生物学通論 第5回講義

遺伝とDNA

第5回の講義では、前の週のオルガネラの続きとして葉緑体の起源の話をした後、遺伝とDNAについて解説しました。


Q:メンデルの実験において遺伝の純系と数量化がなされたが、この実験で顕著に分かる形質が顕在化する優性遺伝子と形質が出てこない劣性遺伝子にはどのような違いがあるのだろうか。DNAを構成するアミノ酸の構造によって形質が決定されるため、DNAの構造から考察してみる。DNAを構成するのはアデニン(A)とチミン(T)、グアニン(G)とシトシン(C)である。A-T、G-Cでしか結合する性質がない。これらのアミノ酸は水素結合により結合する。A-TとG-Tでは構造が比較的近いが、G-Cではグアニンのアミノ基のHの片割れとシトシンのアミド結合のC=OのOが水素結合していて、一方A-Tではメチル基が存在している。優性遺伝子と劣性遺伝子のように遺伝子間に形質の現れ方に差がでるのは以上挙げた構造の差が原因となっているのではないだろうか。

A:DNAはそれ自体が機能を持っているというよりは、タンパク質を通して機能していることがほとんどです。その場合、優勢と劣勢の一番簡単な説明は、機能を持ったタンパク質ができる場合とできない場合があって、機能を持つものが1つでもできれば形質があらわれ、できなければ形質があらわれない場合です。機能を持つものと持たないものがペアになっている場合は、機能は存在しますから、片方あれば形質があらわれ、優勢が実現することになります。


Q:真核生物の細胞における葉緑体とミトコンドリアは、元々宿主生物とは別の生物を起源としている。これを証明する説を「細胞内共生説」といい、具体的にミトコンドリアは好気性細菌、葉緑体はシアノバクテリアが宿主生物にとりこまれ共生したことをきっかけとして、宿主細胞に名残として残ったというものである。その証拠に、現在の真核生物にあるミトコンドリアと葉緑体にはそれぞれ宿主細胞とは異なった独自の遺伝子があることが分かっている。しかし、その遺伝子は好気性細菌ないしはシアノバクテリア本来のDNAとしては残っておらず、ほとんどが退化したり宿主細胞の核内へと情報が移り込んでしまっている。では、なぜミトコンドリアと葉緑体の遺伝子の一部は残ったままになっているのだろうか。考えられるのは、単純に、たとえば人間に猿のしっぽの骨の名残である尾てい骨があるように、進化の過程において、元あった器官を完全に消滅することが難しかったということ、もう一つは、ミトコンドリアや葉緑体が独自のDNAを内部に残しておくことが、生命活動の効率化を計る上で有効であったということである。後者について考えてみると、真核生物の細胞内はオルガネラによって機能が分担されている。つまり、ミトコンドリアないしは葉緑体内で活動を行おうとしたとき、DNAが部屋の外にあると、逐一細胞内で情報のやりとりをしなければならないため、タイムラグが生じ効率が悪くなってしまう。特に葉緑体は、刻々と変わる太陽光をロスなく取り込むためにも時間的な効率を上げる必要があると考えられる。

A:きちんと考えていますね。よいレポートだと思います。


Q:古細菌の例としては、死海に生息する好塩細菌や海底熱水噴気孔付近に生息する好熱細菌などがある。そのような極限環境に生息する生物の存在は、現在とは温度、圧力だけでなく大気の組成までもが異なる原始地球において、生物は存在していたことを示す。現に、嫌気性生物なども知られている。また、近年ではヒ素を生命エネルギーとして利用する生物の存在も確認されている。このようなことは、いかなる環境下でも生物というものは存在するということを示してはいないだろうか。我々にファミリアーな生物は酸素が存在するといった条件で生息しているだろうが、そうでない生物も未確認のものも含め多いではないだろうか。このような仮説が正しければ、5つに分かれている生物界のどれに当てはまらない、または曖昧な位置に君臨する生物も多数あるのではないだろうか。岩石や鉱物だけでなく、生物における分類も明瞭にはいかないことを学んだ。

A:目の付けどころはよいと思うのですが、考えながら書いている印象を受けます。主張したいことをよく考え、その考えに沿って論旨をはっきり打ち出せるとよいですね。


Q:生物の分類について、2界説から5界説があると習った。5界説は、動物界・植物界・モネラ界・原生生物界・菌界の5つであるが、ホイッタカ—の五界説(1969)とマーグリスの新五界説(1988)がある。違いとしては、新五界説になるとウィルスの位置づけがあるという点や、緑藻類や紅藻類が植物界から原生生物界に分類される点などが挙げられる。五界説は理解しやすく、それ以上分類しようがないと思えたが、新五界説も真核生物の共生説が唱えられている点で魅力的である感じた。生物の細胞構造や増殖の仕方など、様々なことの詳細が明らかになるにつれ、どの分類法においてもグレーゾーンが出てきてしまう気がする。それらを全て考慮すると大まかな分類のはずが、少しずつ細かくなってきてしまう。新五界説で、紅藻類や緑藻類が原生生物に分類されるようになるのはなぜなのだろうか。それぞれの界についての定義も曖昧であるように感じた。私は、生物は微生物から派生してきたものであると考える。そのため、生物を完全に分類することは不可能だと思うし、また、分類すること自体にあまり意味を感じない。
参考:『生物図説』(2005)秀文堂 岩本伸一 他

A:確かに、分類するための分類の役割は終わりつつあるのかもしれません。ただ、分類は、進化の概念の把握につながります。進化の道筋を探るためにはまだ分類が欠かせないでしょう。


Q:マラリア原虫やシャクジョウソウの話から、動・植物の定義について考えさせられた。また同時に、マラリア原虫は細胞に葉緑体を共生させた動物なのだから、葉緑体の働きを止める薬を注射したなら人体に影響を及ぼさずにマラリア原虫を殺すことが出来るというのは実に画期的であるとも思った。さて、授業中に「祖先生物」から様々な過程を経て「ミトコンドリアを持つ真核動物」や「植物」に到る様子を学習して、ミトコンドリアを持つが故に細胞が呼吸機能を持ち生命たらしめるという基本事項を改めて理解した。ここで、初期地球に生まれた嫌気性生物はミトコンドリアを持っていない段階だと認識している。ところが嫌気性生物にも酸素存在下で存在出来る物と現在の大気と同様の酸素濃度下では死滅する物があるらしい。前者は「酸素が無くても存在出来る」という生物であるからミトコンドリアの必然性はそれ程感じない。しかし後者が酸素を害とするのは何故なのだろう。ミトコンドリアを持たず、外気を取り込まないのであれば問題ないのではないかと考えた。人体レベルで考えて、皮膚呼吸を除外して、特定の大気が肌に触れることによって害を受けるとしたら、それは塩化水素などであろうか。これについて答えを得ることは出来なかったが、生物は呼吸において酸素を電子受容体として用いていて、この為有害である活性酸素を作り出すようだ。好気性の生物でさえ地球大気の酸素分圧が約20%以下であるから存在出来る。どうやら酸素は生物にとって有害であるということを念頭に置くべきなようである。

A:未熟児が無事に育つように酸素濃度を上げた箱の中に入れることがありますが、そのような場合、酸素濃度をちょっと上げすぎると障害を引き起こしてしまいます。これなどは、酸素の毒性を示していると言っていいでしょうね。


Q:遺伝子の本体は何であるか、と考えたとき、その種類の多さからタンパク質であると考えるのは自然なことのように思う。肺炎双球菌のS型(病原性あり)を加熱殺菌したものを注射しても発病しなかったが、S型を加熱殺菌したものとR型(病原性なし)を混合して注射すると病原性があらわれた。この場合、加熱殺菌によって肺炎を発病させる物質は働かなくなったが、病原性のあるS型を作り出す物質は働きを失っていなかったために、R型からS型を作り出し肺炎を発病させたのだと理解した。またそのあとに行われた実験によって形質転換を起こす物質はDNAだと分かったわけだが、初めの実験に戻って考えるとDNAは加熱をしても働きを失わないと言える。このことから何故DNAは熱に強いのかと考えると、単純にそれだけ重要な物質だからではないかと思う。また熱に強くするためにタンパク質ではなく塩基などからできているのではないかと思う。何度くらいまで加熱して、また逆に冷やしても大丈夫なのかわからないが、この性質は急激な環境の変化にも対応でき、生きるために適した温度などに戻ったときにまた活動できるのではないかと考えた。

A:これは、面白い点に気付きましたね。確かに、一般的にDNAはタンパク質に比べて熱に強いものです。タンパク質の場合、前の講義でやったように編成すると元に戻らない場合が多いのですが、DNAは熱変性しても、ゆっくり温度を下げるともとの状態に戻る場合がある、というのが大きな違いです。