炭素同化 vs 炭酸固定

光合成は、二酸化炭素を有機物に固定する反応です。この二酸化炭素を固定する反応の部分だけを指す言葉が、実際にはいろいろ変遷をたどっています。この変遷をたどりつつ、もっとも適切な言葉は何かを考えてみましょう。

「CO2」、「二酸化炭素」、「炭素」、「炭酸」

まず、CO2という分子の呼び名から考えます。以前は、CO2のことを「炭酸ガス」と呼んでいましたが、現在では「二酸化炭素」という呼び方が一般的です。一方で、CO32-のことはいまでも「炭酸イオン」と呼びます。では、実際に光合成において利用される基質はなんでしょうか。光合成においてCO2を固定する反応を触媒する酵素であるルビスコの場合は、基質として、CO32-(炭酸イオン)やHCO3-(炭酸水素イオン)ではなく、CO2すなわち二酸化炭素を利用します。このことを考えると、炭酸ガスという言葉を使わなくなった今となっては、「炭酸固定」という言葉には違和感を覚えます。実際の使用例を見てみると、光合成の教科書として有名な朝倉書店の植物生理学シリーズの最初のもの(1971年)では、炭酸ガスに対して炭酸固定という言葉が使われ、同じ本でも別の章では、CO2に対してCO2固定という言葉が使われています。実際に、基質と対応した言葉が使われていたわけです。その後、改訂された植物生理学のシリーズでも1981年まではどちらも載っていますが、1992年と2002年の版では炭酸固定だけになり、 生化学辞典などの辞書にはこれが採用されているようです。 一方、その他の教科書では、英語のものを含めて、CO2と炭素が多いようです(下に載せた参考例をご覧ください)。 光合成事典では、「二酸化炭素固定」になっていますが、ルビスコと並ぶもう一つの二酸化炭素固定酵素であるPEPカルボキシラーゼの基質が、こちらは二酸化炭素ではなく炭酸水素イオンであることを考えると、これは これで違和感があります。では、何がよいか、と考えた場合に、硝酸やアンモニアの代謝をまとめて 窒素代謝と呼ぶことを考慮すると、「炭素」が一番整合性は取れるよう に思います。

「同化」か「固定」か

その場合でも、「炭素同化」か「炭素固定」かという問題が残ります。「固定」と「同化」は似たような意味に使われるようですが、一部の辞書類の記述 では、瞬間的な速度に対しては同化を用いない、としている例がありました。また、光合成の基礎的な研究者は固定を用いる傾向が あるようです(英語ではAssimilationも多い)。一方で、窒素の場合は、「窒素固定」と「窒素同化」は全く別の反応を指します。窒素固定は、空気中の窒素分子をアンモニアや硝酸などにする反応ですし、窒素同化は、アンモニアや硝酸を有機物に取り入れる反応です。また、硫黄同化は、硫酸などを有機物に取り入れる反応を指しますが、「硫黄固定」は、一般的には排ガスからの亜硫酸ガスの回収の意味に使われるようです。さらに、深海へのCO2取り込みをCO2固定と呼ぶ例もあるようです。これらを考え合わせると
 ・同化:生物が無機物質を取り込み生体で利用できる物質にする反応を指す
 ・固定:ガス状の物質を取り込む意味合いが強く、非生物にも使われる
というのが一般的な意味合いであるように思います。その場合 ルビスコでの酵素反応自体に「固定」という言葉を使うのは理解できる一方で、 有機物への炭素の取り込み反応経路全体をさす言葉としては、「同化」の方が統一的な説明がしやすいでしょう。実際に、下に紹介しているBiochemistry and Molecular Biology of Plantsのように、代謝系全体としての反応と、ルビスコの触媒する反応で、言葉を使い分けている例もあります。

結論

歴史的な経緯を無視して、光合成以外の分野の用語との整合性 を考えた場合には、「炭素同化」が一番適切なように思います。

参考1:英語の教科書での使用例

参考2:日本語の教科書での使用例