生物学通論 第12回講義

遺伝子組換え生物

第12回の講義では、主に遺伝子組換え植物を取り上げ、その現状と功罪について解説しました。


Q:以前DNA複製エラーによる突然変異と大腸菌のような大きな分裂速度をもつ細胞の場合DNAの複製の「校正機能」「塩基ミスマッチ修復機能」があるが、それでも変異率が非常に高くなり、大きな危険を伴うため、医療を除く緊急性の低くリスクを冒すべきでない分野において取扱いは慎重にすべきと考えた。特に食品では特に慎重であるべきというスタンスをとっていたが、今回の講義ではその立場を改めざるを得ない。食品の場合だと今回の講義で扱ったように遺伝子組み換えによる発がん性物質への変異が仮に見られたとしても、同じ食品内の成分によって毒性やアレルギー性が打ち消されたりするため、安全が必ずしも保障されていないが危険度が極端に高いわけではない。一方医療現場での使用の場合、吸収のプロセスを経ない場合もあり、分解・再構築された際に構造的に無害化する可能性も低くなり、直接人間の体内に導入される危険性が高い。そのため、以前の考えを棄却したいと考える。

A:おそらく、危険度の大きさを見積もるだけではなく、危険度とメリットのバランスを考える必要があるのではないでしょうか。食品と医療では、やはりメリットの重みがだいぶ異なるように思いますから。


Q:遺伝子組み換え食品については母が食に安全を求めることもあって、これまで「遺伝子組み換えでない」と表示されているものを選んできた。遺伝子レベルまで操作されているものを口にするということには抵抗があったからである。けれども今回の授業を聞いて、科学的に考えれば盲目的に危険であると騒ぐことは賢明なことではないと思った。摂取されたたんぱく質は胃や腸で分解されるとアミノ酸に分解されて小腸から吸収され、肝臓に運ばれる。その後再びたんぱく質に合成されて血液中に流され体の組織となる。これは以前学んだ、”牛肉を食べても牛の筋肉にはならない”ということを示している。また、DNA自体はすい臓の分解酵素で4つの塩基に分解されてしまうため、その遺伝子が組みかえられていたとしても吸収されるときにはばらばらの小単位になっており害は起こらない。ただし、たんぱく質については、分解酵素による分解が上手く行われないと狂牛病のような例が生まれないとも限らないといえる。毒素になるとはいわないまでも、人体に有害なものが生まれる可能性があるたんぱく質については慎重な研究と実験を行う必要があると思う。

A:上にも書きましたが、危険度だけで判断するのはそれこそ危険です。もし、「可能性」という観点からすると、狂牛病や原子力発電所の例のように常に「想定外」ということは起こりえます。危険がなくて大丈夫、ということはあり得ないと思います。危険が、得られるメリットより小さいから導入しよう、あるいはメリットに比べると危険が無視できないので導入をやめよう、という議論が必要だと思います。


Q:遺伝子組み換えをした作物が有害ではなく、遺伝子組み換えをすると害虫に食べられやすくなるために、それを防ぐために使う殺虫剤が人体に有害なケースがある。ここにおいて遺伝子組み換えをした作物は食べないと言われていしまえば、その意思を尊重せざるをえない。しかし、この議論を、若干方向はそれるかもしれないが、解決するための偉いことを一つ知っている。DASH村というものにTOKIOが言って農業をやるのを番組でやっていた。ここに「無農薬農薬」というものが出てきた。これは全て食べられる材料から作った農薬である(材料はよもぎ、とうがらし、コーヒー、酢、焼酎、にんにく、にら、茶がら、牛乳)。正式には農薬とは認められていない(酢の使用は考慮されているらしい)が、自己責任下においては十分に効果を発揮できる。このような農薬の開発を進めればそのように人体に有毒な殺虫剤を使用しなくてもよいのではないか。しかし、どのようにつくればよいかといった実験・研究手法に関しては何一つ思いつかないのが歯がゆい。

A:講義でも強調したと思うのですが、自然であるから安全、という論理には根拠がありません。自然食品にも多くの場合発がん物質が含まれているという話をしたと思います。自然だから危険度が0ということはありえません。自然だから安全、人工だから危険というステレオタイプな信仰を持つのは、理系の学生としては恥ずかしいと思います。


Q:私は今までに、遺伝子組み換え食品は組み替えてないものよりもむしろ安全だという主張をきいたことがあった。その主張によると、遺伝子組み換え食品は厳しい検査を受けるが、組み換えでない食品はすぐに市場にでまわるから、ということであった。安全性については、授業でもかなり扱ったが、今までに検査して出荷できないとことになった植物や、遺伝子組み換え植物が直接原因となったわけではないが、L−トリプトファンを遺伝子組み換えをした生物につくらせた製品によって健康被害を引き起こしたものもある。遺伝子組み替え植物は一度作ってしまうと、物理的拡散を完全に防ぐことはできない。遺伝子を組み替えることについては私は反対ではない。農薬を使うよりも毒性の低い植物が出来るはずだと思うからである。若干の不安は残るものの、技術確信はしていくべきだと思う。

A:遺伝子組換えと農薬使用という2つの物事の間で価値判断を行なっている点は評価できます。講義でも言いましたが、その価値判断の基準は個人のものであって、人は別の基準を持っているだろうと考えることは常に必要で、「私は」と限定している点もよいですね。あと、検査をしたから安全、とはいえないでしょうね。アレルギーテストの話をしましたが、検査をしても現段階で言えるのは、アレルギー性物質であるという積極的な証拠はない、という点までですから。


Q:遺伝子組み換え技術は消費者に様々な波紋を投げかけてるが、遺伝子組み換え技術が生物に直接的な影響を与えるような「毒性」は存在しないことが授業で理解出来ました。異種交配・同種交配は品種改良に不可欠な技術だという意識が根付いており、生物学的な危険性を考えるまでも無かったけれど、これらも遺伝子操作の一環であることを忘れては議論になりません。しかし対して科学では「遺伝子操作をすることによる不安」が除けないのは事実とのことでした。友人の一人が以前「遺伝子組み換えは導入されて歴史も浅いから、遺伝子組み換え作物が10年後50年後に遺伝子レベルに与える影響を、科学者は立証し切れないのではないか」と意見していましたが、本来あるべき科学とは、「想定されるありとあらゆる難点をも説明し切れてしまう・説明出来るように努力をする」学問であるべきだと私は考えます。これは感情論であり科学的な議論ではありませんが、福島原発の事故が衝撃的でありすぎた為に科学的根拠を失った情報が錯綜したのに対し、どんなにマスメディアが科学的な根拠を提示しても、人々はそれをもう信じきれなかったというのは、科学の信頼性がまだ充分高いところに達していないからではないかと考えました。

A:個人的には「想定されるありとあらゆる難点をも説明し切れてしまう」ということはありえないと考えています。過去の傾向から何かを推定する方法に、内挿法と外挿法があります。将来の出来事が過去の両極端の内側に入る場合は内挿法によって比較的精度のよい推定ができますが、過去に経験のない出来事を外挿法によって予測する場合には、まあ、外れると言ってよいのではないかと思います。福島原発の問題点は、絶対に安全ということなどない物事について「絶対安全である」という立場をとり続けた点にあると思います。


Q:遺伝子組み換え植物の安全性を考えたとき、遺伝子組み換え植物を食べることでアレルギー反応が起こるのではないか、という問題があった。だが、トウモロコシや大豆などは遺伝子組み換えでなくてもアレルギーを起こす人がいる。ここで遺伝子組み換えによってそのアレルギーを起きなくすることはできないだろうか、と考えた。もしできたとしたら、同じ遺伝子組み換えでも今までとはだいぶ違ったプラスのイメージで受け入れられるのではないか。ただアレルギー性をもつかどうかはアミノ酸の配列からは予測できないので、このような植物を作るのはとても難しいと思う。この科目は教職必修で生物にもあまり興味がなかったが、授業はとてもおもしろくて、生物や特に光合成に興味がわいた。またレポートは考え方がわかってきたくらいから、かける時間が短くなってしまったが、限られた知識から考えたり自分で仮説を立てたりする考え方が身についたと思うので良かった。

A:いくつかの食品のアレルギーを起こす物質(アレルゲン)はすでに同定されていますから、それを改変するのではなく無くしてしまうことは可能です。実際にそのような研究もおこなわれていると思います。