シロイヌナズナにおけるクロロフィルタンパク質複合体の量比調節メカニズム
工藤英樹
動物とは異なり、植物は移動能力を持たない。その結果、植物は絶えず変化する生育環境に応答して自身の生命活動を調節するメカニズムを発達させてきた。数多い生命活動のなかでも、光合成は、NADPHやATPといった生命活動に不可欠なエネルギーを生産する反応であるため、環境が変化しても植物は常にその効率を維持する必要があると考えられる。植物はクロロフィル色素をもつ集光アンテナによって集められた光エネルギーを電子伝達反応によって化学エネルギーに変換し、CO2固定反応に利用している。天候の変化や周囲の植物による光遮蔽などにより、光合成のCO2固定効率(エネルギー需要)と集光効率(エネルギー供給)のバランスが崩れてしまうと、植物はエネルギー過剰、もしくはエネルギー不足といった状況に陥り、植物にとって有害な活性酸素の生成や栄養不足によって生育障害をうける危険性がある。このような状況下において、植物は集光アンテナの大きさ・光化学系の量のバランスを巧みに調節することによってこの危険を回避している。 たとえば、強光下で生育した植物は、集光アンテナタンパク質や光化学系反応中心タンパク質の量を調節し、弱光下で生育させた植物に比べて集光アンテナの大きさを小さくすることが数多くの研究から明らかになっている。このことは、植物の生育環境において最適な状態に集光アンテナの大きさや光合成系の量を調節するメカニズムが存在することを示している。しかしながら、その調節の分子メカニズムについてはこれまでほとんど解明されていない。
そこで、私はこの現象のメカニズムを解明するために、植物の発するクロロフィル蛍光に着目した。クロロフィル蛍光は植物が吸収した光エネルギーのうちで光合成に利用されなかったエネルギーが再び光として放出されたものである。仮に、生育環境にきちんと応答できない植物がいれば、その植物は光合成の電子伝達になんらかの異常が生じるはずである。その結果、クロロフィル蛍光の挙動に変化が生じることになる。個体の小さなモデル植物であるシロイヌナズナをシャーレの上で栽培し、クロロフィル蛍光二次元イメージングシステムを用いて、約20,000株の突然変異原処理した植物体のスクリーニングを実際に行ったところ、クロロフィル蛍光挙動が野生型と異なるものが15株得られた。この中から集光アンテナの大きさ・光化学系の量比に変化の生じた株をさらに選別するために、私は集光アンテナにのみクロロフィルbが存在することに注目した。仮に、集光アンテナと光化学系の量とのバランスがうまくとれない株であれば、クロロフィルaとbのバランスが野生株と異なるはずである。 15株の葉から色素を抽出してクロロフィル組成を調べた結果、これまでにクロロフィルa/bが野生型と異なる値を示す株が2株単離できた。現在、これら2つの変異株について遺伝学的・生理生化学的な解析をすすめている。今後の解析により、植物がどのようなメカニズムで光合成色素タンパク質複合体の量のバランスを維持しているのかを解明していきたい。
以下は修士課程の時に行った仕事です。この結果は、既に
Kudoh, H. and Sonoike, K. (2002) Irreversible Damage to Photosystem I by
Chilling in the Light: Cause of the Degradation
of Chlorophyll after Returning to Normal Growth Temperature. Planta 215, 541-548.
として公表されています。
キュウリの低温光障害における光化学系Iの阻害と回復
工藤英樹
光合成は光のエネルギーを利用する反応であり、植物は光を2つの光化学系に結合した集光性クロロフィルで吸収する。吸収された光エネルギーは反応中心に集められ、最終的に化学エネルギーへと変換される。しかし、環境ストレスなどによって光化学系が阻害を受けると、吸収された光エネルギーを利用することができず、過剰のエネルギーが活性酸素など有害な分子を生成する可能性がある。2つの光化学系のうちの1つ、光化学系Iの光阻害においては、阻害された後に反応中心を速やかに修復することによって、この危険を回避している。しかし、近年、低温感受性植物の低温障害の阻害部位であることが明らかにされた光化学系Iおいては、不可逆的な障害が至適温度に戻った後も残るため、農学的にも問題となっている。申請者は低温弱光により阻害された光化学系Iがどのようなメカニズムで不可逆的な障害を引き起こすのかを解明し、低温障害に関するより深い知見を得る目的で研究を行ってきた。
低温(4℃)処理により阻害を受けた光化学系Iは、生育光(120 μmol m-2 s-1)条件下に戻すと、阻害処理時の光強度により異なった運命をたどることが明らかとなった。処理によって20%にまで低下した光化学系Iの活性の回復過程を1週間にわたって分光学的に経時測定すると、処理光が生育光と同じ強さの場合は、1週間後でさえ約50%の阻害が残るのに対して、生育光の半分の弱光で処理した場合には、1週間で90%まで活性が回復した。また、阻害処理した直後には変化しなかったクロロフィル量が、その後の3日間で約30%減少し、この様子は肉眼でも葉の退色として観察された。このクロロフィル減少量は光化学系Iの不可逆的な阻害の程度と良い相関があり、また50%の活性が不可逆的に失われる場合には、反応中心サブユニット量も約50%減少することがイムノブロッティングにより明らかになった。以上の結果から、光化学系Iの一部は、阻害後にその反応中心サブユニットがクロロフィルと共に分解され、これが低温障害の不可逆性をもたらしていたと考えられる。一方、阻害の程度が弱い場合には、活性の回復が見られ、この場合には分解されずに修復されるものと考えられる。