世の中、色々な免許や資格がありますが、僕が持っている中で一番変わっているものは「たらい舟操縦士」でしょう。もう三十年近く前の話ですが、研究室の旅行で佐渡島を訪れた時に、みんなで小木港のたらい舟に挑戦しました。たらい舟は櫓で漕ぐのですが、和船とは違って進行方向に櫓がついています。しかも、和船の櫓が一つの支点で固定されているのに対して縄でつながっているだけなので自由度が高く、こうやれば自然に漕げるという形を決めるのが困難です。おまけに円形ですから、櫓をこぐ力がちょっとどちらかに偏れば、すぐにくるくる回ってしまいます。なかなか一筋縄ではいかないのですが、どのように櫓を動かせばどのようにたらいが動くのかを考えて、ゆっくりでもよいので目的の動きを引き出すというのは僕の得意とするところでしたから、何とか「第496号海技免状たらい舟操縦士」なるものをもらうことに成功しました。このときは7-8人で体験したと思うのですが、免許をもらえたのは、僕と、今は兵庫県立大学の准教授になっているK君の二人だけでした。実はちょっと自慢です。
このたらい舟、操縦性能ということを考えた時には、どう考えてもできのよいものとは思えません。丸ければ大きさの割に面積が大きくなりますから、積載量という観点からすれば、ある程度その形には意味があるのかもしれません。しかし、形はたとえ丸いままでも、底を平らにせずにお椀のような形にすれば、積載量は減らさずにもう少し安定性を増すことはできるでしょうし、竜骨のようなもの取り付ければ、操縦性能もぐっと上がるでしょう。工夫をしようとすればいくらでもやりようはあったはずです。なぜ、このような不便なものが生き残っているのでしょうか。
もともと観光目的で、受けを狙ったものである、というのが一つの解釈ですが、たらい舟の説明を読むと、実際に磯ねぎ漁で海藻や魚介類を採るのに使われていたものが観光目的にも使われるようになったようです。もう一つ考えつくのは、陸上を運ぶ時にその丸さを生かして転がして運べるので便利であるという説ですが、そんなことをしていたら、すぐにたらいが傷みそうです。そうすると、残る解釈はコスト面での優位性でしょうか。専用の船を作るのとは違って、昔の日本ではどこの家庭にもあったと思われるたらいであれば、特別な技術や道具などを使わずに作ることができるはずで、その分、作るのにかかる費用を減らすことができるのかもしれません。和船のように櫓の支点となる特別な構造を作らずに櫓を縄で結ぶだけという点も、竜骨をつけない点も、いわば現代の車メーカーが車体の共通化を図るのと同じで、たらいと船の共通化が目的なのかもしれません。
この仮説が正しければ、日常生活からたらいや桶が姿を消すにつれて、実際の漁に用いるたらい舟は姿を消して、観光目的という別の付加価値がついたたらい舟だけが生き残るはずです。そして、現実もそのように進行しているのかもしれません。もっとも、比較の対象となるはずの和船も同時に姿を消していますから、対照実験を重視する科学者としては軽々に結論を下してはいけないのかもしれませんね。
2014.02.03(文:園池公毅/イラスト:立川有佳)