生物学通論 第15回講義
生物学と社会
第15回の講義では、生物学と社会のかかわりについて、医薬品やサプリメント、遺伝子組換作物などを取り上げて解説しました。
Q:講義で薬が効くか調べるにはどうすればよいかという問題があった。たいていの病気には自然治癒の可能性があり、人によっての効果に差があるのかもしれないなど様々な問題があるが、薬のテストには二重盲検法という方法が用いられているらしい。病は気からという話があるように、薬に効能があると信じていれば全く薬に効能がなくても効いてしまうということがあるようだ。以前講義でコラーゲンを摂取することは肌にいいのかという話題があった。コラーゲン自体を摂取しても体内でコラーゲンがつくられる訳ではなく効果があるかわからないという話であったと思う。しかし、上記の例のようにコラーゲンを摂取していれば、コラーゲンが作られ肌荒れが良くなると信じていれば実際に効果が出ることも考えられるのではないか?使用者は結果として効果が出れば問題ないわけであって(この場合肌荒れ改善)、この製品自体に効果がなくても問題なくなってしまう。極論を言えば適当なビタミン剤をいれて効果をうたっても効果が出れば問題ないわけである。薬自体に効能があるのが当然ベストだが、その検証は難しいようだ。この例からわかるように製品がうたっている効果が全て正しいとは限らない。実験では同一条件下における対照実験を行うことが大切である。しかし、生き物は一つとして同じものがいないといってもいい。それが薬の効果の検証の妨げになっているともいえる。実際、生物学通論実験の結果も班によってかなりまちまちな結果が出たものもあった。どれだけ均一な材料を揃えられるかということが生物学の実験では重要である。また、まちまちの材料から得られる結果をどのように考察し処理するかが生物学の実験では重要になるのだろう。自分が実験を行う際や、生徒に指導する際に、結果がすでに知られている実験で異なった結果が出たらやり直すのではなく次に活かすために原因を考察することが大切なのだと今回の講義を聞いて思った。
A:今回の僕の講義の意図は十分に伝わったようで、安心しました。
Q:日本の製品にはかならず(遺伝子組み換えでない)と表示していますが、多くの日本人が避ける通り、遺伝子組み換えされた植物は、人間にとって、また自然界にとって、そこまで悪影響を及ぼすものなのでしょうか?安全であることを証明することは出来ません。安全であると推定することは出来ます。危険であることを証明することは簡単で、マウスに食べさせて、マウスが死ねば危険であることと致死量が分かります。危険である証拠が得られなければ、安全であると推定されます。従いまして「絶対に安心と言う確たるデータ」が出てくることは絶対にありません。現在市販されている食品の中で絶対に安心という確たるデータが示されて販売されているものはありません。スーパーで売っている葱も、百年以上に渡って「危険であることを示すデータが示されていない」事から「安全であると推定」されてみんな安心して食べているのです。要はその「安全であるとの推定」の信頼性の問題ではないかと結論付けたいと思います。
A:今回は、あまり踏み込んだ議論はしませんでしたが、「安全」というのは相対的なものですから、何かと比べないと意味がありません。新しい食品の安全性の場合は、既存の食品と比較してどうなのか、という議論になるのでしょう。また、組換えの危険性と、農薬使用を減らせることによる危険性の低下を比較して議論することも必要になるかもしれません。そのあたりは、生物学だけではなく、社会科学も含めた幅広い議論が必要になるポイントでしょう。
Q:社会の認識として「実験や科学=正しい」という認識が存在するが、私たちがそれを利用するためには再現性や対照実験が不可欠であり、社会にはあいまいな言葉によってそれらが隠されているものが多く存在している。少なくとも生物と社会という内容で、社会に存在するあいまいな情報に科学的な判断を下さないといけないというものであった。実際実験に誤差がつきものだということは科学をかじったことのある人なら全員が身をもって体験しているだろう。生物学通論という授業は私のように教員免許取得のための基礎科目という目的で受講している学生が大半だろう。そのため生物学は専門でもなんでもないが、毎回の講義を通じて得られる限られた情報をもとに考察を行うというこの授業形態は、疑問を持つ・考えるということの練習になったのではないかと思う。基礎知識ですらあいまいなこの授業だからこそ、変な先入観を持たずに多くのことを考えるきっかけを得られたのかもしれない。物事の考え方は人によって異なるだろうが、疑問を持ち考えるためにはそのような回路を身につけていないとその人にとっての正しい判断さえもできずに社会に存在するあいまいな情報に流されてしまうはずである。もし教壇に立つことがあれば生徒に疑問を持たせる方法のひとつとしてこの授業の形態が利用することができるのではないかと感じた。
A:確かに、この講義は専門の知識を深めるというよりは、生物学の考え方をくみ取ってもらえることを目標にしました。自分の頭で考えて判断する、という癖をつけるきっかけになったとしたら目的は達成されたのでしょう。
Q:人間がよく食する野菜や果物に発がん性物質が含まれるという話を聞きとても興味深かった。そこで野菜や果物が持つ発がん性物質は植物の体内でどのような役割を果たしているのか(何故発がん性物質が含まれているのか)考えてみた。思いついたのは
・身を守る毒素として貯蔵している
・対外からとりこんでしまった有害物質を拡散しないよう一定の場所に貯蔵している
くらいであるが、後者の考えはあまり適していない気がする。貯蔵せずに排出すればよいわけであるし、排出できないというのも考えにくい。おそらく、自らを食する天敵から身を守るために毒として発がん性物質を含んでいると考えた方が自然ではないか。しかし、発がんはすぐに起こるわけでもないしその植物を食べた事でがんになったという事が認識されにくいので、食べさせないように学習させるという意味ではあまり効果が無いようにも思える。しかしたとえばじゃがいもやリンゴも本当は毒物の味がしていて、人間が感知出来ていないだけなのかもしれない(動物に比べ感知能力がにぶってしまった)。もしくはもとはもっと多く含まれていたが、農薬などで守るようにした事で植物が自分の身を守る能力を退化させてしまったのかもしれない。いずれにせよ「発がん性物質」と一口に言うと人口の化学物質という先入観があるが実際にはどこにでもあって当然のもので、ある程度人間もそれに対抗する免疫を持っているだろうし、発がん性物質を持っているものが必ずしも人間に害であるとは限らないことを今回の授業で認識させられた。
A:一般的には、品種改良された園芸作物では毒性物質の濃度は低くなっているということです。おそらく、「えぐみ」「しぶみ」といった味や、いわゆる「あく」と呼ばれるものを少なくしようとする品種改良の結果なのでしょう。「健康に良くないものは悪い味に感じる」人間の方が、よく感じる人間より長生きするでしょうから、進化の過程で前者のような人間が生き残ったのでしょう。
Q:新薬の開発に際してその効果を確かめるにはその薬を飲んだか飲んではいないかという単純な比較ではだめであるとならった。自然治癒やその日の体調や病状などのさまざまな問題も考慮しなければならない。ではどのような実験をすれば少しでも正確な結果がでるのだろうか。
生物学の実験で大事なことは測定誤差ではなくその材料である。極端な話ある一人の人物が唯一の材料となるのが一番材料による違いはなくなるのではないだろうか。ただそれは理想であり実現はかなり困難だ。その人が同じ病気にかかりそれを治癒するのに薬を飲んだ場合と飲まない場合をわけなければならないからだ。それならばその人に近い家族や親類を比較対象にするのがいいのだろうか。もちろんこのように対象をしぼることは実験にかかる時間が莫大になってしまうという欠点はどうしようもない。薬を作るのに正確性が大事だと言っても実際にはいくら正確性を求めても欠点が大きくさすがにこんな手法はとられないのだろう。
A:では、あとどんな方法が考えられるのか、という点まで踏み込めるとよいレポートになります。
Q:今回の授業はいつもと趣向が異なり、生物学と社会との関わりについてだった。実験についての話もあったので、今回は中高で理科の実験をするときのことについて考えたい。
中高の実験はグループ実験が主だと思うので、実験終了後に各班の結果をクラスの全員で確認することによって、再現性をみたり、平均値を採用したりすることは可能だと思われる。ただ、授業時間が限られているので、異常値が出たときに、なぜそのような値が出たのかを検証する時間はあまりないと思われるし、その値を出した班は実験の様子を覚えているかもしれないが、その他の班は分からないので、理由を考えるのが困難ではないかと思われる。これには、教師が各班の実験の様子にあらかじめ目を配っておいて、理由を考えるときにそのヒントを与えるというのが1つの方法だが、それにも限界があると思う。
また、生物学の実験においては、材料の差による結果の差が大きいということであった。大学での研究などでは均一な材料を揃えることも可能かもしれないが、中高の実験でそれを行うのは難しいと思われる。もちろんできるだけ均一な材料を揃えるように教師が努力するのが望ましいが、それができない場合は、材料の違いを生徒にあらかじめ認識させたうえで実験を行うことも重要だと思われる。このように、中高で実験をやるのは容易ではないが、生徒の思考力を養うきっかけとしても実験は重要だと思うので、以上のことを教師がしっかりと心に留めておく必要があると思う。今回は考察というよりも自分の意見に近くなってしまったかもしれないが、これで終わりにしたいと思う。
A:まあ、自分の意見であっても、考えた上での意見ですからよいのではないでしょうか。
Q:今回の授業で生物学と社会は関わりがあるんだなと気付かされました。今回の授業で特に共感しつつも面白かった事項は、薬が効くかどうかや名医の評判は自然と維持されるという話です。自分の経験を踏まえても、病気になった時治すのは薬ではなく気持ちの方が大きいと思うので、まさに病は気からだと思います。その他にも、今回の授業は自分たちの生活に関わっている事項が多く、とても興味がわき面白い授業でした。結構奥が深く、生物を勉強していない私にとっては難しい内容の授業が多かったんですけれど、最後はとても面白かったです。前期間ありがとうございました。
A:最後「は」面白かった、と言われると、どうも残りの14回は面白くなかったのではと勘繰りたくなりますが・・・
Q:薬は本当に効くのかということでしたが、私は「病は気から」だと思っています。実際、私もお腹や頭が痛い時は鎮痛剤を飲めば一発で治るし、お医者さんにも「気が休まるから」といって薬を処方された時もありました。あと、自分がなりたい体型ののポスターを毎日見て意識しているとその体型に近づけるとか。正直、なんでも気で解決できてしまうんではないでしょうか。とにかく、心と体は強い関係があるのだなと思いました。それ以上に人間の体というものは不思議なものです。以前にもコラーゲンの話をしていましたが、コラーゲンになると思って美容ドリンクを飲みたいと思います。
A:はあ。まあ生き方としては良いのではないかと思いますが、論理的な考え方も忘れないでくださいね。
Q:今回の講義で遺伝子組み換えについて扱ったが、世間では遺伝子組み換えというものが何か悪いもののように思われているような気がしてならない。調べてみると、何か問題が起こらないようにちゃんと基準を設けているし、現時点ではそこまで危険性は発見されていないらしい。ではなぜ世間一般では遺伝子組み換えが問題視されているように見えるのか。それはおそらく情報というものに起因しているのではないだろうか。スーパーなどで買い物をする主婦ははたして「遺伝子組み換えとはどのようなものか」という問いに答えられるだろうか。私の知る限りではほとんどが理解していないように思える(あくまで個人的な意見で何かの情報に基づくものではない)。それに加えて、人は科学の力で作り出した食物よりも自然に生まれた食物のほうが好んで食べる傾向にあるのではないか。いくら安全、安心と謳っても人はそのようなものに疑いの目を向けてしまうのだ。以上のことなどから、今後遺伝子組み換え食品を人々に浸透させるためには多くの人にわかりやすい情報を提示する方法を考えることが重要である。
A:情報といっても、どのような情報でしょうね?「なんだか気味が悪い」という人に対して、遺伝子組み換えの原理を説明してもしょうがない気がしますし。消費者が受け入れるためには、「毒ではない」というだけではなくて、何らかの積極的なメリットが必要である気もします。
Q:ライナス・ポーリングがビタミンンCの多量摂取で癌が治り長生きもできると言い出したことを授業で触れた。ビタミンCで本当に癌が治ることを断言するには以下の項目を満たしていないとだめだと思う。1.なぜビタミンCが癌に効くのかその仕組みを説明できること 2.その仕組みが実際に体内で起こっていること 3.野菜や果物を多く食べる人の寿命が一般に長いならば、その原因物質をビタミンCだと断定すること。1.に関して言うと、ビタミンCを投与して癌細胞が死滅したということが分かっているだけで、なぜビタミンCが癌細胞を殺すことができるかまでは説明できていない。これではビタミンCが直接作用したかそれとも間接的に何かを引き起こしたのかどちらか分からない。さらに癌細胞を殺す反応に目星をつけたとしてもそれが本当に体内で起こっているかが分からないと意味がない。これは2.にあたる。3.では、野菜や果物を多く食べる人が長生きする傾向があるのは確かだろうが、それらにはたくさんの成分が入っている。授業でやったように、リンゴやレタスには毒があり、それが食べた人の耐性を高めている可能性も否定できない。たくさんの構成成分からビタミンCの影響のみを分離しなければ、結論を下すには早いだろう。このことを考えると、ビタミンCを食物からとるのではなくサプリメントとして単独に摂取するのは体に良いのかどうか疑問である。
A:講義の中で触れたように、ビタミンCの経口摂取により、がんに対して何らかの効果を期待するのは難しそうです。野菜や果物ではさらに無理でしょうね。一方で、野菜や果物をたくさん取ることには、ビタミンCは別としても意味があるのは確かです。
Q:今回の授業を通じて生物学と社会、特に科学を勉強する学生の態度、すなわち「科学徒の姿勢」に関して色んな考えができた。生物学は現代社会で多くの影響を及ぼしていて、特に人間の生きることや自然と近い学問としてその寄与度が高い。生物学の発展は人類の様々なところを大きく変えた。寿命が長くなったし、ひもじさが部分的に解決されたし生命の属性を悟って、今はもう新しい生命を創造する神の領域の近くまで近寄っている。しかし生物学はそのところによって良い影響だけ及ぼしたことではない。優生理論はナチがユダヤ人を虐殺する名目になったし生化学武器は多くの人々を苦しくした。狂牛病みたいに人間の過ちで起きた場合もある。生物学はこのように両面性を持っている。しかし確実なことは、生物学は人類といちばん密接な学問で世の中のすべての学問の中で根源的なことを研究する学問というのだ。
実は生物学だけでなく科学という学問自体は人類にいていちばん必要な学問だ。自分はどう生まれてどう成長するか、世の中はどう発展して行くかに対する答が全て科学にある。好奇心というとても根本的な人類の質問は人類の誕生以来、絶えずあって来たしその質問は人類を豊かにさせた。こういう風に人類のことを代弁して人類のことを創造して行く科学。それなら科学を勉強する科学徒の正しい姿勢は何だろう? 実は好奇心というのは誰も持っているのだ。ただ科学徒はそれをもっと詳しく問って研究する人である。どれくらい分かってどのくらい強い好奇心を持っているか、これは単純に見えるかも知れないが、科学徒は科学的な事実をどれほどよく分かっているのか、すなわち利口だということ以外に‘その目標が明らかだ’という特徴を持っている。何が知りたくてどう糾明するか、得られた結果をどう利用することなのかを判断する能力は科学徒だけ持っている。その能力は科学的な真理を明かすという使命感と人類に対する奉仕精神につながらなければならない。
この能力の土台には倫理がなければならない。同じ生物学者と言っても倫理によって医薬品を開発する生物学者になるか生化学武器を開発する生物学者になるか、そして同じ化学者と言っても肥料を作る化学者になるか枯葉剤を開発する化学者になるかが決まる。科学を勉強して研究する時は倫理との調和が必須であり、そこから真正な科学徒の姿を取り揃えることができるだろう。しかしなによりも、いつでもどこでも絶えず好奇心を持ちながらすべての事をありのまま受け取れないでもう一度考えて見る姿勢、哲学を超えて自然の秩序と原理に対して探求し、より新しくて優れた考えを創造する創意精神を失わないこと。私はそれが科学徒の姿勢と思う。
A:極めて正論だと思います。レポートとしては、その正論の中にとどまらない、自分ならではの考え方も少しほしいですね。独創性も科学の重要なポイントの一つですから。