生物学通論 第3回講義

遺伝子とゲノム

第3回の講義では、生物の基本ともいえる自己複製と遺伝の物質的基盤である遺伝子、ゲノム、DNAについて解説しました。


Q:RNAからのタンパク質の合成に関してですが、RNAの中でタンパク質を合成する(アミノ酸の種類を指定する)部分は、メチオニンを指定するAUGをタンパク質合成の開始コドンとし、そこからタンパク質合成が始まるということでした。一方、RNAのコドンを解読していった実験では、塩基配列がUUUU…と続く人工RNAからフェニルアラニンのポリペプチドが合成されたことから、塩基配列UUUはフェニルアラニンを指定するコドンであると考えられる。塩基配列がACAC…と続く人工RNAからトレオニンとヒスチジンが交互に結合したポリペプチドが合成されたことから、ACAとCACは各々トレオニンまたはヒスチジンを指定するコドンであると考えられる。という手順で、人工RNAの塩基配列を変えていって解読していったということでした。もし、そうだとしたら、その解読実験ではAUGのタンパク質合成の開始コドンも無いのに何故タンパク質合成が行われたのだろうという疑問が生じた。
 その疑問を解消する理由として、生体内であるか試験管内であるかの違いというものを考えたが、そうであるとしたら、・生体内と試験管内の違いは何だろう・それではそもそも解読実験としての意味をなしていないのではないかという新たな疑問がわいてしまった。しかし、開始コドンがなければ、余計なタンパク質を合成してしまったり、開始位置がずれてしまい、合成されるべきタンパク質が合成されなかったりということが起こってしまうので、開始コドンというものは必要不可欠なものであるとは思う。

A:これは、よく考えずに聞いていると、聞き流してしまう部分について、きちんと意識を払って疑問を持ち、それについて考察を加えているという点で素晴らしいレポートです。開始コドンがないと翻訳(タンパク質合成)の効率は落ちるはずですが、それでもゼロにはならないということでしょう。その場合、効率が大幅に低下している試験管内での実験を信頼できるのか、という疑問は全くその通りです。ただ、この場合は、その後の実験によって生体内でのメカニズムを反映していることが確かめられたので、結果として問題なかったわけです。


Q:DNAはなぜ二重で螺旋なのだろうか。まずは二重であることについて。GはCと、AはTと結びつくことが分かっているのなら片方が分かればいいのではないだろうか。授業では減数分裂をしても情報を保たれるということを言っていたのでこれが答えだろうと思う。ではなぜ減数分裂をする必要があるのだろうか。減数分裂によって染色体の量は半分になる。こうすることで、他の個体の染色体(同じく減数分裂により半数になっている)と合体して、新たな組み合わせの遺伝子パターンをつくることができる。これにより、より多様な遺伝子パターンが存在できるようになり、種全体としてみれば生存に有利となるからである。次に螺旋であることについて考察すると、より小さい体積でより多くの遺伝情報を載せるためだと考えられる。DNAの長さが同じだった場合、はしご状よりも螺旋構造の方が体積は小さくなる。また、途中でからまったりねじれたりしないこと、転写を行う際にきちんと一本鎖になれることなどがメリットとして挙げられる。調べてみると、熱力学的に安定だからというものが見つかったが深く理解することはできなかった。
 レポートを改善させるために先生のフィードバックが必要だと思った。

A:二重であることの考察はその通りでしょうね。また、螺旋であることに関して「熱力学的に安定だから」というのは、単に「物理的にはその形を取りやすい」と言っているのとほぼ等価ですから、「なぜその方が生存に有利なのか」という疑問の答えには、いずれにせよなりません。とはいえ、なぜ螺旋か、という点に関しては螺旋でないDNAがないことには分かりませんね。
 あと、最後の点はその通りです。すみません。ようやくフィードバックに取り掛かりました。


Q:タンパク質はアミノ酸が結合したもので、アミノ酸は3つの塩基によって指定される。つまり開始コドンから終始コドンまで3つで1組の塩基がアミノ酸を指定しているということであった。ここでアミノ酸は20種類しかないが、4種類の塩基を3個並べる方法は4^3で64通りである。そのため異なる塩基の組み合わせでも同一のアミノ酸を指定している場合があるということまでは授業で説明があった。ここで疑問に思ったことは卵が先かニワトリが先かという問題に似ており、アミノ酸が先か塩基が先かというものである。つまりアミノ酸が20種類あったから4種類の塩基で20種類を表現するために3つずつ区切ることにしたのか、4種類の塩基を3つずつ区切っていくうちにアミノ酸の数が調整されて20種類に落ち着いたのかということである。どちらにしろアミノ酸の数は最初から20個と決められていなくてもいいのではないかと考えた。
 前回のレポートでタンパク質を構成するアミノ酸配列は回転まで考慮すると非常におおくの組み合わせが考えられるので淘汰の結果として特定のタンパク質を選択的に生成することができるのではないかというように考えた。ここでアミノ酸も同様にタンパク質の立体的な構造を構成するのにふさわしい構造をもったものだけが淘汰されて20種類になったと考えることはできないかと考えた。アミノ酸はほとんどの動植物で共通と説明された。ロイシンはCUUともCUCとも表すことができるが、例えばロイシンというアミノ酸を指定する塩基を見たときにヒトはCUUが多く、植物はUCUが多いということがあったとすると、もともとは似ていたが異なるアミノ酸であったものが淘汰されて1つのアミノ酸になったと考えることはできないだろうか。もともとアミノ酸は最大64通りあったものが、少しずつ淘汰されて20種類にまで減少したという考え方ということになる。これは例えば現在はUUAというロイシンを指定するコドンが、生体部の残っている化石(タールや冷凍保存など)のタンパク質から逆算した時にUUAでフェニルアラニンに近い性質を示すが構造などから別のアミノ酸と判断されるものを指定したといったようなことがあった時、アミノ酸の数が20種類以上あったことを示唆すると考えられる。また、今後動植物が進化によって不要なタンパク質を製造しなくなり、タンパク質の必要性が無くなったことによってアミノ酸の数自体が減少することなどがあれば、アミノ酸の数が変化する証拠にもなるだろうと思う。基礎知識がないので突拍子もないことを言っているかもしれないという不安はあるが、今回の感想は以上にしたい。

A:これも、素晴らしいレポートだと思います。ただ講義を聴いていると見過ごしがちな点に関して、きちんと意識を払って問題点を提起しています。アミノ酸の種類数が減少したという仮説は魅力的ですが、もしそうだとすると、一部の生物にその痕跡が残っていてもよい気がしますね。今のところそのような報告はないようです。


Q:授業内で触れた生物の定義の中に「代謝をする」という項目があった。代謝についてはあまりよく知らなかったので、まず太田ほか(1995)を用いて、代謝について調べた。次の段落はその概要である。
 「生体が摂取した栄養素は種々の化学反応を経てATP(アデノシン三リン酸)という分子を合成する。これとよく似た分子にADP(アデノシン二リン酸)とAMP(アデノシン一リン酸)がある。ATP,ADP,AMPはアデノシン(ヌクレオシド)にそれぞれ3個、2個、1個のリン酸が結合してできた分子である。ATPが加水分解され末端のリン酸が取れるとADPになり、もう1つリン酸が取れるとAMPになる。ATPが安定に存在していられる割合は低く、細胞内でのATPの割合が大きければ加水分解される傾向がある。この加水分解時に発生するエネルギーが生命活動の源となる。」
 以上のことからATPは栄養素から合成されることが分かるので、これは生物に必須の活動であり、代謝を生物の定義の1つとすることは合理的であるといえる。しかし、ここで1つの疑問が生じる。それは「どうして栄養素から取り出したエネルギーをわざわざATPに合成して、さらにそれを加水分解して再びエネルギーを得るのか?」ということである。これには2つの理由が考えられる。1つ目は、栄養素から得られるエネルギーには様々なものがあり、そのままでは用途が限られてしまうが、それをATPという共通の物質に集約することで、エネルギーを必要とする様々な用途に使うことができ、効率が良くなるからであると思われる。2つ目は、生物は栄養素を常時摂取しているわけではないので、エネルギーを貯蔵するために、あえてATPを合成し、あとでエネルギーが必要になった時に加水分解して使うからであると思われる。ただし、エネルギー→ATP→エネルギーという手順を踏んでいる以上、若干のエネルギーの損失はあると思われるので、このシステムではエネルギーを完全に有効活用できていないのではないかと思う。しかし、エネルギーの貯蔵などを考えるとこれは止むを得ないことなのかもしれない。
(参考文献)太田次郎・石原勝敏・黒岩澄雄・清水碩・高橋景一・三浦謹一郎編(1995)「基礎生物学講座2 生体の物質的成り立ちと代謝」朝倉書店 207p.

A:きちんと考えていますね。代謝には、物質代謝とエネルギー代謝があって、ここでふれられているのはエネルギー代謝です。ここで考えられた2つの理由のうち、前者はほぼ完全な回答だと思います。後者は、ATPの実際の存在量を調べてみると、実はほとんど貯蔵には役立っていないことがわかります。このあたりについては今後の講義の中で触れることになります。


Q:カシュービンクは酸化還元電位によって初期の地球と火星が生命誕生としての環境としてどちらが快適であったかを評価しました。それによると火星の方が生命が誕生しやすい環境であったようです。地球上の生物のほとんどは同じコドン表をつかっているので生命は単一の祖先から進化したのでしょうが、それが火星起源か地球起源かは断言できません。また生命は地球が誕生してから比較的すぐ出現したので、単一共通祖先が誕生した後の地球の歴史のなかで生命が独立に出現した可能性も考えられなくはありません。生命の単一起源の考えは帰納的論証からきているので、くずれる可能性もなくはないでしょう。

A:これは、評論としてはよいのですが、レポートとしてはものたりません。まず、何を主張しようとしているのかをはっきりさせる必要があります。「考えられなくはありません」「くずれる可能性もなくはない」というのは事実としても、それだけでは、「何も分かっていない」というのと同じことになってしまいます。現在得ている情報を自分の思考で結びつけて新しい結論を導く、という論理の流れがきちんと分かるように書くと、よいレポートになります。