最近、学生が内向き志向で、留学などをしたがらないという話を新聞などで目にします。それらの報道がどの程度実際の状況を反映しているのかはわかりませんが、純粋に研究の面からすると、留学をしなくてはならない時代ではなくなってきているのは確かですね。僕より一世代上の人々の時代には、まだ、日本と例えばアメリカの間には研究環境の絶対的な格差がありました。その頃にはアメリカに行かないと手に入らない測定装置や研究技術が厳然と存在しました。それが、僕の世代が留学する際にはかなり格差が縮まって、絶対的というよりは、相対的な差になっていたように思います。
ピペットマンは微量の液体を正確に測り取るための小型の装置ですが、液体が付着する先端のチップは、測り取る液体の種類を変えるたびに取り換えなくてはなりません。僕が卒研生から大学院生だったころは、専用の洗浄器を手作りして、このチップを洗って再利用していました。1本数円にも満たないものですが、塵も積もれば山となりますし、小さいとはいえプラスチック製のものを簡単に捨てるのはもったいないというのが当時の感覚だったと思います。ところが、アメリカの研究室に留学してみるとチップの使い捨ては当然です。もし再利用したチップの洗浄が不完全で実験がうまくいかずにやり直すことになったら、その方が結果的にはコストがかかるという理由もあったかもしれません。さらに、実験で使ったビーカーなどのガラス器具なども、所定の場所に出しておけば、次の日までには洗われたものが戻ってくる仕組みです。自分で洗い物をしなくては良いというのは、最初のうちは何か悪いことをしたような気持ちになったものです。実験で扱う窒素ガスや乾燥空気の配管、真空のラインなども各実験室にあって自由に使えます。アメリカに行かないとできない実験はあまりなくなってきていた時代ですが、ソフト面での格差はまだ確実に存在していました。
ところが今は、周りを見ても、ピペットマンのチップを洗浄して再利用している研究室は絶滅しています。早稲田の僕がいる建物の実験室では、各種ガスの配管はある一方で、ガラス器具の洗浄サービスはありませんが、そのようなサービスがある研究所も今や少なくありません。研究環境という面だけからすると、わざわざ留学する必要性は、時代とともに確実に減ってきたといえるでしょう。
しかし、いつの時代でも、異なる文化圏に身を置くことは視野を広げる良いチャンスですし、海外に気心の知れた研究者がいることは、その後の仕事の発展に必ずプラスになります。英語圏であれば、事実上、科学の共通語となった英語に慣れるというメリットもあるでしょう。特に若い人にとって、留学は今でも必ずプラスになる経験だと思います。そこで、今後留学をしようと思う人のために、次回から留学の思い出話を少ししたいと思います。まあ、20年以上も前の話ですし、いつもの調子の文章ですから、参考になるかどうかは保証しかねますが。(つづく)
2013.12.16(文:園池公毅/イラスト:立川有佳)