サイエンスという「業界」にいる人の中には、子供のころ「どちて坊や」だった方も多いでしょう(「どちて坊や」って何だ、という若い方は周りの四十歳から五十歳の年代の人に聞いてみてください)。どうしてだろう、なぜだろう、という好奇心は、科学的な思考の出発点となる部分ですし、科学者にとって必要な資質の一つであると思います。「好奇心あふれる」という形容詞は、アメリカでは推薦状に書くほめ言葉としてよく使われると、朝永振一郎も言っていました。
好奇心の赴くままに自分の好きな実験をするという科学者像は子供の頃の憧れでしたが、残念ながらこれは、社会全体にある程度の余裕がないと成り立たないようです。現代の科学研究に使われるお金のかなりの部分は国民の税金ですから、経済状態が悪くなると、科学者の好奇心のために国民の血税が無駄遣いされる、といった批判が出ることは当然予想されます。そのような批判に対しては、科学者の側から「無駄に見えた科学研究が、予想外の実用的な成果を生み出すこともある」と主張されることがよくあります。でも、これは一種の逃げですね。好奇心に基づいた研究の必要性を自ら否定するようなものに思われます。
「じゃあ、研究に税金を使う正当性はどこにあるのか」と問われた時、僕だったら「共有される好奇心にある」と答えたいと思います。特定の科学者の好奇心ではなく、多くの人々の好奇心を満たすための研究であるならば、胸を張ってできるでしょう。科学者でなくとも「不思議だな」と思うことはあるでしょうけれども、難しい問題の場合は自分でその原因を突き止めることは難しい場合も多いでしょう。火星に過去に生命が存在していたかどうかには興味がありますが、僕自身では確かめるのが難しいので専門家に任せます。同様に、多くの人に「植物の営みは不思議だな、光合成って面白いな」と思ってもらえれば、その不思議さを専門家である光合成の研究者が一般の方の代わりに研究するのに対して税金を使っても許してもらえるのではないでしょうか。
そんな思いで編集した本を最後に紹介。一般の方からの植物に関わる素朴な疑問とそれに対する専門家の回答をまとめた本「これでナットク!植物の謎Part 2」が、講談社のブルーバックスとして植物生理学会から出版されました。硬めに始まった今週のコラムも、最後はただの宣伝という落ちになります。是非読んでみてください。
2013.06.24(文:園池公毅/イラスト:立川有佳)