生物学通論 第11回講義

DNAの複製

第11回の講義では、DNAの複製について、遺伝と進化などの話も含めながら解説しました。


Q:講義の冒頭でルイセンコ学説の話題が取り上げられていた。ルイセンコ学説とは獲得形質は遺伝するという学説である。現在は、ルイセンコ学説は否定され、ダーウィンの進化論、つまり適者生存による淘汰作用によりより環境に適応した個体が生き残り、生物はより環境に適応した方向に変わる(進化)が起こったとされている。例えば、キリンの首が長いのは、高いところの葉を食べようとして首が長くなったわけではなく、初めから首がやや長いものとやや短いものが存在し、やや長いものの方が生き残る確立が高かったため、世代を重ねるごとに首が長いものの割合が増えていくのである。もし、獲得形質は遺伝するならば努力すれば子供の世代に優秀な子が生まれるということになり努力が目に見えて報われることになる。実際のところ獲得形質は遺伝されないらしいが、本当に獲得形質は遺伝しないのだろうか?では、どのように鳥類に進化したのだろうか?鳥類はたまたま少し羽の生えたトカゲが生き残り、その子孫に突然変異が生じて羽がさらに大きくなり…ということが繰り返され最終的に飛べるようになったのだろうか?このプロセスを経るとするならば羽が生えた個体が自然淘汰されていないことから、羽の生えていない個体より有利でなくてはならないことになる。実際のところ飛べない羽が有利とはあまり考えられない。獲得形質は遺伝しないとされているが、飛ぼうと努力したから飛べるようになったという方がしっくりくる気がする。獲得形質が遺伝しないとされている以上、偶然の突然変異によって有利な形質を持ったものが繁栄し進化が進んだとされるが、僕にはその突然変異が完全に偶然によるものだとは思えない。つまり、その突然変異は環境変化など外的な要因も関与しており、有利な形質を持ったものが生まれたのは完全な偶然ではなく必然だったのではないだろうか?ルイセンコ学説に関連して思いだしたのだが、最近、出生前診断がよく話題に取り上げられる。出生前診断とは子供が胎児の異常を妊娠中に診断するものである。倫理的にどうなのかということが論点にあがるが、どのような症状から異常と判断されるのだろうか?例えば、日本人男性の20人に1人が色盲といわれている。色盲は遺伝的異常とされているがこれほどの割合をもったものが異常といっていいのだろうか?たまたま色盲の人の割合のほうが低かっただけではないだろうか?自分の子供には健常児として生まれてきて欲しいことは共感を持つことはできるが、倫理的な問題もさることながら、遺伝的異常のレベルを明確化する必要があると思う。

A:現時点でのある生物の形質が、過去においても現時点での目的に使われていたとは限りません。最初の羽毛は保温のためだったかもしれませんし、初期の羽は羽ばたけずに滑空しかできなかったかもしれません。また、地球上の環境は均一ではありません。別々の環境に適応して進化した生物は、それぞれ別々の形質を持つでしょうから、ある形質を持つと一つの環境で有利だからと言って、すべての生物がその形質を持つようになるわけではありません。このあたり、生物の進化についてあまり話していませんでしたね。後半の話については、「遺伝的異常のレベルを明確化」しても、そのレベルの妥当性については、結局は倫理的な問題になるような気がします。


Q:DNA→RNA→タンパク質という流れでタンパク質が合成されていくということであったが、なぜRNAを挿むのだろうか、塩基配列からアミノ酸を選択しタンパク質を合成していくならDNAから直接タンパク質を合成しても良いのではないかと思いつき、それについて考えてみた。RNAを挿む理由としては、DNAは細胞の核内にあるが、タンパク質の合成は細胞質のリボソームで行われるという場所の関係だろうと考えた。例えばもしDNAから直接タンパク質を合成するとした場合、
(1)DNAが核内から細胞質に出てきてそこでタンパク質を合成する。
(2)核内でタンパク質を合成する。
の二通りが考えられる。(1)の場合は、大切な遺伝情報を持ったDNAをせっかく核内で保護しているのに、核の外に出してしまってはその意味が無く、DNAを危険にさらしてしまうことになり、遺伝などの都合上あまり良くないので考えにくいと思った。(2)の場合は(1)の場合のようなDNAを危険にさらすという点は回避できるが、核内でタンパク質を合成してしまった場合、タンパク質は分子が大きいため核膜孔を通ることができないだろうと考えた。そのため、塩基配列の情報を持ったまま核膜孔を通ることができるRNAを用いるのだろうと考えた。理由はこれだけではないだろうが、このようなことがタンパク質合成の際にRNAを挿む理由になっているだろうと考えた。しかしRNAを挿むことにより、確率は低いだろうが、転写ミスは増えるだろうとは思った。

A:論理的に考えていることがうかがえます。核膜孔の通りやすさは、大きさだけでは決まりませんので、そのあたりひとひねり欲しい気もしますが、小レポートとしては、まあこれで十分でしょう。


Q:授業で優生思想について触れた。自分はこの思想を漠然と危険だと思った。具体的には何故危険だと感じたのかについて考えたいと思う。まずはよく言われていることだが、親が我が子の健康を願うのは優生思想だろうか?また、生まれてくる子どもが健康であることを願うのは優生思想だろうか?「障害を嫌う」のと「障害者を嫌う」のとは厳密には別のものだ。「病気を嫌う」のと「病人を嫌う」の違いと同じである。本来なら先ほどの問いの答えに優生思想ではない」と言いたいのだが、この建て分けが出来る人は多くない。障害は「現象」であり、障害者は「それを体現している人」である。障害を恐れ嫌う余りに、これを混同し、障害者をも恐れ嫌うところに優生思想の落とし穴がある。これを混同してしまう事でいじめが発生する事がある。能力が劣っていたり、何か出来ない事があるだけでいじめてしまう。好考えると人間は誰でも優生思想を持っているといえるのではないか。自分を他人より優れているとしたいのは、自己肯定観を持つ為だと考えられる。自己肯定観を持つ事は悪い事ではないが、その持ち方が良くないのである。他人を尊重する事を忘れてはならない。自分は将来先生になるつもりなのでこのことについて考えられたのはとても良かった。いじめに関係してくる事が、自分が危険を感じた原因だと思う。園池先生も自分のような学生を意識してこのような話をしてくれたのだと思う。しかし正直なところ、生産性を追い求める社会がこの思想を生み出した原因だと思うので、教育だけで解決される問題ではないと感じた。なので世の中を変えるためには自分ひとりの力では無理だと思った。難しい問題だ。

A:教育だけで解決する問題ではないとは思いますし、倫理的な側面は、人によって考え方も違うと思います。しかし、優生思想の中の、科学として間違っている部分については、倫理とは別に、科学を学ぶものとしてきちんと理解しておく必要があると思います。


Q:今回の授業で面白かったのは、DNAの鎖が3'から5'方向しかできないためにラギング鎖をつくり、リーディング鎖よりも効率の悪いDNAの複製方法をとっていることであった。効率を考えると5'から3'方向にも鎖を成長させられるほうがよさそうだがなぜ3'から5'方向にしか鎖を成長させられないのだろうか?
 もし3'から5'に鎖を成長させることが可能であれば成長方向の混乱も起こると考えられる。これが制御しきれないから3'から5'に成長させる酵素が存在できないのではないだろうか。両方の方向に成長できるということは成長の方向性が定まらないということであり、真核生物のDNAが線状であるということを考えると端っこが常に変化してしまう可能性があるというリスクを持つことになる。ラギング鎖の特性を考えると鎖の成長方向が定まらないということはRNAプライマーを適度に配列できないという欠点が考えられる。それどころかDNAをうまく合成することもできなくなる可能性がある。方向性が定まらないのでスムーズに合成対象を移動することもできなくなるかもしれないということである。また、DNAの末端は最終的に複製されにくいのではないかと思った。末端なので外部からの影響を受けるのではないかと考えられるし、ラギング鎖の合成方法は最後に合成される末端とは相性が悪いのではないかと思った。最も効率よくDNAの鎖を合成させるのであれば、ラギング鎖として合成されていた部分をリーディング鎖のように5'から3'方向に合成させ、かつ5'と3'で完全に酵素を分別できるような構造を作ることが良いと思われる。リーディング鎖として合成させると末端の部分まで完全に合成できるし、ラギング鎖のように結合するというプロセスも必要なくなる。そもそもDNAの合成にRNAプライマーが必要であるなら、もとのDNAの末端からRNAプライマーまでのDNAは合成されないのではないかと思った。ラギング鎖を合成するDNA複製を繰り返すと少しずつ複製される量が減っていって何も複製されなくなってしまうことになってしまうのではないかと思った。

A:DNAの末端の複製に関しては「少しずつ複製される量が減っていって何も複製されなくなってしまうこと」を避けるために、末端を伸ばすための酵素が働いています。それが、生き物の寿命に関係しているという説もあって、なかなか複雑なのですが、今回はその話ははしょってしまいました。


Q:授業中ラギング鎖の不連続の話があった。リーディング鎖が連続的に複製されていくのに対し、ラギング鎖ではDNA2本鎖のほどけた部分から徐々に継ぎ足していくというものである。まずこれの証明方法に疑問を持ったが資料を用いて調べたところ、トリチウムで標識したチミジンを用いるという事で納得できた。しかし、ラギング鎖の形成においてどのくらいの長さまで2本鎖がほどければ複製が始まるのかが新たな疑問として浮かんだ。おそらく、開始コドンが出てくるたびに複製が行われ始め、すでに複製された所まで来ると複製が中止されるという流れのサイクルが繰り返されるのであろうが、もし開始コドンが少ない場合長さが長くなり連続コドンとの見分けがつかないのではという疑問もある。
参考文献:
・DNAサイエンス David A. Micklos, Greg A. Fleyer 著 清水信義 他 監訳
・分子遺伝学入門-微生物を中心に- 東江昭夫著

A:ラギング鎖の方で、不連続に合成されるDNAが断片として検出されたものを発見者の名前をとって岡崎フラグメントと言います。これの長さが何により決まっているのかは、僕もよく知りませんが、原核生物の方がだいぶ長いようですね。生き物によって異なるようです。


Q:今回の授業でDNAの合成にはRNAプライマーが必要なことが分かった。ラギング鎖の不連続複製の場合は合成されてきたDNAがRNAプライマーに接近したときに、RNAを分解して、伸びてきたDNAをさらに伸ばして結合させれば問題なく連結できると思われる。しかし、DNAの末端のRNAプライマーは、分解することはできたとしても、伸びてくるDNAが存在しないので、その箇所にDNAを合成することはできないのではないかと疑問に思った。多くの原核生物が持つ環状二本鎖DNAなら、ラギング鎖の不連続複製と同様にして結合できる。一方、太田ほか(1995)によると、真核生物が持つ直鎖状二本鎖DNAの場合、末端にDNAを合成する方法が4通り知られている。(方法の説明を読んだが、あまり理解できなかった。)ここで、以上のことだけ考えると、原核生物の環状DNAの方が複雑な連結方式でないから良さそうなのに、なぜ生物は直鎖状DNAの方に進化したのだろうかと思った。このことについて、ヒトを例として考えてみる。ヒトの場合、長さ約2mのDNAが46本に分かれている。分かれて保存されるのなら、環状であるよりも最初から直鎖状であった方が分ける手間が少なく効率がよい。よって、直鎖状DNAの方に進化したのだと考えられる。大腸菌とヒトとではDNAの長さが単純計算で1000倍異なり、それだけ情報量も異なると思われるので、その量に適した保存形態をとっていると思われる。 (参考文献)太田次郎・石原勝敏・黒岩澄雄・清水碩・高橋景一・三浦謹一郎編(1995)「基礎生物学講座7 遺伝のしくみ」朝倉書店 162p.

A:面白いですね。原核生物が持っているプラスミドなどは、さらに小さいDNA断片ですが、これはやはり環状です。ここで提案されている理由に合いますね。


Q:今週の授業で、第2,3週の授業であいまいなままだった点も、解消することができました。なぜ遺伝にタンパク質ではなくDNAを使うのかなど、よく理解しないまま今週に至っていましたが、自己複製という意味ではDNAの二重構造が実に見事な仕組みだなと思いました。しかし、遺伝が不完全な形で行われてしまうこともあるのでは?と思ったので考察したいと思います。原因として第一に酵素の阻害が考えられます。拮抗阻害をもたらすものとしてはリン酸塩が考えられます。また、五炭糖の3'のOHに似た構造をもったもの(フェノールなど?)も考えられます。非拮抗阻害をもたらすものでは、重金属イオンなどが活性部位の構造を変化させると思われます。第二に生成されたDNAが紫外線などで破壊されてしまうことが考えられます。第三には、DNAの塩基の部分に外部から余計なものが付け足されてしまう、または塩基が取り除かれてしまうという理由が挙げられます。調べてみると、発がん性物質がDNAの4種の塩基と結合してその部分の遺伝情報を狂わせるということがわかりました。第四に、DNAがうまくらせん構造にならないということも考えられます。これはRNAプライマーが分解されるときに起こりうることだと思います(可能性は極めて低いと思いますが)。今週は、先生も言われた通り普段に比べて専門性が高く感じました。理解するのに必死になっていたためか、レポートも書きにくく感じました。

A:すみません。ちょっと講義が消化不良だったかもしれませんね。それにしては、よく考察していると思います。