生化学I 第7回講義

化学反応と濃度

第7回の講義では、物質の濃度が自由エネルギーに与える影響について補足したのち、濃度差に基づく拡散と、遠距離での物質移動の方法としては拡散ではなく体積流が必要となる実例について解説しました。また、最後に酸化還元について簡単に触れました。以下に、5つレポートをピックアップして、コメントをつけておきます。


Q:今回の授業で生物、特に植物にとって、酸化的な物質から還元的な物質を合成する際には還元剤となるNADHやNADPHが大切だと理解したが、植物内でNADHとNADPHはどちらも用途としては還元剤であるのになぜ使い分けられているのか疑問に思い、考えてみることにした。高校ではNADHはミトコンドリアで呼吸反応時に、NADPHは葉緑体で光合成の反応時に使用されていることを学んだが、どちらも脱水素酵素であるため、使用する場所が違っても同じ物質を使ったほうが使用物質を単純化できて良いのではないか。さらに言えば、構造もNADHにリン酸基を付加したものがNADPHであり、リン酸基を付加するにはかなりのエネルギーが必要でNADPHを合成するよりもNADHを合成するほうがコストもかからないため、NADPHを使った反応もNADHで行ったほうが良いのではないか。ここで、自分がNADHとNADPHが使い分けられている理由として一つ目に挙げるのは、NADPHが持つエネルギーのほうがNADHよりも大きいという考えだ。先に述べた通り、リン酸基の付加にはかなりのエネルギーが必要で、逆に言い換えればリン酸基の持つエネルギーは大きいから、結果としてNADPHのエネルギーは大きくなり還元力が強くなるのではないか。もう一つ考えたのは生成経路の違いだ。NADPHに含まれるリン酸は主に脂質や無機物に含まれており、それらを分解する際に先にNADPHが合成されるのなら納得できる。しかし、実際に生成経路は調べてみたがわからなかったのであくまでも予想でしかない。

A:面白いポイントに着目しています。ただ、酸化還元は、NADP+とNADPHの間でおこるため、ATPと違って反応の前後でリン酸基は変化しませんから、エネルギー的には、リン酸基のないNADHの場合とほとんど変わりません。一般論としては、同化の反応にはNADPHが、異化の反応にはNADHが使われますが、異なる物質を用いることにより反応を切り離すメリットは考えられる一方で、リン酸基自体が何らかの機能的な役割を果たしている可能性は少ないように思います。


Q:「エッセンシャル生化学」p.329 表15・1より、硫黄細菌が行う反応2H2S+O2→2S+2H2Oの⊿ε0'は+2.09 Vで、硝酸菌が行う反応2NO2-+O2→2NO2-の⊿ε0'は+0.77 V である。ここで、p330の式15・4より、⊿G0'=-nF⊿ε0'となる。よって硫黄細菌の行う反応の標準自由エネルギーの変化量の方がより絶対値が大きく、より大きな化学エネルギーを放出する。したがって、どちらの細菌も無機物の酸化エネルギーを用いて炭素同化を行うが、硫黄細菌が行う反応のほうがエネルギー的には優れていると考えられる。

A:実際の物質について、具体的に比較してみることは非常に重要です。できれば、あと一歩、それが何を意味しているのかについて考察してほしいところです。最後の「優れている」というのは極めてあいまいな言葉です。例えば、反応の自由エネルギー差の絶対値に差があったとして、それは、生物にとってどのような利点をもたらし、あるいは、どのような点で不都合となるのでしょうか。そこまで考察すると、化学ではなく生物学になります。


Q:物質の濃度と自由エネルギーの関係は①G=G0+RT*ln[c]で表される。G:自由エネルギー(J/mol)、G0:標準状態の自由エネルギー(J/mol)、R:気体定数 酸化還元電位を求めるネルンストの式によると②E=E0+(RT/nF)*ln([[Ox]/[Red])で表される。E:系の酸化還元電位、E0:標準酸化還元電位、R:気体定数、F:ファラデー定数、n:電子授受数 ①と②の式はとても酷似しており②の両辺にnFをかけると左辺が(J)となるので①の式と単位は同じになる。①と②の式の違いは右辺のcとOx/Redで、ここから物質の濃度と酸化還元反応は意味合いが同じであることがここからわかる。

A:これも、非常に重要なポイントを指摘しています。一方で、「意味合いが同じ」という表現もあいまいです。自分なりの解釈でよいので、そのことが何を意味しているのかについて考察すると、完璧なレポートになります。


Q:今回は、拡散係数の違いについて考えたいと思います。空気中の拡散物質と水溶液中の拡散物資では水溶液中に拡散物質の方が分子量に対する拡散係数の差が少ないことについて考察します。この理由として私が挙げるのは、水溶液のような高密度の分子の中ではその分子の大きさに依存はするものの、みんな共通して分子が動きづらく、結局拡散係数の分子量に依存する割合が小さくなるのではないかということです。だから分子量75のグリシンと40000000のタバコモザイクウイルスでは分子量には500000倍くらいの差があるのにその拡散係数には200倍もないほどの差しかなく、分子量18の水と44の二酸化炭素では2.5倍くらいの分子量の差に対し拡散係数な2倍内くらいと近い値になっているのではないかと考えます。

A:他にも拡散係数について考察したレポートがたくさんありました。その中には、より定量的にグラフ上の関係を議論したものがありましたが、このレポートは比を計算しているとは言え、やや定性的ですね。基本的な考え方はよいと思うのですが、「みんな共通して分子が動きづらく」というところなど、もう少しカチッとした言い回しに書き方を変えるだけでも、より科学的なレポートになると思います。


Q:生物の秩序に、生きている間は一定の機能する状態が保たれるとある。それでは、死はこの定義にそって決められているのだろうか。死亡と判断される材料としては、呼吸停止、心拍停止、瞳孔拡大・対光反射消失があり、これらが不可逆的停止となった時点で死亡と判断される。不可逆的停止とは、心肺蘇生等を施しても呼吸や心拍が再開されないことを示す。確かに、これらは機能する状態が無くなったということから生物の秩序という観点からみても死んでいると考えられるだろう。しかし、最近の死亡判断の方法として脳死がある。脳死とはその名の通り、脳の働きが全て止まった状態を指す。脳死の上記の死亡判定と違う点は、人工呼吸器をつけると脳以外の機能の呼吸や心拍は維持されることである。これは機能する状態が保たれていることであり、生きている状態であるといえる。だとすると、脳死というのは厳密には死んでいるとはいえないであろう。よって脳死を死亡と判断するのは生物学的には不適切なのである。

A:講義で扱った内容にからめて、いわば自分の土俵に引っ張り込んで議論していて、面白いと思います。人工呼吸器をつけるというのは、いわば外部のリソースを使って生きていることになりますから、ウイルスなどのアナロジーとして議論することもできるかもしれません。