子供のころから記憶力がよかったためしはありませんでしたが、ワープロの普及によって手で字を書かなくなって以降、実に簡単な漢字をすら書けなくなって久しくなります。十五年ほど前、まだ、助手だったころに、本郷の別の部局の図書館に本を借りに行った時の話です。入口に受付があって所属と身分と名前を書くようになっていました。所属を書いて、身分の欄に「助手」と書こうとしたら、何と「助」という字がどうしても思い出せません。窓口の向こうには、係の女性がいてこちらを見ているので、そのまま素通りすることもできず、さりとて天下の最高学府の図書館で「助けるってどんな字でしたっけ?」と聞くのもはばかられて、進退ここに極まりました。冷や汗を流して三十秒ほど立ち尽くしたあげくに、何やらそれらしい形をもやもやっと書いて、表面上はにこやかに会釈をして通り過ぎたのでした。ちなみにその後、助教授になってしばらくして助教授が准教授に名称変更された際に、この話をしていた知人から、「ようやく”助”という字が書けなくてもよくなったんですね。」という「お祝い」のメールをもらいました。
記憶力が悪いことで得をすることはなさそうですが、チンパンジーのアユムなどは、人間よりも記憶力がよいことで有名です。万物の霊長たる人間がチンパンジーよりも記憶力が悪いとすれば、記憶力が悪いと何か有利になることがあるのかもしれません。Nicholas Humphreyなどは、記憶力と言語能力の間に二者択一の関係があるという説を主張していました。個々の記憶がよいと、それらをひとまとめにして抽象化する能力を発達させることが難しくなるので、人間は、記憶力を犠牲にして抽象的思考能力・言語能力を発達させたのだ、というわけです。これが本当なら、記憶力が悪い人は大威張りです。記憶力が悪い分、抽象的な思考能力が発達するはずであると言えますから。チンパンジーじゃあるまいし、記憶力だけよくてもしょうがないんだよ、というわけです。ところが、昨年になってHumphrey自身が、実はそうでもないかもと弱気になっています(Trends in Cognitive Sciences, 2012, 16:353-355)。チンパンジーの優れた能力は、実験室環境下でのみ見られるものなのかも知れないというのです。もしそうだとすると、記憶力が悪くて得をすることは結局ないのかもしれません。やれやれ。
2013.04.15(文:園池公毅/イラスト:立川有佳)