生物学通論 第3回講義
生体膜と細胞とオルガネラ
第3回の講義では、生体膜を構成する脂質の構造と特徴について解説したのち、生体膜が生物においてどのような意味を持つかを考え、最後に細胞共生説に少し触れました。
Q:生体膜がタンパク質と脂質がほぼ同量で構成されていることから、人間を含む動物だけでなく、植物も脂質を構成成分とすると言える。また植物が脂肪分を持つことは植物性油などの存在からわかる。しかし動物が他の動物や植物からそれを吸収できるのに対し、植物は脂質をどのように手に入れるのか。植物が外界から物質を取り入れることが出来るのは、根をもって地中から、或は葉や茎をもって空気中からと考えられる。普通に考えれば、地中に脂質、脂肪、油などがあると考えられないため、光合成で作り出した炭素や根から吸収した燐、水分を用いて植物体内で脂質を作り出すと考えられる。だが、本当に地中に脂質はないのか。少なくとも地中には脂質を持ちうる生物や微生物が多数いる。またその死骸が多数ある。そのことから地中にも脂質や油が含まれており、根からそれを吸収している可能性も考えられる。そこで、土に根を張らない状態でも同じように脂質を得て成長できるのか否か調べる必要があるといえる。
A:生体内の物質をどのように体の中で合成・分解しているのかという代謝の概略については、今後の講義の中で紹介します。
Q:生体膜のモザイクモデルから物資が移動しやすい方向とそうでない方向があることがわかった。そうした違いが生まれるのを分子の構造が決定するのならば人工的に物質の構造を作ることができればそこに複数の化合物を組み込めば選択的に反応させたい化合物だけを反応させることに応用できると考えた。
A:単に「考えた」だけでは、感想の域をあまり出ません。講義のレポートとしては短くてもよいので、きちんと論理を展開するようにしてください。
Q:原核生物は真核生物に比べて大きさが小さいため、体積あたりの物質の輸送が出来る細胞膜の面積が大きくなり、反応の効率が良い。では、原核生物は真核生物より先に存在していたのに、なぜわざわざ真核生物へと進化したのか。①環境の変化で原核生物それぞれの個体数が急激に減り、残されたものたちがたまたま出会って共生した真核生物が生まれ、環境に適応することで多数派になるという形で進化したが、もともとの原核生物たちもなんとか生き延びた②突然変異によって今までとは違うDNAを作るものが現れ、そこから違うタンパク質が作られて細胞小器官となり、たまたま効率の良い反応が出来るものが生き残った、という2つの説について考えてみる。①は共生説と自然選択の考え方だが、たまたま出会ったものが適応する確率は高いとは言えない。しかし、②についても、突然変異では微小な変化しか起こらないはずなので、それによってそれまでに無かったような、しかも競争に有利な機能を持つ器官が生まれるという確率はとても低いといえる。原核生物と真核生物には、突然変異の例で出される、例えばオオマツヨイグサの葉や花びらの形の違いよりも、機能などの点でずっと大きな意味を持つ違いがあり、突然変異でここまで大きな違いが生まれるとは考えにくいため、私は①の説を支持する。②を否定するには、遺伝子組み換えなどの技術を応用して突然変異に近い状態を作り出し、もし変異が起こってもそもそも今までに全く無かった機能を持つことは無いということを証明する、という方法が考えられる。
A:もし、原核生物は細胞が小さいので物質の取り込みなどについては効率が真核生物よりもよいはずである、という疑問をもとに進化を議論するのであれば、重要なのは真核生物のメリットでしょう。細胞が大きいとどのような場合にどのような利点があるのかを考えると、真核生物が進化した理由を考察することができます。一方で、どのように原核生物から真核生物が生じたのか、というメカニズムについては、別に考察する必要があります。そのあたりややごっちゃになっていますが、よく考えていると思います。
Q:原核生物と真核生物について考察する。原核生物とは細胞核を持たない生物のことであり、構造的に真核生物よりもはるかに小さく、内部構造も単純である。一方で身体を構成する細胞の中に細胞核構造をもつ生物を真核生物という。一般的に原核生物が進化して真核生物になったと考えられているし、それに関して自分も否定はしないが、生物生活全ての面で進化であったのかというところには疑問が残る。過去の地史的な環境変動事変を考えてみても原核生物が生き延び、真核生物の種が絶滅したこともある。真核生物は原核生物に比べ内部構造が複雑な分、増殖にも時間がかかる。それに対して原核生物は増殖速度を生存の武器にしたのではないか。細胞構造を複雑にせず、保持するものは必要最小限とする。これは大量生産に適した特徴ではないだろうか。ただし必要以外のものを徹底的に排除しているため、革新的な変化が生じることはないと思われるが。現在もこの地球上には原核生物が存在しているわけで、確かにそれらの生物に革新的な変化は期待できないであろう。しかし、仮に過去にあったような環境大変動が現世で起きた場合に生き残るのは我々を含む真核生物なのか、それとも原核生物なのであろうか。
参考図書 絶滅古生物学 平野弘道 著
A:よく考えていますが、最後の一文がやや余計かも。評論家風にまとめるよりは、自分なりの結論を導いた方がよいでしょう。
Q:●脂質と生体膜について:脂質は流動しており(液晶状態) 脂質は親水性と疎水性の部分に分かれる。その脂質の組み合わせ方でミート状やミセル状などに分類される脂肪酸の種類は二重結合と炭素の数で決まる。また不飽和脂肪酸は寒くても流動性が保てるという特徴がある。
●生物の定義:生物の定義とは①細胞内外を区切る細胞膜を持つこと②自己増殖能をもつ③代謝をするの3つがあげられる。この定義によるとウィルスは核酸・たんぱく質からなり生体膜がないので生物ではない。また内部に生体膜を持つことによって体積の割に表面積が増えないので効率が良くなる。そのため原核生物よりも発達した真核生物では内部に生体膜を持つような構造になったと考えられる。
●光合成細菌・シアノバクテリア・高等植物について:生物学的な分類では、光合成細菌とシアノバクテリアが原核生物、高等植物が真核生物となる。一方で機能的な側面による分類では、光合成細菌のグループとシアノバクテリアと高等植物のグループという風に分けることができる。これは光合成の際に酸素を出すか否かによる分類であり、ここから1つの疑問が導き出される。それはシアノバクテリアは高等植物へ進化を遂げたのか?それとも葉緑体へと進化したのか?というものである。以下の文章により、シアノバクテリアは葉緑体へ進化したと考えられる。以下引用「植物細胞には、核とオルガネラ(葉緑体とミトコンドリア)があり、それぞれゲノムDNAを持っていて複製することができます。植物細胞の歴史については、まず原始真核生物の細胞に、酸素呼吸をする細菌(α-proteobacteria)が取り込まれ、ミトコンドリア(呼吸の場)として定着した後、シアノバクテリア(cyanobacteria)が細胞内共生によって取り込まれ、葉緑体(光合成の場)へと進化し、現在に至ったと考えられています(図2-1)。つまり葉緑体の起源は、シアノバクテリアというのが定説です。」
参考:http://asam.agr.ibaraki.ac.jp/page3/page6/page6.html
A:成績評価の方法に関しては、何度もアナウンスをしていますし、お知らせとしても載せてあります。複数の論点について少しずつ議論したレポートの評価は低くなります。また、講義で話した内容をまとめただけのレポートは評価されません。きちんと評価の方法を確認してからレポートを書いてください。
Q:細胞膜が果たす役割の根底にあるものが、“空間を隔てる”ことにある、という点にはすごく納得がいく。生物が生物たらしめる特徴が、同じ種を残すことだとしたら、外界と自分の領域を明確に隔てる“膜”が必要になってくるというのは、必然のように感じられまた。また、真核生物の大きな細胞にはゴルジ帯やリボソームなどさまざまな細胞小器官があるが、原核生物にはそれがないということの理由が、細胞外の物質のやりとりが必要なことから生じることであることも、必然的にそのように進化していったことをうかがわせる。細胞のさまざまな小器官が、もともと別々の原核生物の細胞が、一方を取り込んでできたという説に関しては、とても興味がわくため、次回の内容もしっかり理解していきたい。
A:これは、やはりまだ感想の領域にとどまっています。何でもよいので、自分なりの論理・考えを展開するように努力してください。
Q:真核細胞では細胞小器官が細胞内をいくつもの部屋に分けている。細胞小器官の存在意義には細胞小器官ごとに環境を変えて様々な化学反応を同時に効率よく行うことがある。つまり細胞小器官内はそれぞれ違う環境にある。ここで細胞小器官内の環境がどのように違い、どうやって環境を変えているかを考えてみる。化学反応にとって影響のある環境の違いは温度、化学物質、圧力の違いなどが考えられる。まず温度について考えてみる。細胞小器官は小さい細胞内に共存しているため細胞小器官ごとに温度を変えることは難しいと考えられる。次に化学物質であるが、これは細胞小器官にあいている物質を取り込むための穴の大きさを取り込みたい物質の大きさに合わせて変える、細胞内に取り込んだ物質によって細胞小器官の物質を取り込む穴の大きさや活動量を変えるなどが考えられる。最後に圧力である。圧力を変化させるためには細胞小器官が膨張、収縮することが考えられるが、細胞小器官が圧力が変わるほど膨張、収縮することは難しいと考えられる。以上のことより主に化学物質の違いによって細胞小器官内の環境が変えられていると考えられる。
A:きちんと考察されていてよいと思います。
Q:原核生物にはないのに真核生物の内部に生体膜があることに興味を持った。授業で、オルガネラがあることで細胞膜の面積増加と各々が分業できるというメリットがあることを知った。でも、これは後付けの解釈で実際そんなにうまくいくだろうかとも思った。原核生物→真核生物への移行過程で細胞膜が陥入したとする説や、ほかの原核生物が取り込まれたとする説(葉緑体、ミトコンドリアは進化の過程で取り込まれたとする説が支持されている)がある。葉緑体、ミトコンドリアが独自のDNAを持っていることから後者のほうがあり得そうだ。しかし取り込まれた説について、まず異質なものが入ってきて拒絶反応がないのだろうか。また、ただの餌になるか共生関係になるかの違いは何なのだろう。進化を実験で証明するのは無理だが、共生「細胞がバクテリアを取り込みそのまま共生するか」を実験室で実現できれば、この説は現実性をおびてくると思う。違う話題で、光合成ができる動物がいてもいいのではないか。進化論でいえば光合成ができる動物とできない動物では圧倒的に前者が有利となる。自分でエネルギーを作れないから捕食者は進化したと反論があるかもしれないが、それなら捕食者以外はどうだろう。光合成ができて防御に特化した動物がいてもいいはず。
A:「実際そんなにうまくいくだろうか」と考えるのは当然ですが、進化の場合、今生き残っている生物は、その進化の陰で「うまくいかずに」死んでいった生物からすると、ほんの一握り、無視できるような数なのです。最後の方、いろいろ考えているのはよいのですが、できれば焦点を絞って、自分なりの一つの疑問に自分なりの回答を与えるように努力してみてください。
Q:細胞小器官のうち、ミトコンドリアと葉緑体についてはもともと別の細菌だったものが、進化の過程の中で取り込まれて今のようになったと考えられているということであったが、この世界に現在生息している真核生物のすべての細胞は本当にすべて同じミトコンドリアの、植物は加えて同じ葉緑体のDNAを持っているのだろうか。すなわち、ミトコンドリアと葉緑体のもととなる細菌が分裂という形で増える生物だとして、例えば葉緑体として取り込まれたというシアノバクテリアがすべて同じDNAと言うわけではないはずである。無性生殖で増える生物だからといって世界中のすべてのその生物のDNAが同じでは、すぐに絶滅してしまうと思う。細胞小器官として取り込まれたのは決して一瞬の出来事ではなく、まずは共生という形から長い年月を経て細胞小器官になったものであろうから、その間にとりこまれる方の細菌にいくつかの遺伝的浮動があって、いくつものパターンがあってもよいのではないかと思った。
A:よく考えていると思います。細胞内共生については、次回の講義でもう少し詳しく説明します。
Q:飽和脂肪酸を摂りすぎると脂質が固くなるため、人間の健康のためには不飽和脂肪酸を摂った方がいいという話を聞き、飽和脂肪酸と不飽和脂肪酸が人に与える影響について興味をもった。厚生労働省によると、飽和脂肪酸は血中のコレステロールを増やし、不飽和脂肪酸は体内のコレステロール値を下げるという。このことからも、飽和脂肪酸を多く含む食品、例えばバターや牛肉などの摂り過ぎはやはり健康に良くないことが分かる。一方でコレステロールというと良くない印象がつきまとうが、ある一定量のコレステロールは必要なのである。そのことから考えると、不飽和脂肪酸を大量に摂ることはコレステロール値を下げすぎてしまい、好ましくないといえるだろう。つまり、人の健康のためには飽和脂肪酸と不飽和脂肪酸をバランスよく摂取することが大切なのである。
参考文献:厚生労働省、脂質依存症を防ぐ食事http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/kenkou/seikatu/kousi/meal.html(2012、4月28日閲覧)
A:悪くはないですが、もう少し自分なりの論理展開がほしいところですね。与えられた前提からそのまま自動的に結論が出てきてしまっている感がありますので。
Q:脂質が疎水性と親水性の構造を持ち、頭部である親水性の側を表面にして集合を形成するという事である。その集合においては、性質のみから考えるとチューブ状の集合を構成する事も可能で、流動性による運搬の効率を考えると球形で網を巡らせた様な複雑な形が最適化されたものではないかと考えた。但し仮にその様な物を生成する場合相当の労力が必要と考えられ、又よほど複雑な反応を短期間で引き起こす必要性がない限りはより単純な構成のもので事足りる為に自然界には存在しないものと思われる。
A:ちょっと言葉足らずですが、面白い着眼点だと思います。せっかくチューブ状の構造を思いついたのですから、「球形で網を巡らせた様な複雑な形」というところなどをもう少し丁寧に説明して、結論まで持っていくと非常によいレポートになるでしょう。
Q:マクロファージは体をタンパク質と核酸で構成されているため、生物の最小単位である”細胞”が存在しない。ゆえに、分類学的には非生物であるが、はたして生物と非生物の境界はそれだけなのか疑問に感じた。そこでここでは分類学とは異なる考えで以下のように生物として考えられる活動を2点仮説してみる。ひとつはDNA複製能力を有していること、二つ目に次世代を残す能力を有していることである。上記の2点は主に同様のことを示唆しているが、行えなければ生物として成長も進化もできない、しかしこのウィルスはその条件を満たしている。このことより私は、生体構成と生体活動の両者における”生物”の判断は異なると考え、ウィルスを生物と捉えることも可能であると結論づけられる。
A:考察はきちんとしていてよいと思います。ただ、ウイルスに関しては、自分だけでは「DNA複製能力」も「次世代を残す能力」もないので、その点についてやや議論が必要かな、と思います。ウイルスは宿主の「DNA複製能力」を使っているのです。
Q:生体膜の流動において、温度との相関はグラフでどのように表せるか考えてみた。まず、温度が下がると流動性が失われ、上がると脂質分子が動き回る(流動する)ことより、正の相関であることがわかる。そして、この関係をグラフで表した場合には以下の3点に大別できると考えられる。(1)一定値まで指数的に増える、(2)一定値まで対数的に増える、(3)一定温度を境界として全か無かの値しかとらない。すべてにおいて流動性の上限を設定したのは、生体膜におけるタンパク質が失活してしまわないようにする必要があるためである。では、各々の可能性について検証してゆく。まず(3)を正いとしたときであるが、生体膜内部と外部における膜の透過性は温度によって支配されていることになる。温度は活動電位のように刺激として扱えないことから、常に同じように流動しているか全く流動していないかのどちらかのパターンになるため、(3)は不適切であると考える。しかし、上記にも述べた様にタンパク質等が破壊されるほどの温度に達した場合、生体膜はその機能を維持できないことからその温度以降は流動性が急落し0の値をとると考えられる。次に(1)と(2)であるが、基本的に同じようなグラフの形を示すが温度の上昇に対する流動性の向上率が異なる。膜での流動性を考えると、まったく流動していない状況はないと推測できる。すなわち温度が低い状態において(2)のように対数的に増える可能性は低く、流動している状態の値をXで表す場合、グラフの初期値(縦軸における値)は0<Xとなり一定値まで指数的増加を見せると考えられる。その後、縦軸における一定値付近になると低温度時とは反対に(2)のような対数的な曲線を見せ、値が収束するのではないだろうか。すなわち、生体膜が活動できる温度範囲における低~中温では(1)、中~高温では(2)のように流動性は増加し、タンパク質等が破壊されるほどの高温以上になるとその機能を失うため0の値を示す(3)グラフを描けると結論づける。
A:1と2の折衷案ということは、いわゆるシグモイド曲線のような形ですね。自分の持っている知識から自分なりの論理によって結論を得ています。よく考えられたよいレポートだと思います。
Q:光合成細菌は酸素をださない、クロロフィルのかわりにバクテリオクロロフィルをもつ、光化学系を1種もつ。シアノバクテリアは酸素をだし、クロロフィルをもち、光化学系を2種もつ。高等植物は酸素をだし、クロロフィルをもち、光化学系を2種もつ。ということは、進化の過程で、酸素をだすようになり、バクテリオクロロフィルがクロロフィルに、光化学系を1種から2種もつようになったということである。酸素をだすようになったのは、当時、大気中の大部分を覆っていた二酸化炭素を有効にエネルギーとして取り込むための進化と考えられる。また、バクテリオクロロフィルとクロロフィルは構造が大変よくにている。これは、環状のポりフィリンのほうが光エネルギーを受容するのに優れていたのだろうか。もしくは、紅色硫黄細菌や青色細菌より、ただ単に緑色細菌のほうが優れていただけなのだろうか。光化学系を2種もつようになったのはシアノバクテリアであり、シアノバクテリアは形態も、生育環境も、性質も、細胞の形も多種多様である。その過程で、光化学系も2種にある必要があったのだろうと思う。それにしてもシアノバクテリアと高等植物の光合成機構に変化がないということに驚きました。
A:きちんと考えているようですが、幾つもの論点があるので、ちょっと焦点が絞り切れていない印象を与えます。このように論理を運ぶのであれば、全体としての結論をまとめる必要があるように思いますし、さもなければ、例えばクロロフィルの構造ならそれに絞って議論をしたほうがよいでしょう。でも考える姿勢は評価できます。