などまで紹介しました。


Q:今回の講義で、有性生殖のメリット、デメリットについて学んだ。その中で、多くの動物で雄が子育てに寄与せず、また子供の数を増やすには、雄は配偶者を複数獲得すると効率的であり、また子育てに投資しても自分の子供である保証はない、ということを扱った。ここで私は、近所にいつもつがいでいるキジバトに思い至った。そして、もちろんすべてではないが、鳥類にはつがいで子育てをするものが多いように感じた。そこで、鳥類がつがいで子育てをする理由を考えてみることにする。鳥類はそのほとんどが巣をつくり、そこで抱卵、子育てをする。巣をつくるという過程をつがいで行う習性をもつ場合、他の雄の子供である可能性が低くなるのではないかと考えた。もし、巣をつくる途中で雌が他の雄と交尾した場合、元の雄と作っている巣の所には帰ってこないと考えられるためである。また、子育てを雌のみで行った場合、子どもが外敵に襲われる可能性が高くなることが考えられる。子供は孵化したときは未熟で、巣の外に出ることはできない。しかし、親はエサを調達するため、巣を離れる必要がある。つがいで子育てを行う場合には片方の親が巣にとどまっていればよいが、雌のみの場合は、エサを取りに行っている間に外敵に襲われて子供が全滅する可能性が高くなる。後者の場合、雄が配偶者を複数獲得して生き残る子供の数の期待値と、つがいで子育てをして生き残る子供の数の期待値を比べて検討する必要がある。これは、外敵の数や巣の見つかりやすさなど複数の要因を考慮しなければならないので容易ではないが、雄が配偶者を複数獲得して生き残る子供の数の期待値の方が高かった種は雌のみで子育てを行い、つがいで子育てをして生き残る子供の数の期待値の方が高かった種はつがいで子育てをするように進化したのではないだろうか。もしかしたら、この理由からつがいで子育てをするようになった種が、より雄と雌の結束を高めるために一緒に巣をつくるようになったのかもしれない。

A:よく考えていますね。人間を含む一部の動物の場合は、これに加えて、子育てを集団で行なう例もあるようです。子育てを共同作業で行なう場合には、さらにいろいろな要因を考えないといけないかもしれません。


Q:無性生殖はもとの個体と同じ遺伝子を持ち、親とまったく同じ形質を示すので環境の変化で全滅する可能性があるのに比べ、有性生殖は母親と父親の遺伝子を受け継ぐので種としての形質以外は両親と違う形質を示す。これにより環境の変化に耐えうる可能性がでてくるということである。もちろん雄と雌との出会いによる受精であるため、無性生殖と比べて出会いの確率からすると二倍のコストがかかるということである。私はクマノミという魚は生まれたときはすべてオスで、そのなかの体が大きいものがメスに性転換をして産卵するということを聞いた。この性転換というものは有性生殖をするという点で非常に優れた能力であると思う。ここで疑問になったのがなぜ、はじめにオスとして生むのだろうかということである。子を産卵するという点ではメス存在が不可欠であり、より優秀なメス(子を生む能力)をということであれば、もともとをメスとして産み、そこから選抜していくというほうがよいのではないだろうか。

A:素晴らしいところに着目しています。あとは、最後の疑問に、何とか自分なりの理屈をつけて議論できると完璧です。卵を作るコストと精子をつくるコストを比較すると、いろいろ理屈を考えることができるように思います。


Q:今回は生物の進化について学んだ。進化するのは集団であり個体は進化しない、というのは今でもポケモンが大好きな自分にとっては衝撃的であった。今回特に気になった点はヒトのような環境を自ら変えてしまう生物は進化しない、という点である。勿論これは進化をする必要性がほとんどないからであるが、それなら環境を自分達の手で変えつつそれなりの速度で進化をする生物が存在すれば完璧に近いのではないか、と私は考えた。考察の結果、ほぼ不可能に近いという結論に至った。自然選択による進化は、一般的に新たに生まれる個体に対して子供をつくらずに死んでしまう個体の割合が大きいほど進化速度は速くなる。環境を自ら変えてしまう生物というのは言ってしまえば死なないために環境を変える生物であるため、環境を変えてしまえば進化に必要な要素であるその世代で途切れる個体が圧倒的に足りなくなるということであり、進化できなくなってしまう。また、環境を変えることができるからわざわざ仲間を殺して進化する必要も無い。また、そもそも何のために進化するのかも不明瞭である。どうしても変えきれない環境があるというのであれば話は別だが、今のところそのような環境にはなっていない。よって、ヒトは進化しないのではなく殆ど進化できない生物である、ということになる。しかし、いずれエネルギー資源が尽きてしまうだろうから、その時までに太陽光などのほぼ無尽蔵のエネルギーを供給する手段を得ておかないと、進化せざるを得ない状況に追い込まれる、もしくは絶滅してしまうかもしれない。

A:これも、面白い点を考察していますね。ただ、途中「何のために進化するのかも不明瞭」というところは、進化に目的があることが前提となっていて、やや不適切かもしれません。進化は、何か目的があって起こるのではなく、結果的に生き残ることが進化につながるのです。


Q:進化は数世代に渡って起こるものである。いま人間の進化はどうなっているのかを考える。人間の身長はどのように変わっていったかを考える。墓の中の骨を見ることによって当時の身長をしることが出来る。縄文時代の平均身長は158cmで明治初期の平均身長は155cmで現代の平均身長は172cmである。これは全て男の平均身長である。縄文時代と明治初期ではほぼ差がないのに対して現代と縄文、明治では大きな差がある。なぜ身長は高くなったかを考える。ここでキリンの話を出すとキリンは高い木の葉を食べるため長い時間をかけて首が長い種が生き残り、全体として首が長くなったと考えられている。縄文時代や明治時代や現代で考えると食糧を得るために身長が伸びたとは考えにくい。次に食糧が豊富になったので体が大きくなったと考えることが出来るがそれならば明治時代の時に身長が大きくなっているはずである。自分の中での結論であるが平均身長が高くなった理由として生活が豊かになり選択の自由が出来たからだと考えられる。ここでいう選択の自由とは子孫を残す際に相手を選ぶことが出来る自由ということである。縄文時代は相手を選ぶより生活をするのに精一杯で相手をあまり選んでいなかったと考えられる。次に明治時代であるがこの頃まではいいなずけといって親同士によって結婚をさせられることが多かった。しかし現代ではいいなずけも少なくなっており、生活も豊かになっているので結婚をする際の理由に容姿が含まれるようになった。現代の女の人が望む結婚相手は身長が低い人より身長が高い人を好んでいる。なので生活が豊かになり選択の自由が出来たので女の人は身長が高い人と結婚をし子供を産んできた。そうすることにより身長が高い人が増え、身長が低い人が減っていった。なので日本の平均身長は明治時代以降に上がってきたと考えられる。

A:面白いことは面白いんだけど・・・。明治から現代まで、まだ150年はたっていないわけですよね。25才で子供を産むとしても、たかだか5世代程度です。さすがにそれでは集団内にある形質が広がるのは無理でしょう。おそらく、頭では分かっていても、個体が進化してしまうようなイメージを持ってしまっているように思います。


Q:生物の進化ときいて私が真っ先に頭に浮かんだことは生きた化石といわれる『シーラカンス』です。シーラカンスは3億5000年前と変わらぬ姿で現在でも生存しているようですが、何故変わらぬ姿で今も生きているのか調べてみたところ深海の環境が当時とほとんど変わっていないことからきているということでした。ということは、深海に生息している生物はシーラカンスと同様に昔の姿のままでいる生物が多くいるのではないかという推測ができます。また1つ生物の進化の疑問として、進化しやすい環境とは一体どんなものなのかということです。深海のような、昔からほとんど変化のない環境では進化のスピードは遅く、逆に氷河期のような環境の変化では耐えられず進化をせず絶滅してしまう場合もあります。各々生物によって個体差はあるかと思いますが必ず各々の生物にとって進化しやすい環境というのが存在する可能性があり、それを発見し人工的にその環境を作り出せば、ある生物を自然界よりも早く進化させることが可能ではないかと思いました。

A:せっかく前半で面白い点に注目しているのに、後半では、それを全く使わずに「進化しやすい環境というのが存在する可能性があり」と元に戻ってしまっているのが残念です。もう少し論理を使って文章を組み立てるとよいでしょう。