最近、連絡先を聞かれる際に「電話番号を」と言われずに「携帯番号を」と言われることが多くなりました。スマホはおろか、普通の携帯も持っていない身としては、申し訳なさそうに「すみません。携帯は持っていないので、自宅の電話番号で」と答えることになります。Gmailの連絡先の場合は、デフォールトは携帯電話になっているものの他の電話番号にすることもできるのでまだよいのですが、例えばFacebookの登録情報には携帯電話番号の登録が必須なので、空白にしておくとアカウントの登録自体ができません。しょうがないので、自宅の電話番号を入れてあるのですが、携帯電話という項目を見るたびに居心地の悪い思いをします。
何で、携帯を持っていないだけで肩身の狭い思いをしなくてはならないのか、と思わずにはいられませんが、世間では圧倒的な少数派であることには間違いがないようです。かなりの高齢者でも携帯を持っていない人は珍しくなりました。どう考えても電子機器には疎そうな妻の場合も、しばらく前に携帯をスマホに変えて「ほら、これでメールも読めるんだぞ」などと見せびらかしています。メールを読んでは「またレフェリー依頼が来た」などとぶつぶつ言っているわけですから、「読んでうれしいメールがどれだけ来るのやら」と思いますが、本人はどこ吹く風です。確かに携帯電話といっても、街中で通話をしているのは中高年の男性ぐらいで、若い人の場合は、実際に何をしているのか僕には謎ですが、指をちょこちょこ動かしながら黙って画面を見つめている場合が多いようです。あれは、メールを見ているんでしょうかね。
メールを見るだけなら、最近は出張に行ってもホテルの部屋にインターネット接続サービスがあることが普通ですし、読んでうれしいメールの比率が極めて低い身にとっては、別に一刻を争ってメールを見なくてもと思います。携帯が欲しくなるのは、外で待ち合わせた相手が来なかった時ぐらいでしょうか。もっとも、以前はほとんど常に電池切れだった妻の携帯も、スマホに変えてからこまめに充電されているようですから、スマホには何らかの利点があることは確かなようです。ただ、残念ながら、妻の様子を観察していても、どうもその利点が判然としません。観察する相手が悪いのかな。ちなみに、妻が僕を観察した結果は「スマホも持っていないくせにFacebookに書き込みなんかしちゃって若者臭いんだよね。」とのことです。Facebook=若者という時点でどうかと思いますが。
2013.07.29(文:園池公毅/イラスト:立川有佳)